2004年03月31日(水) |
子供を守るということ |
都会には、「 田舎にない危険 」 というものが、たしかに存在する。
事故や犯罪の犠牲になることから子供を守るのは、はたして誰の責任か。
周囲の大人に迷惑をかけつつ、無邪気に走り回る子供は、転んだり、何かにぶつかったりしながら、「 たまには怪我をしたほうがいい 」 ように思う。
しかし、死んでしまっては取り返しがつかない。
今回の 「 六本木ヒルズにおける回転扉の事故 」 では、6歳の児童が首を挟まれて死亡するという最悪の事態に至り、大きな問題となっている。
あと僅かで小学校に入学できるという矢先の事故に、遺族や、周囲の人々の悲しみというものは、いかばかりなものであろうか。
葬儀の祭壇に置かれた真新しいランドセルからも、痛々しい印象を受ける。
この件についての報道は、一貫してビルの管理責任や、機器の製造責任、あるいは自動回転扉そのものの危険性について言及しているようだ。
事実、まだオープンして日が浅い同施設においては、30回以上も回転扉の事故が発生しており、なかには救急車の出動に至った事例もあるという。
いくら人気の施設で、膨大な人数の出入りがあったとはいえ、公共の建物を管理する責任を鑑みれば、過去の事故を見過ごした罪は重い。
それだけ多くの事例がありながら、効果的な対策を講じなかったビル側に、今後は賠償責任や、改善命令が下されることは間違いなさそうだ。
ただ、いくら多額の賠償をし、施設の改善をしたところで、幼くしてこの世を去った尊い生命を取り戻すことは叶わない。
個人的な本音を述べると、ビルや扉の問題もあるけれど、「 親の不注意 」 ということのほうが、事故の直接的な原因に思えてしまう。
先日も、百貨店のエレベーターに乗ったとき、小さな子供を扉の前に立たせたまま、母親は奥のほうで、友達との会話に興じている光景を目にした。
僅かな時間ではあったが、扉が開閉する度、子供の手が扉に挟まれないかと、近くにいた私のほうが気になるという状態であった。
電車、バスなども同様で、扉付近に幼い子供を放置することは危険である。
それぞれに安全対策や、怪我を防止するための施策は施されているだろうが、それは 「 最後の手段 」 であり、そこに依存することは望ましくない。
落胆している遺族を責める必要などないし、公共性の高い施設を運営する企業に対し、安全を確保する責任を求めていく主旨は間違っていない。
だから、メディアとして 「 親の不注意 」 には触れずに、あくまでも企業側の責任を問い続ける姿勢は、そのスタンスのままでよいと思う。
ただ、幼い子供を擁する親御さんたちには、都市の建物や乗り物に潜在的な危険があって、「 自らの手で子供を守る 」 ことを忘れないでほしい。
おそらく、あらゆる法律を厳格に改め、どんなに企業側が努力したところで、すべての危険を排除することなど、できないというのも事実である。
子供を危険から守る作業は、もちろん社会全体の責任ではあるけれども、それぞれの親に最大の責任があることを、再認識することも必要であろう。
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