新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2002年12月26日(木) '85これが青春だ!

 あいかわらず、オランダとパリを行ったり来たり、日本での演奏活動の合間にやる比較音楽の研究だ。
 ある時パリ音楽院の講師仲間がモロッコへ車で行こうと言い出しました、「途中砂漠もあったりするからプジョーの四駆が必要だからリースでもするかなー」なんて言うので、「いや三菱パァジェロだよ」とShinchanは拘りました。「パアジェロ?」「じゃ俺はかってに借りて行くぞ!」「自由にすれば〜」なんてやりとりをしてました。
 じゃ勝手に借りて、素適な女の子を誘うか・・・なんて三菱のパリ支社に行きました。受け付けもディラーもフランス人だったので、まー普通に会話をしていたら

渋い、白髪交じりの髭のおじさんが「君、フランス語操れるのかい?」・・・どこかで見た・・・あー「これが青春の先生!」紳士は恥ずかしそうに「夏木陽介です、今度パリ・ダカールラリーに出場するんだけど、君メカニックと通信隊の通訳やらない?」「え?パリからダカールまでですか、途中モロッコも通りますか?」「通るよ、でもねー23日間走り続けるのだよ」「???」
 経路はフランス、スペイン、モロッコ、モ−リタニア、マリ共和国、セネガルの6カ国。
「あのさー、太平洋をね、小さなモーターボートで一カ月走るようなもの。みんなSOSの発信器を持たされて、緊急の場合はそのスイッチを入れれば誰か助けに来てくれるはずだと。でも、スイッチをONにすると同時にリタイアが決定し、その年のパリ・ダカは終わります。もっとも、来ない場合もあるんですけどね、そんな感じかな」
なんて気楽に言ってくれる、それからフランス人のナビゲーター兼メカニックのクロードさんに個人教授を受けました。
「パリ・ダカでは、毎年、多いときは6人くらい事故で亡くなるんです。目の前で何人も死んでいる人を見たよ、だから走り続けるのだけれども、休息や食事の時間、トイレタイムその他、水、燃料、オイルの補給のタイミングが勝敗を分けるのだ」


砂漠の夜はマイナス18度くらいになります、そして砂が動く音、風が遠くから近づいて来て、通り過ぎる音、これらは都会に居ては絶対味合えない事です、それと180度満天の星、何度も見える流れ星、天の川、当時はカーナビなんてなかったので、太陽と星を点と点の三角形で計算するコンパス、そしてShinchanの主な仕事は通信機で送られてくる、コントローラーの言葉、風が1日吹くと、主催者が連絡してくる目印が埋まってたり、一山が消えていたり、逆に増えていたり、唯でさえ通信状態が悪いのに、なまりのあるフランス語が聞こえてくるのには参った、それと隠語が卓さんあってかなりHな単語だったけれど、これはShinchan直ぐに慣れました。たとえば、・・・よく前儀するようにとかどこどこのチームはピストン運動が下手だとか挿入しっぱなしは命取りだ・・・なんて通信が入るのです。
 そしてキャンプ地には勿論女性チームがいます、中には外国の王女様や皇太子妃がキャンプしてたりします、そして全て女性で編成されたチームもあります。ので「子猫ちゃんを見ても消防士になるな!」なんて通信が入ります・・・解りますか? 





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そしてモロッコのキャンプ地では各チームのメカニックが夜通しエンジンチェックや走行実験をやっていた、走るのが目的なので、マフラーなんてついてない、しかし人間って自然の中で1日走ってクタクタになっていると、側で暴走族が走り回っているような騒音の中でもスヤスヤ眠れるのです、演奏で国内や海外のホテルで寝つけなくて困るShinchanは、やはり仕事として大自然のリズムに合っていないのでしょうね、今でも不思議です。
 この時以来国内でもバァジェロ、海外でリースするときもパァジェロ一辺倒になりました、雪山の八ヶ岳でも威力を発揮してくれます。



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