Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年05月13日(火) 遺伝と環境

2003.5.13(Thu.) 13:39

今日は昼間から大学で。やらなければならないことがあるのだが、どうもやる気がしないので。勢い込んで大学に来ても、やらなければ意味がないよなあ。

朝は割とすっきり目覚めた。珍しいことだ。やはり、2回目の目覚ましがあるからと言って1回目の目覚ましを止めたあと寝てしまうと、寝起きは最悪になるようだ。あとは、寝る前に飲み物を飲むことを忘れないことだ。何か飲んでおけば、トイレに行きたくなって自然と目が覚める。あまり体に良くないかもしれないが、寝起きには代えられない。

最近はあまりにPCに向かう時間が長い。だから、どうも目が疲れている感じが抜けない。視力も下がってきたし。かと言って、現状では何をやるにしてもPCから離れられない。大学の研究にしろ、家で遊ぶにしろ、結局は同じことだ。姿勢を良くするよう、心がけるとするか。

朝、大学まで電車で来たのだが、新型車両が来たのでそのまま乗ってしまった。だがそれは各駅停車で、そのまま乗っていては倍近く時間がかかってしまう。しかし、隣に座っている人が美人だったので、しばらくそのまま座っていた。…僕もなかなかに頭が悪い。まあ、男なんてそんなものだ、と思うことにする。

そのあと、研究室に行こうと思ったのだが、その前に健康診断の再検査を受けに行った。掲示が出ていたのが4月30日なのでかなり遅いが、まあ、履修申請のように、期限を過ぎていたとかそういうことではないので問題はあるまい。そもそも、至急という記載があっただけで、期限などは記されていなかったのだが。

レントゲンに何か出ていたのかと思ったが、そういうわけではなく、立ちくらみということで確認のために呼ばれたらしい。最初の健康診断と同じような問答を繰り返して終わりだった。医者がくるまでに少し待たされたが、まあ、問題はあるまい。そのときに時間つぶしに読んでいたブルーバックスの本はあまりおもしろくなかったが。どうにも感情的に過ぎる気がした。人間行動遺伝学かなんかだったと思うのだが、優生学の流れを汲む学問で、かなり批判の対象になりやすいらしいのだ。

では、そもそも優生学とは何か。僕は専門家ではないので詳しいことは知らないが、イメージを浮かべるためにはヒトラーを思い浮かべるといいだろう。アーリア人種は優れていて、ユダヤ人種は劣っている。まあ、結論としてこのようなものがくるのが優生学だ。と言っても、ユダヤ人が劣る、などというのが科学的な手法によって得られた結論だとは、到底思えないのだが…。歴史を見ても、ユダヤ人には歴史に名を残すようなきわめて優れた業績を残した人が何人もいる。アインシュタインがいちばん有名だろうか。

で、この優生学はそもそも進化論の流れを汲んでいる。進化論については説明の必要はないと思う。突然変異や有性生殖などで限りなく多様化した生物は、その環境に適応したものだけが生き残るとするものだ。今になってみれば当然のように思えるのではないだろうか。しかしこれは、19世紀最大の研究と言われ、その当時の社会に大きな影響を与えたらしいのだ。なんと言っても、キリスト教の「世界は神が創った」という価値観を覆したことが大きい。それ以外にもいろいろあるようだが。

とまあ、進化論の考え方を受けて、「優れた人間が生き残り、劣った人間は排斥されるべきだ」というのが優生学の論旨だ。実際は違うのかもしれないが、少なくとも一般にはこのような認識を持たれている。当然、受け入れられるはずもなく、また、受け入れるべきではないと思う。んで、人間行動遺伝学がこいつの流れをどう受け継いでいるのかと言うことだ。この学問は、人間の行動には遺伝も影響すると言う考えが基本姿勢らしい。つまり、同じような環境で同じように生活しても、その結果として現れる人間(表現型)は異なると言うことらしい。この原因として、その人固有の遺伝子が影響するのではないかと言うことだ。で、これを主に一卵性双生児に対する実験によって証明しようとしている。言っていることはもっともで、研究としても意義があるのではないかと思うが、その表現があまりに感情的過ぎて、読んでいて不愉快になる。どうやら、優生学の流れを汲むせいで必要以上に批判されているようだ。まあ、それ以外にも、データの捏造だとかいうスキャンダルがあったらしいのだが…。

この筆者が強調していることは、遺伝子が影響するからと言って、遺伝子によってすべて決まるわけではないということだ。これもそれほど受け入れにくい意見ではないと思う。極端な話、どれほど話術に適した遺伝子をもっていたとしても、まわりに英語を話す人間がまったくいず、英語を学ぶこともまったくなければ、英語を話せるはずもない。遺伝によって引き継がれた能力をどれほど引き出せるかが重要なのだ、とのことだ。身体的特徴だけでなく精神的な部分も遺伝することは確かであり、これを認めるべきだとしている。

実は日本の教育自体、いや、日本に限らず教育ということを行う場合のほとんどで、このようなことが意識されている。遺伝がどうとかという話ではなく、才能があるならば引き出す、ということだ。日本の場合は教育勅語にそのような記載があり、現在では表で議論するのはタブーとされているようだ。ちなみに教育勅語に記されていたのは、子どもを5%のハイタレントと95%のロータレントに区別し、その5%のハイタレントが国を導くべきだ、などというものだ。このようなことは、古くはプラトンのころから言われているそうだ。プラトンというのはアリストテレスの師匠だ。

まあ、要するに、性格自体は遺伝しないが、その資質は遺伝するということだ。将来神経質になりやすい傾向が見られる、とかそういうことだ。統計的な処理で、このような人間の性格がどの程度の部分、遺伝に由来するものなのかも示せるらしいが…。

なんだか支離滅裂だ。頭がまとまらない。研究室では集中できないのだろうか。あまりに刺激がなさ過ぎるのかもしれない。殺風景な部屋にただPCが並んでいるだけだからな…。自分ひとりでは気楽に部屋も出られない。やはり誰かにいて欲しいものだ。さびしいのではないかという危惧は見事に当たったと言える。

独りなんだからと、ためしに床に寝転がったりしてみたが、やはりそんなことをしても何にもならない。本当に、どうしようか…。家で一人でいてもなんとも思わないのに、研究室に一人だと、これほどさびしいとは。意外だが、どうしたものか。

さしあたり、きつい作業はなしにして、HTMLやJavaScriptでもやってみるとするか。

2003.5.13(Thu.) 14:44


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