2003.04.10 (Thu) 0:41:43
なんだかんだでこんな時間になってしまった。今日はゲームをやっていないのに…。
今日から、講義が始まった。4限と5限だったので、本来なら余裕なのだが、朝にかなりのんびりしてしまっていた。で、途中でこれはいけないと思って、それから急いで大学に向かった。初日からかなり気持ちがゆるんでいた。危険だった…。それにしてもこんな調子では、またいつか遅刻を繰り返すようになるかもしれない。十分注意して、時間には余裕を持って行動するようにしなければ。気をつければ何とかできるはずだ。
さて、足りない基礎教養科目、水曜1限と木曜1限は朝がきついので、あとは木曜3限になるな。倫理学と社会学概論があるが…。倫理学の方は、4年次に開講されている基礎教養科目なので履修生は本当に少ないかもしれない。どちらの教官もいいと思うのだが、どちらかと言えば倫理学の教官の方が好きだ。ただ、ほんの数人で受けるというのはちょっと気が引ける…。
今日は、ヒューマンインターフェースの講義とニューメディア論の講義を受けた。どちらも、かなり出席者は少なかったが、4年次のこの時期にしては、多いような気もした。ただ、初回でこの程度では、今後はどんどん減っていくことだろう。まあ、仕方のないことだ。それにしても、こんなにおもしろい講義を用意したのなら、下の学年でも受けられるような制度を用意すべきだと思うのだが…。
ということで、毎度恒例の復習をしようと思う。
ヒューマンインターフェースは、簡単に言ってしまえば人間の関わるインターフェースのことだ。では、インターフェースとは何か、ということだが、本来のインターフェースとは、2つ、もしくはそれ以上の存在の境界を表す。ここから転じて、異質の存在がコミュニケーションを行う際、どのようにその変換を行うかという方法や、その手段をインターフェースと呼ぶようになった。たとえば、人間とPCの場合、人間がPCに意志を伝えるインターフェースは、マウスやキーボードだ。そして、PCが人間に情報を伝えるインターフェースは、モニタやプリンタだ。人間とPCは動作原理がまったく異なるために、このような情報の変換手段が必要となるのだ。そして、このインターフェースの一方、もしくは両方が人間の場合、ヒューマンインターフェースと呼ぶのだ。一方が人間の場合というのは、人間対機械だからよく分かると思う。自動車の運転も、運転手の意志を自動車に伝える、ハンドルやアクセルやブレーキというインターフェースを介して行われる。このようなものだ。では、人間と人間のインターフェースとは何か。人間と人間との間に何らかの媒体を挟む場合に、このようなことを議論する必要性が出てくる。たとえば、電話やインターネットのチャットなどだ。ただ、本質的には人間対機械のインターフェースとそれほど違いはないように思える。
ここで重要になってくるのが、インターフェースとプロトコルの違いだ。プロトコルとは、日本語では通信規約と呼ばれる。2つの存在が通信を行うとき、何らかの約束がないと、意志疎通が図れない。たとえば人間の場合、お互いが同じ言語で話さなければ意志の疎通はできない。まあ、違う言語を理解できるのなら、やってやれないことはないかもしれないが。PCの通信でも、やはりこのような問題がある。と言うよりも、人間の場合は暗黙の了解というのがたくさんあって、厳密に通信規約を決めなくてもなんとでもなるが、コンピュータは現在、人間がプログラムした以上のことは何もしない。だから、通信をする際には、その決まりを厳密に決める必要があるのだ。両方が同じ約束で動いていないと、情報を送ったり受け取ったりすることはできない。それで、これがインターフェースとどのように異なるのかということだが、プロトコルは、あくまでも通信の約束事であって、2つの間の境界という概念ではない。2つの存在を効率よく結ぶのが目的だ。それに対してインターフェースは、AとBという存在があったとき、Aの表現を変換し、Bに分かる表現にするということを行う。この変換を行うのがインターフェースだ。
