ソーニャの作ってくれたポーランド料理で忘れられないのは餃子だ、ピロシキ風なのだけど形といい味といい餃子なんだ・・・名前は忘れたけれども。あとにしんのマリネ(後に知る)も美味かったそしてビゴス、これは各家庭で独特な味にするそうで、母から娘へと伝わりまたその作る人の故郷が解るそうだ。 そしてウォッカ世界最強の96度スピリタスこれは普通は薄めるのだけれども、唇が痺れる(火気厳禁)、あとはズブロッカこれは香草が入っていて香りがよく、口移しのでの飲み方が最高!しかし御同輩、ポーランド女性と決して勝負しようなどと思わない事をお勧めします。飲みすぎるとその後にやって来るであろう素晴らしい時に[いざ鎌倉]が立たないので要注意ですZo−。 ワルシャワ中央駅 僕達は役所に証明を取ったり大使館に行ったり忙しかったが、愛の時間は睡眠時間を削っても辛くない・・・全ての連絡、交渉を済ませ僕達は駅に待つ人となった。当時国立音楽院の権威は大変なものだった、勉強や研究しようという学生には東西を越えた特権が与えられていた。 ここから東西ドイツを抜けて巴里北駅に向かう。向かい合わせの6人掛けの座席が一区画ずつ壁で区切られていて通路側にドアがついているのが大半である、ほぼ満員だった。 ソーニャの作ってくれたバケッドサンドウィッチとドイツ白ワイン(少し甘い)の組み合わせは最高だった、夜に出発したので車窓から見える朝焼けの風景は美しい、ポーランドが平らな国という意味が納得できるぐらい、畑が続く。 途中ベルリンでかなり緊張する検問にあった、国境警備兵が車掌の横にいて自動小銃を構えている、その時ソーニャがドイツ語も出きることに驚いた、そしてハノーファーで2時間の待ち合わせに遭遇したので少し街に出た、やはりビールは美味い、そこの店でドイツ人が大声で合唱していた、そして大笑いをしていた、ソーニャの言うにはどうもHな歌らしい、
・・・○○が縮むのは労働とビールのせいだ、俺の腹は出て○○が見えなくなる、嫁は益々大きくなるー俺達は大海に鉄砲うつのはもーこりごりだよなーヒムラ−さんよ・・・ みたいな訳だった、僕も笑ってしまった、ソーニャによるとナチス親衛隊長官、ハインリヒ・ヒムラーは恐妻家だったそうな、そして○○○は小さかったそうだ。 でもあまり笑えない歌だよなー。 赤い顔のオジさんが僕の顔を見て愉快そうに何かを言った、ドイツ語のレトリックは忘れたがソーニャが困った顔をして解説してくれた。「今度はイタリア抜きでやろーぜ同盟国の青年よ」と言っているらしい「今度はイタ抜きでやろうぜ」という有名な日本人向けのブラックユーモアを教えてもらった、何故だか僕は嬉しかった・・・。
ソーニャとの列車の旅は楽しかった・・・と言いたいのだがある頭を悩ます問題が巴里が近づくにつれ、僕の顔を暗くした。 ソーニャとの恋の道行きは輝かしい未来を約束しているような気持ちだった、しかし僕は巴里で音楽院で同期に入った女性と同棲していたのだ、丁度彼女は夏期休暇で国(カナダ)へ帰っていたのでなんとかなるとでも思っていたのか・・・。 この事が、その後僕の人生に因果応報ともいうべき時空の渦へと流されていくことには、その時は全く気がついていなかった。
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