その昔、「 一歩先の未来が読める人間になれ 」 と、よく言われたものだ。
しかし、「 悪い予感が的中する 」 なんてことは、ぜんぜん嬉しくない。
最近の社会情勢でいうと、「 鳥インフルエンザ 」 がまさにそれで、この問題がまだ初期の段階から、これはひょっとすると大事に至る気がしていた。
当時は、アメリカ牛によるBSEの疑いが強いとして輸入禁止措置がとられ、大手牛丼チェーンらが 「 牛丼 → 鶏丼 」 へのシフトを行いはじめた。
この頃すでに巷では、鳥インフルエンザの危険をはじめ、どうも感染ルートは渡り鳥にあることなどが、マスコミによって取りざたされていたはずだ。
だから私としては、「 アメリカの牛よりも、身近な鶏肉のほうが危ない 」 と、BSE の話題などが出るたびに、友人らには警告を発していた。
ここにきて、どうやらそれは現実の問題となってきたようだ。
ちなみに、「 警告を発する 」 と言えば大業に聞こえるかもしれないけれど、それは 「 食べるな 」 ということではない。
実際、いまでも私自身、鶏であろうが牛であろうが、原産国など気にせず、従来とまったく同じように、食べたいときに食べるようにしている。
つまり、「 警告を発する相手 」 というのは、「 その問題を気にする人々 」 なのであって、気にしない私にとっては無縁の話なのだ。
私がなぜ 「 気にしない 」 のかというと、様々な観点から検証して、食品に関する安全性に関しては、いくら警戒し続けても キリが無い からである。
だから、「 気にしない 」 というよりも、「 気にしてもはじまらない 」 のが適切なところで、「 同じアホなら、気にしちゃ損、損 」 みたいな感じである。
どんな動物でも病気はするし、突発的に奇形が生まれることもある。
そういう意味では、何千、何万という牛の群れに一頭だけ、BSE感染牛がいたとしても、それは過剰に驚くようなことでもない。
感染源を突き止めたり、それが流通しないようにさえ気をつければ、さして人体に被害が及ぶわけでもなく、たいした問題でもないだろう。
しかし、「 20万羽の鶏が、一斉に死んでいる 」 というのは、尋常な光景ではないし、その周囲にはウイルスが飛来しているというのも恐ろしい話だ。
そう考えても、「 牛より鳥が危険 」 と考えるのは自然だろう。
昔、ヒッチコックの映画 『 鳥 ( 1963米 ) 』 では、ある日突然、鳥の大群が人間を襲う恐怖が描かれたけれども、まるで逆の恐怖もあり得る。
ある朝目覚めたら、いつもと同じような光景だが、何かが足りない。
そういえば、スズメなど野鳥のさえずりが聞こえず、どこまで見渡しても鳩やカラスが飛んでいる様子はない。
生態系というのは、歴史と共に徐々に様相を変えていくものだが、たとえば鳥類に関してだけ、瞬間的に伝染病で死滅してしまうとどうなるだろう。
SFっぽいミステリーだが、数十万羽が一斉に死んだり、病気の伝播を危惧して処分されるというのは 「 種の保存 」 に関する大問題である。
人間も、最後は 「 伝染病 」 によって絶滅する可能性がある。
抗体の見つからぬウイルスが短期間に伝播すれば、核戦争や、天変地異が無かったとしても、それが 「 一巻の終わり 」 とあいなる。
ちなみに、これを書くと 「 一部の方 」 はご不快な思いをされるかもしれないが、「 ペットを飼う習慣 」 は、伝染病の拡大に多大な影響があり得る。
従来の犬や猫ならさほど問題はないが、最近は イタチ やら、ネズミ やら、ウサギ やら、ウイルスの媒体になりやすい動物を飼う人も多い。
他人から見れば病原菌のメッセンジャーでも、飼い主にとっては、愛らしい 「 うちの○○ちゃん 」 で、そこに危険が介在することすら認識されにくい。
それでも私は、鶏肉が食べたければ食べ、牛肉が食べたければ食べる。
たぶん、地球の食料資源を思えば、「 ○○が危ない 」 などと悠長なことを言っていられるのも今のうちで、将来には風化するような気がしている。
未来は明るいものと考えたいが、現実的な問題として、全世界的な食料難が訪れる可能性は高く、食料を味や安全性で選り好みできなくなる。
こんなことを書くと、「 悲観的 」 だと思われるかもしれないが、実は、そうでもない。
なぜかというと、牛にしても、鶏にしても、たぶん消費者が過剰に騒ぎすぎているだけで、たぶん食べても 「 どうってことない 」 と思うからである。
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