以前に書いた通り、「 ローマ字教育は、英語教育に弊害がある 」 と思う。
しかし、日本語キーボードを叩くのには、ローマ字変換が重宝する。
ちなみに、日本語の文字で、昔から理解に苦しむのが 「 ヴ 」 である。
基本的に、アルファベットの 「 V 」 で始まる言葉をカナにする場合に使われることが多く、日本語キーボードの 「 V 」 と、母音を押すと変換される。
例を挙げると、「 ヴィクトリー [ victory ] = 勝利 」 とか、「 ヴィレッジ [ village ] = 村 」 や、「 ヴァイオレンス [ violence ] = 暴力 」 などがある。
しかしながら、これは必ずしも 「 法則化 」 されているわけではない。
ネットで検索すると、「 VOLVO 」 という外国車については、「 ヴォルヴォ 」 でも届け出があるが、正規ディーラーは 「 ボルボ 」 と表記している。
最初に 「 ヴ 」 という文字を考えた人は、誰なんだろう。
推測であるが、下唇を噛む 「 V 」 の発音を表現する手段として、なんとなく 「 ウ 」 に濁点を付けてみたのではないだろうか。
ただ、これは徹底されてなくて、「 ヴァ、ヴィ、ヴゥ、ヴェ、ヴォ 」 の表記法については 「 バァ、ビィ、ブゥ、べェ、ボォ 」 でも十分に通用する。
たとえ 「 ヴ 」 という文字があったところで、五十音でアルファベットの発音をすべて表すことなど不可能だし、ほとんど意味がないように思う。
つまりは、「 バァ、ビィ、ブゥ、ベェ、ボォ 」 で支障はなく、「 ヴィーナス 」 は 「 ビィーナス 」 でいいじゃないかという話である。
どうせ、「 ヴ 」 を使うのなら、もっと違うことに使う提案をしたい。
他の母音にも濁点をつけて、「 ア”、イ”、ウ”、エ”、オ”」 も作ってみる。
たとえば、「 声にならない声 」 を表すときなど、この 「 母音に濁点 」 を当てはめてみると面白いのではないか。
クリスマスなので早めに帰宅し、「 ただいま 」 と玄関のドアを開ける。
ここで、子供の顔を見て、約束していたケーキを買って帰るのを忘れたことに気付いたときの心の声が 「 ア に濁点 」 である。
目覚めると、会社に遅刻しそうな時間で、顔面蒼白になる。
いつになく慌てて裸足でバタバタしていると、タンスの角で右足の小指を思いっきりぶつけ、もんどり打って苦しむときの声が 「 イ に濁点 」 である。
休みの日に、交際して間もない彼女とハイキングに出かける。
そろそろ昼時になるし 「 お腹が空いてきたな 」 と思えば、彼女がニッコリと微笑み、お弁当を作ってきてくれたのだと言う。
草原にビニールシートを広げ、有頂天で箸をつけると、これがもう、この世のモノとは思えないほど不味かった心の叫びは 「 ウ に濁点 」 である。
同じ大学を、かなり偏差値の低い同級生と共に受験する。
俺は大丈夫だろうけど、彼はどうかなと思いつつ、合格発表を見に行くと、友達は通ったのに、自分は落ちたときの心の声が 「 エ に濁点 」 だ。
自分には愛する彼女がいるので、そんな気はなかったのだが 「 つきあい 」 で仕方なく、コンパに参加する。
女子の中で一番の美人に惚れられ、「 据え膳食わぬは男の恥 」 と悪魔の囁きを放つ悪友にそそのかされ、その夜のうちにホテルへ・・・。
うしろめたい気分でホテルから出ると、そこへバッタリと彼女に遭遇、しかも信じていた彼女も向かいのホテルから出てきた・・・ 「 オ に濁点 」 である。
とまぁ、こんなふうに 「 母音に濁点 」 の使い方は考えられる。
母音に濁点をつけて読むなどということは出来ないので、「 声なき声 」 だとか 「 心の声 」 に用いるのが、本来は正しい使い方ではないだろうか。
だって、「 ウ 」 を濁らせて発生してみろといっても、「 V 」 になるというわけでもなく、「 グ 」 とか 「 ヅ 」 に近い音を発する人もいるだろう。
そういうわけで、日本語に 「 従来の ヴ 」 は不要と思われ、代わりに、心の声として 「 母音に濁点 」 の制度を導入することを提言する。
これを読んで、「 また今夜も、クダラナイことを書いてるな 」 と、馬鹿にしている貴方への、私の気分は 「 ム”」 である。
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