「 年をとるという、おそろしく高い代償を払って、人は円熟する 」
: トム・ストッパード ( 劇作家 )
Age is a very high price to pay for maturity.
: TOM STOPPARD
昨日の日記は、一部 ( 男性のみ ) の読者に共感をいただけたらしい。
時節柄、暗い話題が多いので、たまには柔らかい話もよいかもしれない。
公に男女の秘め事について語ることは慎重さを期すべきで、冬休みが終る時期を選んで書いたつもりだが、男子高校生の方からも反響があった。
男と女の問題というのは、世代を超え、国境を越え、普遍的で根深い要素が含まれており、そこには不動の定理みたいなものが存在するようだ。
総体的には需給バランスの問題で、消費者の財布の紐が緩くなれば経済が活性化するように、女性の貞操が緩くなれば男性の下心も活発になる。
昨日の日記に登場したような、思わせぶりでも 「 やらせない女性 」 が多いと、「 やるせない男性 」 が増えるのも、いわば自然の摂理であろう。
ただ、私を含め男性側が己の我侭として反省すべき点は、女性の性に対して、「 私には寛容で、他人には貞淑でいて欲しい 」 と望むところにある。
以前にも書いたが、ここの日記は 『 エンピツ 』 というレンタル日記サイトをお借りして、掲載させていただいている。
ここには日記のカテゴリーが区分けされていて、当方は 「 時事/社会 」 というジャンルに登録されているのが現状だ。
したがって、あまり時事問題に関係しない話、些細な身の上 ( 身の下? )話ばかり書くのは、ちょっとルール違反だと思うので気がひける。
そこで、最近のニュースから 「 男女にまつわる話 ( 深刻でないもの ) 」 を探してみたところ、なんとか適当と思われるものを発見した。
今夜はその話題について、またもや自分本位な理屈を語ってみよう。
セイコーが発表した 「 今年の新成人に対する意識調査 」 にて、オジサンは40歳からなのに、オバサンは30歳からとした回答が多かったそうだ。
老化に対する印象というものは、その人の個性や風貌の違いから個人差があるので、一概に実年齢では処理できないようにも思う。
単に年齢だけを思い浮かべ、それが 「 お姉さん 」 なのか 「 オバサン 」 であるのかをイメージさせた場合、新成人はこう答えたという結果である。
だから、「 明日、30歳の誕生日を迎える 」 という女性が、「 お姉さん 」 の地位に訣別したり、「 オバサン 」 になる準備を整える必要も無い。
もし仮に、新成人から見れば 「 オバサン 」 でも、「 オジサン 」 と呼ばれる我々から見れば、まだまだ 「 お嬢さん 」 であることも事実だ。
年齢を重ねることで人間的に成長したり、円熟することは有意義なことだ。
たぶん、「 若い 」 という言葉には、「 幼い、青臭い 」 などというマイナスのイメージもあり、場合によっては、頼りない印象が災いすることもある。
しかし逆に、それは肉体的、精神的に 「 美の象徴 」 であったり、行動的な躍動感であったりするので、できれば、その要素は保ち続けたいものだ。
人間というのは欲深いもので、若いときは 「 早く大人になりたい 」 と大人の利点を求め、年をとると 「 若返りたい 」 などと願ったりもする。
自分のことならまだしも、他人にもそれを望んだりするので、はた迷惑というか、厄介なところがある。
若い頃から芸能人やアイドルと呼ばれる人たちに対して、どちらかというと関心が無かったのだけれど、それでも 「 素敵だなぁ 」 と感じた人はいる。
名前は出さないが、日本映画界を代表する巨匠監督の息子さんと結婚した、私より一歳年上の女性に、ほんの一時期だが、憧れたこともあった。
その当時、彼女の唄う歌も知らなかったし、熱心にテレビを観たわけでもないのだが、友達が持っていた雑誌に載っていた写真に夢中になったのだ。
そこに写る彼女は、若々しい清廉さに加え、なんともいえない大人の色香を漂わせ、その性的魅力の刺激は、当時の自分にとって衝撃的だった。
若くして結婚するという報に触れたとき、「 こんな女性と結婚できたのなら、すべてを失っても幸せだろう 」 とさえ、思ったものである。
その後しばらく、彼女をテレビで観る機会がなかったのだが、最近になって昼間のワイドショーとか、バラエティ番組で見かけるようになった。
この日記は極力、全国の皆様にわかりやすいようにと 「 標準語 」 で記述するようにしているが、その印象はちょっと標準語では表し難い。
常用の大阪弁で語ることをお許し願うと、「 うっとぉしいオバハン 」 というのが、もっとも適切な評価になる。
歳月は人を変えると言うが、あまりにも 「 変わりすぎ 」 である。
他人様の風貌や個性についてケチをつけるというのもなんだが、著名人であるかぎり、多少はそのへんの責任も感じてもらいたい気がする。
私は昔から、あまり 「 漫画 」 というものにも興味は薄かったが、それでも子供の頃に大ヒットした 『 あしたのジョー 』 という漫画の印象は強い。
ボクシングの世界チャンピオンを目指す主人公が、歴戦の過程で世界中の強豪と対戦していくのが、物語の骨子となっている。
劇中で、「 カルロス・リベラ 」 という名の対戦相手が出てくるのだが、彼は主人公との死闘を引き分けたのち、世界王者にKOされ廃人になる。
少年漫画には珍しく、スポーツ界の 「 影の部分 」 を描かれたことで印象的だったのだが、盛者必衰の侘しさ、悲しさというか、憂いを感じたものだ。
昔、恋心を抱いた憧れの女性が変貌する様は、なんとなくそれに似ており、「 誰がこんなにしちまったんだ 」 と、思わず泣き叫びそうになる。
きっと男女の間で、それはお互い様の問題であって、お互いの老けゆく様を達観して、楽しみながら、味わいながら生きるのが利口というものだろう。
ただし、たぶん相手を失望させてしまうのは、顔や体の変化よりも、根底に流れる 「 精神 = スピリット [ spirit ] 」 の部分が大きいように思う。
いくら化粧品やエステに投資して見た目の若さを維持したとしても、人との接し方や、感性の部分が老齢化してしまっては、元も子もない。
30歳でオバサンというのは、ちょっと早すぎるし、酷な評価だとは思うけれども、なんとなくそのあたりに原因があるような気もする。
かくいう私は、「 同級生はオジサンだけれど、自分は違う 」 などとひそかに自惚れているのだけれど、世間ではそれを 「 独りよがり 」 というのだろう。
|