新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2002年11月20日(水) 蝶々夫人

「Shin坊蝶々好きか?」「・・・うん」「ほなオペラ蝶々夫人、見にいこか?」「・・・・」
 Shinchanのおじいちゃんは大阪フィルハーモニー交響楽団が上演する、オペラ蝶々夫人を見に行くのにShinchanを連れて行くことにしました。
 おじいちゃんは指揮者の朝比奈隆さんと友達だったので、特別の計らいでShinchanをコンサートに連れていくことが出来ました。
「比奈ちゃん、こん子、ワシの孫やね、でもなー言葉が遅れててなー、困ってんね、それでワシがヴァイオリン教えてんねけど、どうもピアノのほうが好きみたいでな、音階は全部ドイツ語で覚えてるんや」


「そうかいな、そんならゲネプロの時き来たらよかったのに、ふーん、ボン、そんなにピアノ好きか?」
「絵が・・・シュキ」「絵かいな!ほうー、そうか」「チョウチョ?」「あー、蝶々夫人な、ボン見ときやおじちゃんがなー棒振るとなー、沢山の楽器や歌の人が音出すねで、そやなーボンは音楽家になり、そしたら言葉なんかほんのちょっぴり喋れるだけでええのや」
「・・・・・」
「このお話はなー、『坊や、坊や、可愛い坊や、小さな神様、バラのようないとしい坊や、私が死んでいく姿を、汚れのないお前に見せたくない、お前は海を越えてあちらにお行き、お前は御空から栄光に満ちて授かったの、幸せになるのよ、お前の可哀想なお母さんの顔をよく見るのよ、決して忘れないように、よくごらん。いとしい子よ、さようなら、さあ、遊んでおいで』と、坊やを遊びに行かせ、懐剣を胸に突き刺し、死んでいくんや、悲しい話やれどええ音楽なんやで、 ほな又な、Shin坊、又おいでや」









 Shinchanは吃驚しました、そして訳もなく涙が出ました。
「どうや、凄いやろ、Shin坊がピアノ弾くんやったら、そのうち比奈ちゃんの指揮でオーケストラバックに弾いたらええんや、おじいちゃんに任しとき、そやから頑張りや」

・・・ありがと・・・そのうち弾くよ・・・朝比奈せんせの棒で・・・オーケストラと・・・一緒・・・

★トップ写真の喜波貞子さんは?
「蝶は還らず」によると、喜波貞子は1902年(明治35年)11月20日、横浜に生まれた。母方の祖母が日本人、祖父はオランダ人で、父親はオランダ人商人だった。西洋人らしい顔立ちの中にどこか宝塚女優のような雰囲気があるのはそのせいだろう。1920年にミラノに渡り、声楽のレッスンを積んだ後、1922年、「蝶々夫人」のリスボン公演にマダム・バタフライ役でデビュー、以後、ヨーロッパで次々と公演を行い、三浦環をしのぐ人気を得た。後にやはりオペラ歌手だったポーランド人ラヴィタ・プロショフスキーを夫とし、戦後はニースで暮らした。1983年にそのニースで亡くなっている。



大阪フィルハーモニー交響楽団

http://www.osaka-phil.com/profile/profile.htm




 


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