笑う角に光りあれ...オレステス・デストラーデ

 

 

不必要な尺度か、可能性は - 2005年01月02日(日)

毎年毎年正月になると、老人が喉に餅を詰まらせて亡くなるというニュースが流れる。
新年早々お気の毒にとは思うものの、あれだけ危ないということがわかりながらも同じことが繰り返されると、段々とどこに責任があるのかわからなくなる。
でも1つ確かなのは、いくら死者が出たとしても餅の製造者が責任を問われることがないということ。
これがアメリカだったら多少状況は変わってくるのだろうけれど、今のところ訴訟が起きたというニュースは聞いたことがない。


おそらく、ここで1つの焦点になってくるのは、「可能性」なのではないかと僕は思う。
つまり、餅を食べたら喉に詰まってしまう可能性。
餅を食べると喉に詰まってしまう可能性があるからこれを販売することを禁止する、ということをはたして正当化できるのかどうなのか。
ここには自己責任論とパターナリスティックな考えが対立構造を描いている。
日本の風土には前者の考えが強いような気がするが、この可能性がほんとに高い時、こういった行為はやはり制限される必要がある気が僕はする。
でも、この「可能性」ってなんて中途半端な尺度なんだろうか。
何かすごく無茶なものを言語化している気がしてしょうがない。


って、今日はこんなことを考えながら、終日腐っていた。


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