「 運命は鷲ではなく、どぶねずみのように忍び寄ってくる 」
: エリザベス・ボーエン ( 作家 )
Fate is not an eagle, it creeps like a rat.
: ELIZABETH BOWEN
北朝鮮はミサイルの照準を、東京に合わせているという説がある。
嘘か真かは別としても、危機感をもって臨む必要があるだろう。
核戦争の歯止めとしての定番は 「 抑止力 」 と呼ばれるもので、ようするに敵対するお互いの国が核を保有することで、脅威を防ごうという手段だ。
その発想が良いか悪いかは別として、第二次大戦以降に核兵器を実際に用いて相手を攻撃したという例は一度も無い。
日本の場合は、「 持たず、つくらず、持ち込ませず 」 という非核三原則があり、核をもって核に対峙するという姿勢を示すことはなかった。
現在、「 ミサイル迎撃構想 」 というものが動き始めているが、これは飛来するミサイルを着弾前に打ち落とすという構想で、核抑止とは異なる。
実際のところは、同盟国のアメリカが十分な量の核を擁しているのだから、核を切り札に敵対する国が現れたとしても、自ら保有する必要は少ない。
冷戦時代、核戦争の恐怖を描いた映画というものが、大量につくられた。
印象的なのは、『 渚にて ( 1959米 ) 』、『 未知への飛行 ( 1964米 ) 』、『 博士の異常な愛情 ( 1964英・米 ) 』 の三本だ。
それ以外にも秀作、話題作はあるが、好きな俳優が出演していたり、脚本が面白かったりといった理由から、個人的に、この三作品の印象が強い。
三作とも、ほとんど戦闘場面など描かれておらず、戦争映画というよりは、破滅的な終焉を予感させるサスペンス的な色彩が濃い作品である。
機会があればレンタルなどでご覧いただくと、いかがだろうか。
グレゴリー・ペック主演 『 渚にて 』 は、核戦争によって北半球が壊滅した後のオーストラリアという設定から、物語が始まる。
ここにやってきたのは、一隻のアメリカ原子力潜水艦。
潜水艦の艦長は、死の灰が近づきつつあるオーストラリアで迫り来る死期を待つか、壊滅した祖国アメリカに帰港するかの決断に迫られる。
そんな中、既に死滅したはずのサンディエゴの町からモールス信号を受信し、潜水艦は調査のため、一路サンフランシスコを目指す。
未見の人のためにラストは明かさないが、「 信号を送っていたのは誰か 」 という部分で、衝撃的な結末が核の恐ろしさを表現している。
ヘンリー・フォンダ主演 『 未知への飛行 』 は、アメリカ軍コンピューターの誤作動によって、モスクワへの核攻撃指示が発動されるという物語だ。
アメリカ大統領は、第三次世界大戦の勃発、人類滅亡を回避するために、指示の撤回を図りつつ、ソ連の書記長とも連絡を取り合う。
ところが、両軍の機密保持や、それぞれの思惑に阻まれ、飛び立った爆撃機を止める手段は、ことごとく失敗を重ねる。
これも未見の人のため、衝撃のラストシーンは話せないが、最終的にモスクワが破壊された場合に、最終戦争を避ける大胆なプランが登場する。
スリリングな展開と脚本の上手さからいうと、映画的にはこの作品が一番優れているが、日本での劇場公開が10年遅れたことから、知名度は低い。
ピーター・セラーズ主演の 『 博士の異常な愛情 』 は、『 未知への飛行 』 と酷似した物語で、公開時には盗作の疑いから裁判にもなった。
こちらはブラック・コメディ的な作品に仕上がっていて、登場人物はすべて 「 道化 」 として、人間の愚かさを笑うような内容になっている。
監督は、4年後に 『 2001年宇宙の旅 』 を撮るスタンリー・キューブリックで、彼の出世作としても映画通には広く知られている。
この三作以外にも、たとえば 『 007シリーズ 』 などでは、核戦争を阻止するという題材が多く扱われたり、数え上げればキリがないほどだ。
反戦を唱える人などからみれば不謹慎と思われるかもしれないが、核戦争の恐怖というものは映画の題材として、たしかに扱われやすいのである。
核戦争による人類滅亡の恐怖というものを考えるとき、これらの作品を観ることによって実感がわくという人も多いのではないかと思う。
小競り合いの地上戦が良くて核戦争が悪いというわけではないが、少なくとも人類が、自らの手によって生み出した兵器で破滅するのは愚かしい。
そういう見地からみても、多くの人がこれらの作品を観て、核に対する警戒心を高めることは重要だが、一つだけ注意すべき点がある。
それは、これらの作品群が 「 米ソの冷戦中 」 につくられた作品であって、大国同士の核保有、核抑止と、現在の核危機とは異なるところだ。
後先を考えずに捨て身の姿勢で迫る 「 狂人が支配する手負いの小国 」 には、対抗する核の保有も、良識も、抑止力としての効果は薄いだろう。
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