2003.06.29 (Sun) 14:57:56
人に物事を相談する。よほど自分に自信があったり、よほど他人が嫌いでない限り、避けては通れないことだろう。何よりも、避けるべきことではない。
では、だれに相談すべきか。これは重要な問題だろう。問題を抱えた場合、自分一人で解決するよりも誰かと一緒に考えた方が、解決手段が多く提案されることは間違いない。それをしないのは、相談するということに問題があるからだ。
いったい、どんな問題があるのだろう。
僕の個人的な感覚では、干渉されることがもっとも大きな問題だと思う。たとえば、他人に知られたくない秘密についての問題などは、よくあることだろう。自分の生理的なことだったり、人間関係だったりだ。僕の場合は、好きな人ができたが、どうすればいいか、なんて問題があった。悩みと言ってしまった方がいいかも知れない。
他には何があるだろう。…やはり、自分が抱え込んでいる問題を他人に知られることが、一番大きな問題ではないだろうか。もちろん、そのような問題を他人に共有させることに対する気苦労などもあるだろうが。ただでさえ問題を抱え込んでいるのにさらにストレスを抱え込みたくはないだろう。
あとは、時間の問題もあるだろうか。自分一人で考えた方が早い、というものだ。しかし、もしそうであれば、そもそも相談を考えなくてもいいはずだ。自分一人ではどうにもならないからこそ、誰かに相談するのだから。いや、そんなこともないか。自分一人でどうにもならなくても、他人に相談できない場合が他にもあるだろうか。…やはり、知られたくない、ということ以外には思いつかない。
それで、そのようなときにどうすればいいか。僕が思ったのは、信頼できる相手を捜すのではなく、第三者を捜すべきではないか、ということだ。その問題に対して何の責任もない人間を捜すのだ。いったいそういう人間の何がいいのか。
第一に、問題に関係がないことだ。問題に関係があると、どうしても自分を絡めて考える。たとえば、僕が好きな人に大して告白するかどうかと考えていたときに、もしその好きな人の友達に相談したりすると、その後の人間関係に大きな影響が出るわけだ。とすると、僕だけでなく、自分のことも考えて結論を出すわけだ。つまり、利害が絡む。だから、問題に関係のない人であることが重要だと思うのだ。
第二に、考えが軽いことだ。これは欠点でもあるが。つまり、当人は深刻に悩んでいるわけだが、第三者は問題を突き放して考えられる。なぜなら、第一に述べたように、自分には関係がないからだ。自分に関係のないことでも深刻に悩む人だっていないわけではないが…。
第三に、影響されにくいことだ。所詮他人の言うことだから、どんなに悩んでいて頭が混乱していても、冷静にその意見を見ることができる。いくらせっぱ詰まっていても、問題にまったく関係のない第三者の意見を頭から信じ込むようなことはないだろう。
昨日の日記にも書いたが、たとえば家庭教師なんてなかなか適していると思う。生徒がどうしようと知ったことではないし、そうは言っても、相談されればそれなりに考える。そして、生徒は生徒で、所詮家庭教師の意見だから、適当な距離を置いて考えることができる。
他には、やはりインターネットの人間関係だろうか。割と親しくすることも多いが、所詮は他人だ。それに、秘密を知られたとしても、干渉はかなりされにくい。たとえば、友達にしゃべってしまうことなどまずあり得ない。インターネットの関係なんだから、学校などの友達を知っているはずがないからだ。これは家庭教師の場合にも言えるが。
親身になって相談されるのは、嬉しいこともあるだろうが、うっとうしいこともある。日常生活をしているときは問題から頭を切り離したい場合も多いだろう。そのようなとき、こういう第三者の知人がいると非常に重宝する。考えてみるとよいと思う。ただし、信頼できるかどうかは別問題だが。他人なのだから、信頼できない場合は多いだろう。
相談することは、想像以上に有効だ。すでに分かっていることでも、無意識に心の奥底に封じ込めていたりすることもある。それに、話してしまえば、少しは問題が軽くなったような気がするものだ。このような気分だけでも、結構違うと思うのだが…。
2003.06.29 (Sun) 15:18:43