昨夜のテレビで、オウム真理教の再現ドラマが放映されていた。
麻原被告に審理の判決が下る27日までは、特番が続くだろう。
再現ドラマだから多少の脚色はあると思うけれど、警察官役の出演者が 「 これは戦争だ 」 と呟く台詞があった。
当時、オウムは山梨県の上九一色村に要塞を構え、全国の主要都市にはアジトを配しており、ロシアなど海外にも拠点を設けていた。
さほど利口な集団とも思えず、組織力も十分とはいえなかったが、信者には、薬品や、あるいは暴力的な脅威によって 「 洗脳 」 が施されていた。
麻原や教団幹部の私利私欲を満たすためにテロ活動の手先となったのは、その大半が洗脳に組した信者たちであり、殉教者気取りだったろう。
妄信的に狂人を慕うことも同じく狂気の沙汰ではあるが、犠牲者にしてみれば 「 精神異常者だから仕方ないね 」 では済まされない。
異常な精神状態だった者を裁くことについて、それは弱者に対する偏見を誘発するだとか、人権問題に及ぶといった意見も多い。
しかしながら、「 犯罪に関与した異常者 」 を罰すことが、平穏に日常生活を営んでいる精神病患者に対する偏見には通じないように思う。
また、それが誰であっても、殺人という行為に及ぶこと自体、その瞬間には常軌を逸しているわけで、すなわち 「 異常な精神状態にある 」 はずだ。
そのあたりの見極めというか、犯罪性の有無を問わずに精神状態の如何で判断する理不尽な昨今の風潮が、社会全体の秩序を危うくしている。
頭がおかしくても 「 悪い者は悪い 」 のであって、まっとうな生活を善良に営んでいる人々に危害が及ぶ事態は、なんとしても避けねばならない。
北朝鮮やアルカイダなどのテロ組織も、オウム真理教と大差ない。
フセイン政権下のイラクも同じことで、「 親分のためには、命じられるままに誰でも殺しまっせ 」 という集団は、周囲からみれば困った存在だ。
オウムに対して警察官が 「 これは戦争だ 」 と呟いたように、悪党を殲滅する作戦が大掛かりになればなるほど、それは戦争の様を呈していく。
もちろん、何でもかんでも戦争によって解決すればよいというわけではなく、平和的に解決する手間を惜しんではいけないが、決着しない場合もある。
アホの一つ覚えのように、戦争反対ばかりを叫んで手をこまねいている間に、大勢の罪も無い人々が死んでいくことも知る必要があるだろう。
オウム事件では、地下鉄サリン事件の4ヶ月前 ( 松本サリン事件のあと ) に、警察が上九一色村のオウム施設を一斉捜索するプランがあった。
しかし、それは実行されず、地下鉄サリン事件で多くの犠牲者を出した後に、警察は重い腰を上げ、事件の解明に至ったのである。
もし、早い時期にテロ集団の殲滅を果たしていたら、地下鉄で命を落とす人も救われたのにと、当時の警察庁幹部は語るという。
これは警察の手落ちというよりも、自由や人権を声高に叫ぶ団体さんや、それに乗せられて一緒に騒ぐ 「 お馬鹿な人たち 」 の影響が大きい。
世論というのは面白いもので、田舎のガス騒ぎには寛容だが、身近な都心で人が死に、自分達にも危害が及ぶようになると、ほぼ一斉に翻る。
イラク問題も同じで、それが遠い中東の問題だから反対する人が多い。
もし、自分が通勤する電車に爆弾が仕掛けられたり、息子の通う小学校にサリンが撒かれたなら、誰が自衛隊の出動に反対するだろうか。
そこで、「 総理、自衛隊の派遣先は安全なんですか? 」 なんてナンセンスな質問を繰り返す野党の代議士がいたら、それこそ失笑の的である。
上九一色村の人々はオウムを、拉致被害者の家族は北朝鮮を、それがたとえ強硬な手段であったとしても、早くなんとかしてもらいたかったはずだ。
身近に危険が差し迫るまで、妄信的に戦争反対を唱える連中は、その間に何人の罪も無い人々が死に至るかということに、目をそらしてはいないか。
イラクにおける役割について、日本の自衛隊や、アメリカの軍隊が問われている最大の焦点は、「 他国にどこまで干渉するか 」 という部分にある。
日本の示す態度としては、テロ組織による中東の危機を傍観し、そのような責任を引き受ける力はないと、白状することもできるだろう。
また、我々の自由の概念を尊敬し、その生き方を見習おうとする全世界の善良な人々に対し、勇気とリーダーシップを発揮することもできる。
圧政や迫害に苦しむ人々を見殺しにすることもできるし、彼らが民主主義を受け入れることを応援することもできる。
そう考えると、はたして派兵反対を唱えてデモを練り歩く人々が平和的で、派兵を賛成する意見が 「 好戦的 」 であるとなど、いえるのだろうか。
いづれにせよ、日本の軍備は増強され、近いうちに憲法は改正される。
それは野党やマスコミが騒ぐような国家権力の陰謀ではなく、危険が身近に迫ってくるために民意が求める結果として、そうなるはずである。
イラク問題は 「 対岸の火事 」 でも、日本には別の危険が潜む。
その場合は、遠方の国々からみれば 「 対岸の火事 」 ということになるのだが、自由主義諸国の役割を果たさずして、助けを求められるだろうか。
オウムにしても、イラクにしても、世論は流動的なもので、政府やアメリカを悪者扱いする愚かな人々が多い間は、まぁ、一安心の状態だともいえる。
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