新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2003年01月24日(金) 1枚のレコードが人生を変える

♪1970年のこんにちはー♪ そう大阪万国博覧会でしたね、その時Shinchanは中学生でした、家がその頃はもう西宮にあったので、しょっちゅう千里ヶ丘に行きました、長蛇の列が出来たのはアメリカ館の[月の石]でしたが、決まって行ったのはドイツ館でした、本当はアポロの石が見たかったのですけど、あの長蛇の列だし・・・。
 

















ドイツ館の音楽ドーム

 「Shinchan、あのな、シュトックハウゼンが電子音楽ちゅうてシンセサイザーを使って自作を演奏するんやって!それで打楽器も沢山使うらしいで」
「・・・シンセ???」「まー行ったら解るし」
というK君はShinchanが子供の時からピアノを習っていた先生の同期性で学校は違った(彼は秀才でピアノも上手だった、その後T大学医学部を出て今は脳神経外科の先生)そして、彼の家には現代音楽のレコードがあった、メシアン、ブーレーズそしてな・なんとイギリスからモーグ・シンセサイザーを輸入すると言うのだ、「なんで?」「弾いてみたいやろ」という返事でした。

 そして彼は名門の進学高校に行きShinchanは公立の音楽高校に落ちて、くさってた頃「Shinchan、展覧会の絵聴きにいかへん」と電話がありました、Shinchanがピアノから打楽器に転向する時やっていた曲がムソルグスキーの展覧会の絵だったのです、K君はそれを覚えていたのです。どこのホールでと聞くと「甲子園球場や」「???」


「EMERSON LAKE & PALMERって知ってる」「知らん」「まー行こや切符はもう取ったあんねん」
・・・球場で演奏会?・・・金髪の髪の毛をのばしたかっこいい兄ちゃんが3人高級乗用車で現れ、会場は「ウワ−!!!」という大歓声、で、でも観客席にいた興奮した連中がステージに向かって走り出し、丁度チューニングをはじめていたEL&Pは逃げるので精一杯、誰かがシンセをぶったたいたり、ドラムを投げたりで警備員と警察がやっと取り押さえて・・・コンサートは結局中止。


それで買ってきたレコードがPictures at an exhibition・・・ま、参った・・・滝のように前身に電気が流れた!その頃Shinchanの周りでは、ヴィートルズファンが大半をしめてました、kとShinchanは「あのリンゴスターのドラムは走ってんね、それとあいつらの音程が悪い」なんてジョン・レノンファンに袋叩きにあうような事を平気で言っていました。

Tarkus
もうぶっ飛びました、Shinchanはレコードからオープンテープ(知ってる?)に録音して耳で聞いて楽譜を起しました、ダダダダ、ダダダ、ダダダという4/16+3/16+3/16というリズムです。ShinchanはKからドラムの部分の譜面を起してくれといわれましたが、結局キーボード、べ−ス、ギター譜全部起しました。





↑メッセージがあるよ、クリック


Keith Emerson、Carl Palmer(Drums)とKing Crimsonにいた Greg Lakeはクラッシック音楽の基本がガッチリ出来ているのです、これは日本にいたらアカンと思いました、そういう鬱積した思いの時、ちょっとした切っ掛けでツトム・山下(世界的な打楽器奏者)のオーディションに受かり、世界制覇の旅にでることになりました・・・。





当時ヤマシタ先生はバルトークの2台のピアノと打楽器のためのソナタを一人で演奏したのです。17歳のShinchanヤマシタさんのように肩まで髪の毛を伸ばしてました、あの頃の写真は阪神大震災の所為でくとたのが残念です、でも嘘みたいでしょう。


あの武満徹先生もこのツトムヤマシタさんに惹かれて、打楽器協奏曲『カシオペア』を作曲しました。宮内庁楽部の方から当時の話を聞くと、忍者が打楽器を演奏しているみたいで、その打っている姿があまりにも早くて一瞬消えた!と思ったとおっしゃってました。
(演奏は、小澤征爾指揮・日本フィルハーモニー)

 以上これらがShinchanの原点となっています。




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