とりあえず卒論を助教授に預けてきた。まあ、内容はともかく卒論はできあがった。それでは何の意味もないのだが。やはり事前の準備ってやつが大事なのだな。とは言え、物事は具体的でなければ行動に移せない。やろうと考えるときは、具体性を詰めなければだめだな。何を、どのようにやるのか。文書を作るときはどんな書式にするのかを考えなければ、なかなか書けるものじゃない。
と、ここまで書いたところで教授から電話がかかってきて、とりあえず出してしまえと言われた。というわけでもう一度卒論を印刷して出してきた。それから教官たち4人が読む分を印刷しろと言われたのでそれも印刷した。これだけで何百枚紙を使ったのだろう。とりあえず両面印刷にして紙をケチったが、なかなかものすごい量だ。助教授が紙を50000枚も買ってきたときは何を考えているのかと思ったが、このペースで使うのなら50000枚くらい買ってもいいのかも知れない。ただ、どう考えてもプリンタのトナーが先に尽きるが。
ろくに見てもらわずに提出したので、おそらくこれから修正が入りまくることだろう。いったいどこまで直すことができるのか。理系の論文なのに数値の裏づけがないってのも…。ただ、シミュレータを作って、当初計画した機能があるかないかという評価をしているから、数値を使おうとすると何らかのこじ付けが必須になるわけだが。しかし、それでもきっと数値は必要なのだろうな。本質的な部分はともかく、形式的に問題があろう。そもそも、数値で評価できない設計が問題なのかもしれないが。
まあ、反省材料は山のようにある。一度整理して反省し、今後に生かさなければなるまい。でないと、大学院を卒業できない可能性が高い。ソフトウェアの開発で論文を書くというのはなかなか難しそうに感じる。他のテーマで論文を書いていないから何とも言えないわけだが、そもそも、ソフトウェアを使えばいろいろと論じることもあるわけだが、開発そのものについてどれほど論じる材料があるというのだろう。もちろん、開発の手法などは考える余地が多分にあるだろうが、そんなことは問題にしていない。結局、修士までのつなぎだからこんなことになってしまったのだろうな。まあ、論文はともかく、いいソフトが作れればそれでいいとしよう。
そもそも僕は、大学院へ行きたいと思ったのは、ソフトウェアの勉強がしたいからだ。なにも論理的な思考力を養ったり、ましてや論文を書いたりするためではない。つまり、僕の本来の目的から言えば論文を書くことは卒業するためにはやらざるをえないことであるわけだ。まあ、論文に苦労するあまり、本来の目的を見失わないようにしなければ。しかし、大学院でソフトウェアの勉強ということ自体、そもそも進路の設計を誤った気がする。とは言え、すでに取り返しのつく問題ではない。今から変更するとなれば多くの問題が予想される。入学金がもったいないし。大学院で得られるものはいろいろあるだろう。重要なのは、大学院に入ったからって研究をするのではなく、本来の自分の目的を見失わないことだろう。