部長motoいっぺい
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日本では共通テストが行われたということで、エンピツ日記もその話題で一杯。 で、僕もひとつ思い出話を。
北の大地生まれの駐在2号。は、当時H大学を目指してはいたものの、完全にボーダーライン上であった。 当時「共通一次」は1000点満点(国語200、数学200、英語200、理科選択200、社会選択200)だった。 共通一次自体は、それほど緊張して受けたわけではないが、頼みの数学が160点前後と振るわなかったことと、英語が最悪の120点と、合計点で760点前後だったように記憶している。 (当時は英語が苦手だった・・・(笑))
僕の志望のH大学理1系は、共通一次で800点ぐらい取っておく必要があり(特に2次の苦手な僕としてはなおさら)、2次で逆転を狙ったもののあえなく落選。
浪人したくなかった僕は、M工業大学の2次試験を受験したが、これも落選。 やむなく浪人生活を送ることになった。
翌年、大学入試のシステムがかわり、共通一次は共通テストになり、満点も800点満点(国語200、数学200、英語200、理科選択100、社会選択100)になった。 また、前年までは国公立大学を1校しか受験できなかったのが、A群・B群に分かれたため、2校受験できることになっていた。 (注:駐在2号。家の財政事情により、私立大学の受験は許されなかった)
そこで受験したのが、リターンマッチのH大学と、もうひとつは僕の成績に見合ったN大学(当時、特にN大学に対する思い入れはなし)。
共通テストの結果は、800点満点中710点。友人も驚く超特大ホームランだった。 (↑満点が200点もかわったのに、得点は同じ700点台・・・)
その結果もあり、無事H大学・N大学とも合格することができた。 両親としては、地元のH大学に通って欲しかったようなのだが、僕は
・去年落とされた大学に通うのが悔しかった ・大学のレベル(偏差値レベル)としては、N大学の方が上だった
ことと、何より
・一人暮らしをしてみたかった
ので、無理を言ってN大学に通うことになった。
まあ、そのおかげでいろいろな人との出会いがあり(嫁もその一人)、今に至る訳で・・・。
今振り返ってみると、1年目落ちたことにも意味があり、2年目N大学を選んだことにも意味があり。 人生どこの選択で、どういう結果になるかわかりませんな。
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