2003年01月20日(月) |
神の子どもたちはみな踊る[村上春樹] |
Shinchanはあの時、東京のマンションで朝5時頃までワープロで企画書を書いていました、何時もならNHKは東京の渋谷の風景を写して、全国の天気がテロップでながれるのですが、5:50分頃"大阪で強い地震がありました"という地震情報が流れました。ふーん?震度4と出たので、東京でもたまにあるよな、という感じでそのまま寝ました。 Shinchanはその頃神戸市北区に家を持っていて、東京、京都、神戸と慌しく移動するのが日課になっていました、もちろん妻子は神戸にいます、実家も西宮なのです。 朝何時だったか友人からTELがあり「テレビ見てる、神戸が大変な事になってるぞ」 高速道路が落ちて、神戸の何所から煙が出て燃えていました、京都の弟子にTELして「とにかく京都まで行くから、それから車で神戸に行くぞ」 で事務所にTELして、仕事を当面キャンセルすることと、Shinchanのかわりを探してもらう事を頼みました。そして事務所の携帯電話を借りて、出発しました。ぞくぞくTELが入り、仲間がカンパを銀行に振り込んでくれました、感謝しています。そして京都から大阪の淀川を越えて豊中の手前までなんとか、車でたどりつきました。 とりあえず携帯から自宅と実家には連絡がつき、全員無事だというのも確認出来ました、自宅の息子は「箪笥や食器が落ちて大変やけど家は壊れてへんよ、避難所でボランティアしているので忙しいねん、ただママが精神的に参ってるからはよー帰ってきたって」なんて言っていた。自宅の親父は「大丈夫やけど、携帯ガスコンロのボンベが欲しい」と言っていたので、リュクサック、ヘルメット、ミネラルウオータ、使い捨て懐炉、手袋などを買って歩いた・・・さーそれからが大変、車は大渋滞、消防車や救急車がサイレンだけを鳴らして渋滞の中にいる、崩れた家の廃材をどけて救助している自衛隊員、消防士、警官と一般の人達に混ざって救助を手伝いました。
あ!赤ん坊が・・・皆涙を流しながら・・・毛布に包む・・・おーい機械ないんかー、まだ声がしてんねぞ!・・・男10人がかりでコンクリートを動かそうとするが・・・あかーん・・・どないせえちゅうねん!!・・・。 で武庫川を北の方から渡ってようやく自宅についた、一つ丁目が違うだけで被害の差が大きい、幸い自宅周辺は不思議なくらい家が倒れてなかった、なんだか知らんけどその夜はすき焼きだった、ビールも酒も飲んだ、親父がしきりと笑う・・・西宮の酒工場では倒れたタンクの中で乾杯して酒飲んでるおっさんがおった・・・あの頃皆、多少変だった・・・。
阪神高速ぞいに神戸に向かって歩いてました、阪神電車の魚崎駅前商店街が火を吹いて燃えていた、でも消防車がいない・・・Shinchanが育った神戸が燃えている!
三宮で三菱地所に勤めている友人と会う「銀行も地所もメチャメチャやねん、南京町でラーメン食べよ、10円やで」美味しかった寒さに震えていたShinchanは涙が出るほど嬉しかった、南京町の方有難う御座いました。 そして友人のスクーターで自宅に向かった。 妻の言葉 「今ごろ何しに来たん!」
「・・・ごめんな・・・」
生命と家は無事でした、でも心はお互いに崩壊しました、村上春樹さんの『地震のあとでー神の子どもたちはみな踊る』をお読み下さい。
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