世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
僕はある秋の夜、天河大辨財天社の能舞台で鼓を打つため神社の一室で泊まっていました、東京から出発する日から気分がすぐれず、なかなか寝つけなくて何度も起きては煙草を吹かしていました、あーここには世阿弥が奉納した阿古父尉の面があったんだ、じゃー明日使うお胴も出しておこうと思い、枕元にお胴を置いてまた床に就きました。
・・・私しを愛でて・・・ねー愛でて・・・やっとここで会えたのに・・・ 白拍子のそばで小鼓を打っているのは・・・僕だ・・・あれ!百合さん? 「・・・そんなわけあらへんよな・・・」・・・楓が百合に・・・ 楓が百合?百合は楓?丑寅の鐘が遠くで聞こえる・・・たしかに小鼓を打っていたのは僕で、舞っていたのは五年前、国立劇場の地唄舞いの会の帰り、タクシーに乗っていて交通事故に会い、帰らぬ人となった百合子。 ・・・すまん百合ちゃん、僕が一緒に帰っていたら一緒に死ねたのになー・・・ ・・・私は昔からここにいるの・・・嬉しい・・・やっと会えた
ここは佐渡、流されて久しい新之丞は吉野に残した楓という白拍子のことを忘れる日はなかった。村人に猿楽を教授する世阿弥の助手として都の文化や言葉を伝える日々に、時として絶望を思うのだ「だめだ・・・こんな音ではない」 世阿弥と共に佐渡に流され、若かったせいもあり、将軍の御癇気は高齢な世阿弥のみ許されて年若い自分には沙汰がなかった。 「新殿、必ず迎えをよこす故、くれぐれも短気を起さぬようにのう、天河のことも調べてみるのでな、たっしゃで精進されよ」 と言い残して行ったきり、都からも天河からもなんの文も届かない。
新之丞は生まれは河内で、楠正成を叔父に持つ家系で、幼少から世阿弥の一座で修行を積み、謡いと鼓を受け持つようになっていた、世阿弥の妻は新之丞の母の従姉妹でもある、それが将軍の御勘気に触れて年老いた世阿弥の世話をするようにとのことで一緒に流されたのだ。
日本海の潮風のせいだろうか、鼓の音がよくない・・・謡いも舞も太鼓も都の猿楽士に負けないような芸を作れたと自負はするが・・・この小鼓は楓に預けた皮でないと鳴らないなー ・・・あの朝、楓の体に自分は間合いを作りながら、それは世阿弥の教えにある[序・破・急]の要素を女体に応用する事だ、女波と男波の波は違う、女波はゆっくりとその波を打つ、それを読んで、女波の質量が増えた時、わざと間合いを外す、そして波の要を時に優しく時に荒々しく拍子を変えながら鼓のように打つ、そして男波と女波が合体して龍が渦を巻いて昇るように二人して中に舞いあがった瞬間、精を放つのだ。そして女波はやがてゆっくりゆっくりと潮を引いていく、その時にはその引いていく拍子に会わせて又愛撫するのだ。正に能の成り立ちと同じなのだ。 この教えは身をもって世阿弥が教えてくれた、高齢な師匠はもう女体を欲する事はなかった、しかし時に新之丞を床に招き、能の真髄を肉体から教えようとするのだ、それは男色を越えて、一つの肉体がもう一つの肉体に遺伝子情報とも言うべき過去、いやもっと古縁からの情報を伝えようとするのにも似ている。
楓の肉体の周波数が痙攣から叙序に波を引いて、まだ高潮しているその愛らしい唇が開いた。 「あなた様のお子は鼓打ちにしてもいいでしょうか」 「男の子ならそうしてくれ、女の子ならそなたの跡を継がせばええ、決して南朝方の武門に渡さぬようたのんだぞ」 「まー白拍子の子を武者がどうして迎えますか」 「それもそうやけど、今日一日だけの契りで授かるわけないわなー」
・・・でも、もう五年も絶えて噂を聞かない、都から政治犯として年に一度船が着く、しかし南北朝の南朝の噂はさっぱり入らなくなった、楓は死んだ叔父、楠正成の一族が保護しているという噂を聞いたのは四年前だ、それから・・・幕府の局に引き抜かれたとも聞いた。
小鼓の胴は薄墨桜から造られます、鼓の胴はその時代の彫り士、漆塗り、革職人の手を経て一丁の小鼓として完成します、それはヴァイオリンのストラディバリのように何百年間、色々な鼓打ちを渡り歩き、又は代々親から子へと受け継がれてます、現代の能舞台や歌舞伎座で打ち鳴らされている小鼓は有に100年以上以前に造られたものです。 もし愛する人が死んで薄墨桜の元に埋められて、美しい桜花を咲かせたら・・・
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