Shinchanは研究論文執筆のためオランダのユトレヒト総合大学で比較音楽学の講義を聴きそして巴里の音楽院で講師勤めていた時です、「日本人が女を食った」???しかも食べた相手はオランダ女性らしい・・・。
犠牲者のルネ・ハルデルベルトは裕福なユダヤ人の家庭の出身で、博士号取得のためパリに来ていた。佐川のアパートを訪ねたのは、ドイツ近代表現主義の詩人ベッヒャーの詩をドイツ語で朗読して欲しいと佐川が高額の報酬で頼んだからだった。その前にも何度か佐川宅を訪問しているが深い間柄ではなかった。
1981年、プローニュの森で発見された2つのカバンのひとつの中から
人の足が....
事件はここから始まった!
佐川一政の冷蔵庫には10を超える皿の上にのったルネの
肉塊でいっぱいだった...
当時はテレビで犯人の顔が最初の頃は放映されたが、そのうちイニシャルだけになった。もーソルボンヌ界隈ではその話で持ちきりで、なんと逮捕された男の名は佐川一政、当時33歳。フランス文学と日本文学の相互影響について博士論文を書くべく、パリのサンシエ大学院(第三大学)に留学中で、被害者であるルネ・ハルテヴェルトとは同じ大学内の友達だった。
佐川はシェークスピアの「テンペスト」に特別な意味を見出し、修士論文のテーマにした。佐川がフランス語で著した修士論文は教授たちの高い評価を受け、逮捕された時には出版される直前だった。
取調べ中の証言によれば、人肉食の願望は小学生の頃だったという。3歳の頃に叔父と「人食い鬼」に食べられるという設定の遊びをしていた。
16歳のとき人肉食の願望について精神科医に電話で相談を申し込んだが、その医師は相談に応じなかった。和光大学3年のとき35歳のドイツ人女性宅に忍び込んで逮捕されたが、佐川の父親の払った示談金を女性がうけとって告訴を取り下げたため、有罪にはならなかった。
1977年28歳のとき、シェークスピア文学で修士号を取得しパリに留学する。
台湾からの留学生が言うには「俺達台湾人は日本人と同じ顔をしているから、最近女の子が逃げるんだよ」
「それは災難だったねー、日本人の僕にはそんな事ないよ、きっと犯人と君の顔が似てるからじゃないの」
「それで、心配した大学が[カニバリズムの起源]っていう講義をするらしいよ、君も来ない?」
というのでその第三大学に言ってみた。
ゴヤ
「わが子を食うサトゥルヌス」サトゥルヌスは息子たちが成長して自分を滅ぼすのを恐れ、5人の息子を食い殺したというギリシャ神話の神。
食人には,ショッキングで胸が悪くなると同時に,人を引きつけてしまう何かがある。食料が尽きた探検隊や飛行機事故の生存者が死んだ仲間の肉を食べたという話でも,パプアニューギニアの儀式の話でも同じだ。人肉食いは新聞の見出しやホラー映画のテーマとなり,嫌悪感を催させながらも,人々の関心を集め,とりこにする。欧米社会では多くの人々にとって,食人は究極のタブーだ。それはあくまで自分たち以外の文化や時代,ほかの場所の出来事でしかなかった。そして,過去数世紀の人類学の調査にもとづく食人についての知識がきわめてあいまいで中途半端なため,この習慣を完全に否定することもできず,逆に,食人がいつ,どこで,なぜ行われたのか正しく理解できてもいない。
現在,食人の真実に光を当てるような新しい科学的な証拠が発見されつつある。金属器の使用やエジプトのピラミッド建設,農業の開始,あるいは後期旧石器時代に多くの洞窟壁画が描かれるよりもずっと以前に,さまざまな場所で食人が行われていた可能性のあることが明らかになった。もちろん私たちの祖先も例外ではない。北米南西部に残る先史時代のプエブロ文化の遺跡から太平洋諸島まで,破壊して捨てられた人骨は広い地域で発見され,場合によっては無数に見つかっている。これらの古人骨を調査する骨学者と考古学者の用いる分析機器や方法論はしだいに発達しており,ここ数年の調査で,ついに科学者たちは先史時代に食人があったことを示す有力な証拠を提示した。
なんて説明を聞いて、納得出来たような出来なかったような、しかしまぎれもなく猟奇殺人事件だったのだが、その後、無罪となり、佐川君とまで言われ唐十郎との往復書簡なんかが出版され、その佐川君は・・・
フランスの個人主義はShinchan達を普通に扱った、これが日本だと奇異な眼で見られるのだが、この時はその個人主義の恩恵をありがたく受け取ったのだった。