2003.5.1(Thr.) 23:07
この日は、久しぶりに大学に行って来た。なんと一週間ぶりだ。書類を提出したり、卒論のプログラムを書いたり、何かとやることはあったはずなのに、いったいなにをやっていたのだろうか。まったく…。
講義そのものは、四限しか受けなかった。ヒューマンインターフェースの講義だ。
前回までは概念的な講義が中心だったが、今日から具体例を学生が紹介して、それについてインターフェースの視点から述べるという形式になった。題材はWebページ。そしてこの日は、その中でももっとも基本的なHTMLによって記述されたページを扱った。HTMLは、ホームページを作るための言語と言われることもあるが、本来は文書を修飾するための言語であって、自由自在にページを作り出すほどのポテンシャルはない。したがって、この言語を用いたページづくりには本来の表現に関する内容以外に、HTMLの仕様による技術的な制約が大きく影響する。もちろんそれ以外に、閲覧者の回線状況も大きく影響する。そのために、HTMLによる表現は、基本的に文字によるものとなり、それと小さな画像を組み合わせるというパターンが一般的となる。
ここでいくつかのWebページが紹介された。紹介した人たちは、この講義の主旨を理解しているとは言い難かったような気もするが、教官はそれをうまくまとめていた。ただ、話をするのがあまりうまくないのが、そのうまさをうち消していたのだが。要するに、このような実例を用いて、よいインターフェースとは何かを考えていくのだ。この問いに答えはない。かつてのUNIXやMS-DOSは真っ黒な画面にごく簡単な情報が何文字か。そして、入力位置を示すカーソルが点滅しているのみだった。それを見ただけでは、なにをどのように操作するのかほとんど分からない。これが優れたインターフェースとは言えないような気もするが、そんなことはない。この画面からコマンドを打ち込めば、そのPCにインストールされたあらゆるプログラムを実行できる。あらゆるコマンド命令を完全に覚えたマニアには、これが最高のインターフェースと言えるかもしれない。不必要な情報はなにもない。自分のやりたいことを、最短のコマンドでダイレクトに実行できる。スタートメニューから、数多くの情報を読みとり、その中から必要なプログラムを選び出す必要などないのだ。このように、使う人によって最前のインターフェースは全く異なるのだ。僕は卒論でインターフェース開発を行うことになっている。その上で、きわめて参考になる講義だ。来週は僕が発表を行うことになっている。少々気合いを入れてやってみるか。
気合いを入れたいと思う理由にはもう一つあって、この講義、前に会ったときに僕が誘ったからか、それとはまったく関係なく気が向いたからなのか、時間ができたからなのか、よく分からないが、彼女が顔を見せていたのだ。来週も、顔を見せる可能性がある。だとすると、あまりにみっともない発表をするわけにはいかない。彼女はどう思ってこの講義を聞いていたのだろうか。僕は、自分で言うのもなんだが、教室の一番前に座ってかなりまじめに講義を聞いている。したがって、多少講義が下手でも、教官の言いたいことは分かる。だが彼女は、研究の片手間に講義をのぞきに来ているにすぎない。それでは、あの教官の真意は分からなかったかもしれない。
で、講義はそれでよかったのだが、それ以外がどうも…。来て、友達に会いに行ったのはよかったのだが、講義が終わったあと、書類だけ書いて、そのまま帰ってしまったのだ。まあ、懸案になっていた書類を処理したのはよかったのだが、とにかく、人に会っていない。あとは講義の前に、彼女にあったくらいだ。まあ、それで十分か…。
2003.5.1(Thr.) 0:52