…とまあ、ヒューマンインターフェースの講義はこのような内容だった。このヒューマンインターフェースの設計の上で重要なのは、誰が使うのか、ということだ。そして商業的に考えた場合、誰に売りたいのかということが重要になる。なぜなら、使う人に応じて、ヒューマンインターフェースを設計する必要があるからだ。たとえばコンピュータの場合、専門家向けの場合は、OSは必ずしもWindowsを搭載する必要はない。むしろ、ソースコードが公開されており、動作をすべて把握できるLinuxを好む人もいる。そして、このLinuxを操作する際には、マウスで操作するのではなく、すべてをキーボードで直接コンピュータに命令する方法を好む人もいる。PCと言えばWindowsだが、この場合は必ずしもWindowsを搭載するのが最善とは言えないかもしれない。
ニューメディア論は、その名の通り、新しいメディアについて論じている。だが、実際の講義内容はもう少し広く、新しい情報技術全般について論じていた。日本における情報技術の位置づけ、情報技術の内訳、情報技術の実際などだ。
日本のおける情報技術の位置づけは、簡単に言ってしまえば、文部科学省が予算を重点的に配備し、重要視している、という話をしていた。簡単に、と書いたが、難しく書いてもこれ以上のことは書きようがない。
情報技術の内訳は、大きく分けて4つだった。そしてこれが、この講義そのものの中心になるようだ。次の情報技術の実際というのは、これに付随する話になるらしい。その4つとは、確か、処理、蓄積、検索、伝達だったと思うが…。言葉の使い方は違うかもしれないが、ニュアンスとしてはこのような話のはずだ。あまりに早くてノートを取れなかったのだが…。現代、このような情報技術はどうなっているのかということを中心に講義するらしい。
情報技術の実際の話は、たとえば、世界で最も速いコンピュータは何か、という話だ。ちなみに、答えは地球シミュレータだ。もちろんそれだけではなく、クラスタコンピューティングやグリッドコンピューティングについても扱った。前者は、たくさんのコンピュータを1カ所に並べてそれらを1つにまとめて処理能力を上げようとするものであり、後者は世界中に散らばった計算機資源を使って、1つの処理をするものだ。前者で有名なものは、講義で挙げられていたのは東工大のシステムだ。リンクを張ろうと思ったが、調べてみた限りでは見つからなかった…。名前なども忘れてしまって、よく分からない。で、後者で有名なのは、SETI@homeだろう。他にもいろいろあるが。これは、簡単に言えば地球外生命体を発見するためのプロジェクトだが、まあ、詳しくはリンク先を見ると良いだろう。とにかく、宇宙から来る電波を片っ端から拾って、それを解析しているわけなのだが、何しろデータ量が多いために、その処理に莫大な計算能力を必要とするらしいのだ。
話は飛ぶが、もともとHTMLやHTTPなどの言葉に表れるHyperTextというのは、上記のようにリンクを含む文書を指すらしい。…だからリンクを張りまくったわけではなく、ホームページ・ビルダーをせっかく使っているのだから、という理由なのだが。ちなみに、最新版にリンクを張っているが、僕が使っているのはホームページ・ビルダー2000
Version 4.0.6だ。どうでもいいと言えばどうでもいいが。最新版の機能なんて使いたいとは思わないだろうし。レイアウトテンプレート機能くらいか。これだって、単に僕にデザインセンスが不足しているために必要になるわけで、本来だったら必要のないはずの機能だし。Frontpageも良いソフトだと思うが。どちらにも言えることだが、慣れさえすれば、使い勝手は極めて良い。ただ、それまではどちらも、使うのにはかなりの苦痛を強いられることだろう。
ああ、やはり、大学に行くようになると、いろいろ書くことがあるな。まあ、1日に何もしなければ、書くことがないのは当然のことなのだが。さて、明日は倫理学を受けるか社会学概論を受けるか。どちらがよいのだろう…。悩ましい問題ではある。ちなみに、これは卒業するためにどうしても必要なので、受けないという選択肢は捨てて考えた方がよいと思われる。できれば両方受けておきたかったのだが。まあ、時間が重なっているからそれは無理だろう。さて、明日から毎日、これだけ書いていくのだろうか。書く方はいいが、読む方はきっとうんざりなのだろう…。
2003.04.10 (Thu) 2:15:20