新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2002年10月01日(火) 番外編ベルリンの壁今昔


Shinchanは巴里のJazzmenと一緒にライブに出演するためにベルリンにやって来ました。ユトレヒトからBMW5シリーズでアウトバーンをかっ飛ばし、ベルリンで下りましたが、一つ気が付いた事は独逸がエコロジーの国だと言う事で、信号待ちの時もほとんどの車はエンジンを切ります、まー今の車がエンストすることはありませんが、ちょっぴり不安でした。










巴里のJazzmenピエール達とライブ,ベルリンシンフォニーホール

1972年、Shinchanは巴里国立高等音楽院に席を置いていたのですが、カラヤン率いるベルリンフィルの練習が見たいのと、師匠の先生がベルリンフィルの職人ティンパニストと言われたテーリヘン先生のレッスンを見てみたいなという理由からここベルリンにやって来ました。
 Shinchanにとって、当時東独逸の中に西ベルリンがあるというなんとも地理的にも理解出来ない場所でした。


チェックポイントチャーリー

今はカラヤンアカデミーといわれてカラヤン財団が運営しています、当時はカラヤン塾という感じで、ベルリンフィルの練習を通じて勉強し、ある時は団員の変わりにに演奏したり指揮者はカラヤンの見てる中で棒を振らされると言う、正に実地訓練の場所でした。
 テレビなのでは目を瞑って指揮をするカラヤンの映像をよく見てましたが、実際は非常に細かく、繊細で又目をカッと開いて大きなアクションをしていました、あの映像は自己演出だったのですね。
 Shinchanの感想としてテーリヘン先生の演奏は弟子には受け継げない、宮本武蔵のような感じを受けました、トレモロ奏法(連打)の時はマレットの上方向は頭を軽く超える位置です、凄まじいffトレモロです、そしてppの一音でも、マレットは頭上からゆっくり落ちるのです。

見物台から東側を眺める、画像提供「かぜのように」http://www2.ocn.ne.jp/~khongo/berlin.htm
霧雨のベルリン、過って来た時には壁がありました、僕はここにも青春の尻尾を起き忘れているのだと・・・もう二度ともどれないあの時、戻ってこない刹那の音、雨はなんだか感傷的にしますね。19才の僕がキョロキョロして見るもの聞くもの全てに驚いて、迷っている切ないShinchanに声をかけてやりたくなりました。

おまけ企画

ShinchanのCDが聞けるよ!


[Marimba Spiritual] by Minoru Miki, Marimba solo by Keiko Abe

♪GO ON


 < 過去  INDEX  未来 >


Shinchandazo [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加