Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2004年04月21日(水) 価値のあるもの

自分にとって、僕にとって価値のあるものとはなんだろう。いったいどうすればいいのだろう。正しいのは何なのだろう。人格の根本をつかさどるはずの、価値判断が最近、あいまいだ。

いろいろな物事があって、それぞれは、いろんな人にとって価値のあるものだったり、なかったりする。道端の花をこの上もなくいとおしく思う人もいれば、それを踏み潰すのが快感だと感じる人もいる。それはそれぞれの価値判断であって、誰が正しいと決められる問題ではない。道端の花は、放っておけば毒を撒き散らす毒草かも知れない。そうでなくても、花粉を撒き散らして花粉症を引き起こす原因になるかもしれない。誰が正しいかなんて、分からないのだ。後になっても分からないことが、そのときそのときで分かるはずもない。

では、僕にとって正しいこととはなんだろう。正しいことって何だ?価値のあることとは何か?世の中には多くの人がいて、その多くの人が、それぞれに判断をして生活をしているのだろう。では、僕は?何かをするためには、目標とか目的とか言われるものが必要だろう。でも、それには自分にとって価値のあるものを知らなければならない。自分にとって価値のあるものだからこそ、時間を費やして、苦労をして、成し遂げるだけの価値があると信じられるのだ。それだけの意欲を得られるのだ。

僕にとって、それだけの価値のあることなんて何もない。社会に出て、いつまでも平社員のままじゃ嫌だと言う人がいる。けど、僕は最低限のスタンダードさえ満たしていれば、あとはどうだっていい。不満がなければ、満足する必要はない。そもそも、どうすれば満足できるのかなんて分からない。最高なんて求めちゃいない。僕が求めるのは、自分にとってのスタンダードだ。その場、その場でスタンダードを満たした生活さえしていれば、それ以上、何かがほしいだなんて思わない。他に価値あるものがほしいとも思わない。

僕は何をすべきなのか。自分でしたいことなんて何もない。けど、22歳にもなって他人から与えられることだって、もうほとんどない。僕は今でも多くのものをもらいつづけているけど、すべきことなんて与えられるものじゃない。

だから、何かを見つけるために、そして、何かを見つけたら、それを成し遂げるだけの最低限の力を身につけるために、大学に残ろうと思った。大学では、知識と時間が欲しかった。視野を広げるための、そしてそれ以上に、刺激をもらえるだけの知識が欲しかった。そしてそれ以上に、最低限の力を身につけるために、より具体的で実践的な力…僕の場合は、PCのスキルってやつを身につけるための時間が欲しかった。しかし、大学院にはその両方がなかった。

大学院は、学ぶ場ではなかった。教育のための機関としては、僕から見れば落第だ。大学院は、建て前はどうだか知らんが、本音を言えば教育のための機関ではないのだと感じている。大学院は、研究のための機関だ。大学院を組織するあらゆる人間は、教育ではなく研究のために存在している。研究の過程で教育の効果も得られるのだとしている。建て前から言えば、論文は学習の成果を示すもののはずだ。それを、入学直後から準備するなんておかしいではないか。大学院で十分に知識を身につけた上で、その知識をもとに論文を書くのが、卒業の基準としての論文のあり方だろう。なのに、論文は大学院の2年間を費やして書くことになっている。これは矛盾だと、僕は感じている。大学院で知識は得られない。大学院で得られるのは研究のための環境だ。知識が得たければ、自分で得るしかない。研究を本来の目的としない僕が進むべき道ではなかったのだ。

今の大学院にも、僕にとって価値あるものはない。自分の研究にも、価値なんて感じない。船長のシミュレーションをするシミュレータなんて作ったところで、誰が使うものか。使ったとしたって、そこから得られるものにどれほどの価値があろうか。使った人が満足をし、価値あるものが得られたと考えても、その結果が世の中に認められるだろうか。そして…、世の中に認められたとして、そのことに価値なんてあるのか。もし世の中のすべての人が価値あるものと認めたとしても、僕にとって価値あるものとなりうるのだろうか。

自分に価値を見出すことができず、世の中にあるものにも価値を感じることができない。価値を感じるとすれば、それは人だけだ。だから僕は、多くの判断を人によって行ってきた。自らの世界を築き、多くの物事を自らの世界の中で位置付け、感覚的にあるいは論理的に評価できる人を、僕は知っている。その姿があまりに見事だったために、僕はその後を追ってしまったのだ。過程なんてほしくもなかった。必要だったのは、ただ修士という結果だけだった。修士という学位に魅力を感じたわけではない。あこがれる人と同じ立場に行きたかったのだ。強く自分を信じて、それを力強く語る姿が、僕にはたとえようもなくまぶしく見えた。だから、近づきたかった。僕は、自分の考えを強く語るなんて、興味も関心もないのに。ただ、その姿にあこがれただけで、自分の進む道を選んでしまった。それしか、僕にとっての価値はなかったからだ。

社会的に上の地位なんて興味はない。多くの人を従えたり、多くの人に尊敬されたりすることなんて興味はない。そうだ、僕はオウム真理教の信者に近いかもしれない。強い自分の意志をもたないから、なにか強く光り輝くものがあると、それに惹かれるのだ。そして、意味も考えもなく、近づいていくのだ。なぜならその時点で、僕にとって他の選択肢など、意味を持たないからだ。強い意志の元、しっかりした道を描いているのなら、光り輝く存在なんて意味はない。でも、それ以外に何もないのなら、取りうる選択肢など、他には何もないのだ。

一つのものには、人によってとらえ方がある。それは、それぞれの人によって異なるものだ。違いを許容して生きなければならないが、その中のひとつとして、自分のとらえ方を持たなければならない。それがない僕は、世の中を今まで無難に渡ってこられた。確固たる自分の世界なんてないから、他人の世界に合わせて、いくらでも妥協することができた、いや、できるのだ。プライドなんてない。アイデンティティもない。自分だけの何かなんてない。

最近、ネットワーク上の自分は、浅見光彦という架空の人物を真似しているのだと気づいた。ご存知だろうか?内田康夫という作家の小説に登場する登場人物だ。主人公なので、要するに「かっこいい」わけだ。これを現実に真似するのはとても無理だが、ネットワーク上なら文字だけだし、一言一言に考える余裕があるから何とかなってしまう。家にはこの内田康夫という人の推理小説が100冊以上あって、それぞれを5回以上は読んでいる。それほど好きだったわけではない。

ところで、授業料免除の申請手続きをしてきた。不備があったのでその辺は何とかするとして、どうやら通らないらしい。さすがに、親父の給料が1000万を超えるようじゃ無理か…。親父は学費なんぞ出さない、って言っているのだが、どうやら大学には通用しそうにない。


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