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2004年05月11日(火) 捕虜への虐待


戦争に至る過程には、さまざまな大義名分が語られる。

ただし、いかなる戦争も、少なからず人間性を狂わせることに相違はない。


イラク人捕虜に対する米兵の虐待が、このところ話題になっている。

一連の報道によって、アメリカ軍、あるいは合衆国政府への風当たりが厳しくなり、今後、イラクの占領統治に影を落とす可能性が増してきた。

人道的見地からみて、これは許し難き暴挙である。

このような有様では、「 正義の軍隊 」 などと自称することはもとより、戦争の正当性そのものに疑問が生じ、他国の協力を得ることも難しくなる。

場合によっては、イラク戦争において、アメリカ側が瀕する最大の試練となる危険もあり得る問題といえよう。


この期に及んでアメリカを擁護するつもりはないが、この件がジャーナリストのスクープではなく、軍の内部調査によって発覚したことは救いである。

露呈すれば、「 大きな弱点 」 になることを知りながら、身内の失態を闇に葬ることなく公表した、一部の勇気ある面々には敬意を表したい。

多かれ少なかれ、戦争では 「 こういった悲劇 」 が起きるものだが、国策に縛られない理性ある人々による歯止めが、事態の泥沼化を防いだ。

起きてしまった事実はかばいようもないが、この点は第二次大戦中の日本や、ナチスドイツとは違うところといえる。

虐待が組織的に行われていたとする報道もあったが、その規模は限られていて、けして全軍的な政策ではなかったことも明らかである。


なぜ、このような虐待が起きたのか。

ニューヨークで起きた同時多発テロ以来、多くのアメリカ人の心には、中東や、イスラム社会に対する怒りが潜んでいる。

また、現在も止むことなく繰り返されるイラク駐留米兵に対するテロは、多くの犠牲者を生み出し、被害を受けていない者にも脅威を与えている。

この戦争、あるいは戦後処理の方法について、米軍の関与について、否定的な意見が飛び交い、米軍を 「 悪者扱い 」 する報道も多い。

過去の遺恨や憎悪、自らの活動に対する批判の数々が、米兵の間で鬱積したストレスに変わり、無抵抗な捕虜に向けられたのではないだろうか。


誰が悪いというより、「 戦争とは、そういうもの 」 なのだろう。

民主的で、フェアーな精神を売り物にするアメリカでさえ、このような事案が起きるのだから、そうではない国の 「 捕虜に対する処遇 」 は悲惨である。

権力を握る者が、必ずしも理性を備えているとは限らない。

もし、そういった国が日本を侵略し、我々が捕虜になった場合、どのような悲惨な事態が招かれるものか、まるで見当もつかないだろう。

戦争をする場合はもちろんのこと、戦争に巻き込まれる可能性がある場合も含め、不幸から身を守るには、負けるわけにはいかないのである。


子供の頃に観た海賊映画で ( たしか、『 宝島 』 だと思うが )、海賊の一味が捕らえた主人公を威圧し、脅しをかける場面があった。

その場面での海賊の台詞は、「 死ぬ奴は、運がいいほうなんだぜ 」 というもので、なんとも恐ろしくインパクトのある言葉として印象に残っている。

拷問、虐待といった 「 非人道的行為 」 が、さしたるためらいもなく、他人に向けられる背景には、「 仇敵に対する恐れ 」 もある。

つまり、一歩間違えば逆の立場になるという 「 明日は、我が身 」 のような部分が、たえず戦争にはつきまとうのだ。

いま、日本の成すべきことは、自衛隊を撤退させる議論より、戦地における冷静沈着で、紳士的な振る舞いを徹底させることのほうが重要だろう。


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