新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2003年01月28日(火) 震災の年にやった日中韓オーケストラアジア


1994年6月23日、韓国ソウルの「芸術の殿堂」での旗挙げ公演では地下鉄のストライキにも拘わらず、立見客が通路を埋め尽し、2,600人の収容人数を遥かに超える聴衆から大絶賛を受けました。
 阪神淡路大震災が1995年1月、その事はえんぴつShinchan日記の2003年01月20日(月) 神の子どもたちはみな踊る[村上春樹]に書いたのでもう一遍読んでもらえばいーんですけど、その前年に日本=日本音楽集団、韓国=韓国國立国樂管弦楽団、中国=中央民族楽団の選抜メンバーで構成されたオーケストラアジアの神戸公演が決まっていた。

 神戸で韓国から朴範薫先生、日本は三木稔先生、NHKエンタープライズのプロデューサー小野さん(神戸出身)、Shinchan、そして北朝鮮のO氏が集まって、神戸公演はなんとかして北朝鮮の芸術団も加わって演奏したいという、打ち合わせをしました。





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 エピソードとして面白いなと思ったのは、皆和気藹々でやる事に決まった後、朴先生がおもむろに「今から定例の喧嘩するからね、ぴっくりしないでね」と言って、北朝鮮のOさんとハングルでなんか、言い合いをしていました。
 後で訳を聞いたら北の同朋の面子を通してやっているのだと言ってました、なんかよう解らん話ですねー。

 「まだ避難されている方が、大勢おりますんや」いう神戸文化ホールの館長の話で、「まーあんな地震があったんやさかい、無理ちゃいますか」という概念を打ち壊したのは神戸にある総連、民団、華僑の人達の熱意だったのです。

 Shinchanは神戸の友達から、神戸市長田区FMワイワイとアジアタウンの話を聴きました、あの震災の時、中国、韓国、フィリピン、ベトナム、カンボジアから神戸に住んでいる人達の為、それぞれの国の言葉で、震災の情報を流すミニFM曲がボランティアで作られました。

Shinchanは長田区のFMワイワイのスタジオに行って、オーケストラアジアの事を話す事になりました、未だ崩れたままの家や焼け跡が無残に残っていました、そしたら沢山のワンちゃんとニャンコがいるではあーりませんか、聴くところによると買主が居なくなったり、捨てられた犬猫をボランティアの人達の協力で面倒を見ているそうなのです・・・あーええとこに来た・・・とShinchanは思いました。

 DJの女性もディレクターもボランティアなのです、Shinchanの話とオーケストラアジアのCDを韓国語、中国語で放送してくれました。
現在では株式会社となり、多国語の放送をしています。インターネットで世界どこにいても聴けますよ。
FM−YY

岡山の落合町、神戸のしあわせの村で三国が合同合宿練習をして11月に神戸文化ホールでコンサートをしました。
恋歌・山民舞、茉莉花(ジャスミン)、南道アリラン、舟歌(ペンノレ)、サムルノリ協奏曲、鄙歌(ひなうた)、フォーク・シンフォニー伝々囀
 この中で南道アリラン(珍道アリランではあちこちですすり泣きの声が聞こえました、サムルノリ協奏曲の金徳洙さんと三宮を飲み歩いたのは良い思いでです。

その後金徳洙さんとは何度も公演を共にしました、韓国を代表するサムルノリの演奏家であり、奥さんが在日の方なので金さんも日本語が喋れます、素晴らしい方です。
 彼の神戸、大阪での演奏は震災で罹災した人々を勇気づけ、なんと大阪のシンフォニーホールではお客さんが踊りだしました、あのコンサートホールで客が踊ったなんて始めてだと思います、そして南道アリランの時には慟哭の声を聴きました、やってよかったとしみじみ思います。


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