新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2004年01月17日(土) 癒されない日

闘病史を書かなくてはいけないんだけど、又々やってきた阪神淡路大震災の日、あれから何年?
 僕自身も失った事、それは筆舌に尽くせない、去年も一昨年にも書きました、当時僕の自宅は神戸市北区でした、東京にアパートを借りて言ったり来たりの生活をしてました、若かったんですねー、ちっともしんどいとは思いませんでした.
 当日朝までワープロを打ってました、ちよっとテレビをつけると大阪で地震の模様だと、あーそーなんて寝ました、そしたら友人から電話がかかってきて「テレビ見てる、神戸が燃えているよ」???

 そしてやっと三日目に大阪から歩いて実家の西宮まで辿りつきました、それから神戸に着くまで三日かかりました、ボランティアというか、崩れた家から人を救出したり、夜警をしたり、燃えている家を呆然とながめてた・・・人がいるのに・・・
 妻は言いました「今頃何しにきたん?」「皆助かってよかったやん、西宮や三宮
は悲惨やで・・・」
三宮センター街の入り口
飲み屋街ではマジでウイスキーの臭いが漂ってた。


魚住では消防士が袋叩きにあってたのを、止めたけど、なんか凄く気が引けたのはなんでやねん・・・。

そして妻と別れました・・・その年の11月にはオーケストラアジアの神戸公演を実現しました、民団、総連、南京街、華僑の人達と連携を取って実現しました、それは涙の嗚咽が木魂するコンサートになりました。


 多分去年も一昨年も同じ事を書いたと思います、神戸文化ホールはコンサートの11月の一期前まで被災民の方々が避難していたという状況下でした、神戸の在日外国人の方々の尽力により、神戸市を動かしたのです。

 今・・・未だ・・・なんでこうなったのか解りません、妻とは約1年話し合いました(いや、冷静な論議はお互いに出来なかった)
 地震のその瞬間に居なかった夫?大事な時に何時もいない夫・・・だったんやと今は考えてます・・・が・・・たった一度の人生?
今度生まれてきたら、彼女の側を離れない・・・もう離れたくない・・・絶対に探し出して・・・・・・・


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