2006年05月01日(月) |
和太鼓は伝統を引き継いでいるか? |
和太鼓「仙」の新之助君が自らのBlob嬉しい事を書いてくれている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用・・・・・・・・・・・・・・ 和太鼓は、バチを握りストンと振り下ろせば、誰でも音が出せる、素晴らしい楽器です。誰でも出来て、しかも気持ちいい音が出る。だから人気がある。でも、日本に伝わる古典芸能や郷土芸能を知らなすぎではないでしょうか。 知らないと太鼓を打っちゃいけない、なんてことは全然ありませんが、太鼓を教えることを生業としている人たちに、その辺の意識がどれくらいあるのでしょうか。文化・芸能は、民族の歴史そのものです。太鼓の一打には、悠久の響が込められています。その民族の宝をメシのタネにしている、しかし宝の出自を学ぼうとしない。 学生時代、「勉強したければ原典に当たれ」と言われたことが、いまでも僕の指針になっています。響や仙の若い子達に、僕はそういうことを伝えていきたい、といつも思っています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・引用終わり・・・・・・・・・・・・ この画像の新之助は秩父での春祭りで、長唄の大鼓を演奏するときのものだ、普通は秩父屋台囃子を習ったりビデオを参考にして練習する人、チームは多い、しかしこのように現地の人と混じって、その源流を知ろうとする者は少ない、今回やる「仙」の「新屋台囃子」は後半に千葉の佐原囃子が出てくる、これは江戸時代に浅草や神田祭で一世を風靡した太鼓打ち、彼等はお江戸囃子とともに御神楽、長唄囃子もやっていた、そう今でいうとスマップのように江戸を賑わし、その名は樽前船によって地方まで伝わった、そして呼ばれ出かけた若衆が現地で恋に落ち土着したという歴史がある、秩父と佐原では今でも山車で長唄囃子をやっている、伝わるところによると、兄弟か同じ門下が分派したということだ、だから僕は秩父屋対囃子に佐原囃子を入れた。 現地の人達も既に忘れ去ったことにロマンを感じるのだ。
新之助君は山車の組み立てから参加している。
これは僕も真似出来ないことだ、素晴らしいではないか!
>太鼓を教えることを生業としている人たちに、その辺の意識がどれくらいあ>るのでしょうか。 という彼の意見には僕も堪える、能の血筋、黒御簾の専門家、歌舞伎座付き囃子方等、その道の奥義を極めようとする人もいる、僕はその道一筋にはならなかった、なれなかった、だから今和太鼓の世界で欠けている伝統の伝え、芸能の本流への回帰をしている、そして型が解るから崩せる、それを信じて新しい太鼓音楽を作っていきたい。
完成!
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