新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2003年02月25日(火) ソーニャのこと

 「ポーランドは一度地図から消えたことがあるんです、ショパンが生まれた時には地図にはポーランドはなかったの」
「・・・」

ポーランドの歴史は、分割と再生の歴史であった。
 1772年――ロシア、プロイセン、オーストリアに、
 1793年――ロシアとプロイセンに、
 1795年――再びロシア、プロイセン、オーストリアに分割され、ヨーロッパの政治地図から姿を消した。
その後、ナポレオンによって「ワルシャワ公国」が創建(1807)され、復興の夢を追ったポーランドであったが、ロシア遠征の失敗(1812)によるナポレオンの没落によって、四度分割される運命を負った。これが「ウィーン体制」である。旧公国の八一パーセントは、ロシア皇帝を国王とするポーランド王国とされ、ポズナニ、ビドゴシチは、プロイセンの手によりポズナニ大公国とされた。オーストリアは、ヴィエリチカの塩山を得、またクラクフは、共和国として自由都市を宣言された。

「コーヒーでもいいですか?」
「ありがとう、濃い目でね」
ソーニャは手回しミールでコーヒーをひいてくれました・・・フーフフーフフーフ
「へーその曲は日本でもよく歌うよ」
「森へ行きましょう,ソーニャーさん、アハーハ・・・」
この日本語の歌詞をソーニャに一生懸命英語で説明しました。
森へ行きましょう娘さん(アハハ)
  鳥が鳴く(アハハ)あの森へ(ララ ラララ)
  僕らは木を切る君たちは(アハハ)・・・
「アハハ・・・その後は忘れてしまった、ごめんね」
ひいていた手が止まった、そしてうつむいて、やがて僕の顔をじーと見つめた、ソーニャのその美しい大きな黒い瞳は涙で煙っていた。
「!どうしたの?ごめんね、忘れてしまって、お国の歌なのにね、日本では幼稚園の時から歌ってるよ」
「いいえ、今ではポーランド人でもお祭りの時、年配の人が歌うだけ、私の大事な歌なの、それを歌っている日本という国に・・・嬉しくって・・・なんとお礼を言えばいいのかしら」
「大事な歌?」

娘さん
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「明日、学校へいらっしゃる?そしたらその後大事な森へいきましょう」
「森へ行きましょうソーニャさん(アハハ)・・・」
 今でも目を閉じるとその時の優しい歌のハミング、大粒の涙の純情が思い出されて苦しくなります・・・今すぐあの時に戻って全ての時間を止めてやりたい・・・
何故?・・・そーしなかったのか・・・

やがて時が過ぎ、アデレードの海岸で一人腹ばいに寝転んで歌った・・・

砂山の砂に 砂にはらばい 
初恋の いたみを遠く  
思い出ずる日
石川啄木「一握の砂」より


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