Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年05月05日(月) 各種ハラスメント

2003.05.06 (Tue) 4:02:05

特にこれと言ったことはしていない。思う存分休みを満喫しただけだ。まあ、ゴールデンウィークはそんなことになるんじゃないかと思っていたが。

ということで、手抜きしてしまった前日の分を少し補足する。セクハラに限らず、ハラスメントの問題は、多くの場合、対策を練ることができると思う。たとえば、会社に相談窓口を設けたり、そもそも社内の雰囲気を変えるようなことだって、できるだろう。セクハラ以外のハラスメントはあまり知られていないようだが、その中でもまあまあ知られているものとしては、テクハラというのとアルハラというのがある…はずだ。あまり自信はないが。

テクハラはなんの略なのかよく分からない。テクニックとかそのあたりの言葉だと思うのだが。これは、若い社員が中年以上の社員に対して行う場合が多いハラスメントで、主にPCの技術を知らないことを利用した嫌がらせのことだ。紙でも処理できる書類をあえてメールで送るなど、やり方にはいくらでもあるだろう。これは、時代の流れというのがあるから、嫌がらせなのか、それともコンピュータを使った効率化のためにはやむを得ないことなのか、判断は難しいところだ。ちょっと調べてみたが、やはりそれなりに問題になっているようだ。ネット最前線・スペシャルに結構詳しいので、興味があったら見てみてはどうだろうか。テクニカル・ハラスメント、あるいはテクノロジー・ハラスメントというのが元の言葉のようだ。ちなみに、テクハラという言葉で検索すると分かるのだが、この問題に関しては、かなり理解されていない部分があるようだ。

アルハラというのは、古来からある嫌がらせだ。一気飲みさせるとか、まあ、そういう酒に関する嫌がらせのことだ。アルコール・ハラスメントというのが正式な名称だ。イッキ飲み・アルハラ防止のページというのがあるので、ここを参照すると分かりやすいだろう。

が、ここで言いたいのはそういうことではなく、直接不特定多数の人と接するような人の場合だ。そしてこの場合のセクハラとは、主に採用時の問題を指す。セクハラと言うより、差別と言う方が適切かもしれない。女性を顔によって差別したら、それはセクハラだと思われるので、セクハラという表現を用いたのだが。

顔によって差別するとはどのような場合か。たとえば、フライト・アテンダントなどの例が挙げられるだろう。あまり一般的ではない言葉なので、もう少し通りのよい言葉にしてしまうと、スチュワーデスというやつだ。まあ、この言葉自体がセクハラになりかねないらしいので、なるべく使うべきではないが。詳しい知識はないが、看護婦というのも場合によっては問題になりかねない。まだ一般的な言葉にはなっていないが、極力看護師と言うべきだろう。

説明の必要などないと思うが、フライト・アテンダントの例とは、要するに飛行機に乗って、アテンダントの人が美人だった方が、客は喜ぶということだ。それ以前に、客はフライト・アテンダントが美人である、と期待して飛行機に乗っているという場合もあり得る。もちろんこれ以外にも、レースクイーンなど、顔で差別している事例には事欠かない。会社側がどのような姿勢であろうと、利用者側は従業員を顔で差別するし、顔がよいというだけで評価が上がるのもまた、仕方のないことだ。いくら差別をしないと建前を言っても、客はそんなこと、知ったことではないからだ。

企業は利潤を得なければならない。これは経済学の最初に習う基本的な原則で、利潤を目的としない組織は、そもそも企業ではない。そういう組織はNPOなどと呼ばれる。そして利潤を得るためにもっとも重視すべきコトは、金を出す人間の意向に沿うことだ。客が欲しいものを、欲しいときに、欲しいだけの量を、欲しいと思える価格で提供することだ。で、上にも述べたように、客は顔がよい従業員を好む。従って、従業員を採用するときに顔で差別すれば、利潤につながる可能性が高い。企業は利潤を目的としているのだから、ここで顔で差別するなと言えば、企業の存在意義そのものと矛盾する。顔の善し悪しを数値化できるわけでもないし、このような差別をなくすことは、事実上不可能だ。

で、何が言いたいのか。現実なんてこんなもんだ、世の中なんてくだらない、などと言いたいわけではない。現実がこのようなものであるのはおそらく確かだと思うが、問題なのはそこではない。もしこれが事実であれば、それを正しく認識さえしていれば、いくらでも考えようはある。印象は本人の努力次第でいくらでも変えられると言われたのだが、これもまた、真理だろう。だが、このようなことを考える場合、結局のところ、パッと見の印象で評価されるということを考えておかなければならない。

なのに、なぜ学校やマスメディアは、このような問題から目をそらすのだろう。マスメディアはこの点、まだマシだ。特にひどいのは学校だ。大学ともなるとそうでもないのだが、高校くらいまでは、常に理想ばかりを語り、あまりに現実を見ようとしない傾向にある。教育者そのものが理想を見すぎている傾向にあると思うのだが。物事を思考することは、現実を正しく認識することから始まる。何かの前提から結論を導く場合、前提が正しくなければ、結論が正しいかどうかなんて言えるはずもない。極端な例だが、たとえば、僕は男だ。にもかかわらず、僕が女だという前提から議論をしたところで、それは空想の世界としてはおもしろいかもしれないが、現実に何か得られるわけではない。僕は男なのに、僕は女だから、ああだ、こうだ、などというコトを言えるはずがないのだ。

現実を見過ぎると楽しくないのだろうか。そんなことを言ったって、今の生徒たちは、十分すぎるほどに現実を知っていて、それで絶望しているのだと思うが。なんせ、絶望するような情報はいくらでも流れてくるのに、希望をもたらすような情報は教師や学校によってゆがめられていて、どこまで信じられるのかまったく分からない。これでは、やる気を出せなどと言う方が無理だ。今の僕もそうだが…。

2003.05.06 (Tue) 4:50:52


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