Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年05月04日(日) 生物学の自然観

2003.05.06 (Tue) 4:52:10

どうせこっち側はほとんどの人が読まないだろうから、適当でいいだろう。

新聞や啓蒙書など、いろいろな生物学の資料を見ると、疑問に思うことがある。

それは、目的論的自然観で物事を見ていないかということだ。事実がどうであるかは知らないが、科学の姿勢は、神が何かの目的を持って世界を作った、というものではない。この世界には何らかの秩序があり、すべてはその秩序に従っているのだというのがその姿勢だ。そしてその姿勢の極致が、法則というものだ。ある条件を満たしたすべての場合において、物事の挙動がまったく同じパターンを示す。これを数式などで記述したものを法則と言う。地球上ではどんなものでも常に一定の加速度で加速される、などだ。まあ、厳密ではないが。これを、機械的自然観と言うはずだ。自然はあくまでも機械だとする考え方だ。特定の条件で特定のことをすれば、その結果は一意に定まるのだ。

科学は自然科学に限らず、すべてこのような発想で考えられるはずだ。そもそも、そのようなものでないと科学と言わないはずだからだ。

にもかかわらず生物の場合は、この酵素はこの目的のために作られる、という記述が多く見られる。読む方に分かりやすくするためなのだろうが、これはかなり気になる。すべての生物のすべての機構は、誰かが何らかの目的のために作ったものではないというのが今の科学の姿勢だ。進化を続ける中で取捨選択され、たまたま残っているのが今の生物なのだ。従って、免疫機構が、まるで体を最近やウイルスから防御するために存在するように見えても、それはたまたまそういうシステムになっているだけで、それが防御の目的を持って作られたわけではない。進化の過程でたまたま遺伝子に免疫というシステムが記述されたから、そういうシステムが存在するに過ぎないのだ。

まあ、別に構わないのだが。僕よりも専門家の方がよほど詳しいだろうし、彼らがよいと思っているのであればよいのだろう。

2003.05.06 (Tue) 5:05:29


 < 過去  目次  未来 >


Seak [MAIL]

My追加