2003年02月05日(水) |
不満に意義などあるのか |
2003.02.07 (Fri) 1:13 Viewer: 30 Letters: 1442 水曜日。 2限からあったが、確か休んでしまったはずだ。 最近、こういうのが多すぎる…。 休みの日に夜型になったまま、 修正できていないようだ。 こうやって日記に時間をかけていると、 明日も起きられないのかも知れない。
3限は応用化学。 確か、NMRとESRの話だ。 Nuclear Magnetic ResonanceとElectolon Spin Resonanceの略だったと思う。 …試験に出るはずだから、 このくらいは覚えておくべきなのだが、自信がない。 ノートを読んでおけば単位を取れると言っていたが、 いったいどんな試験にするつもりなのだろう?
4限はゼミ。 相変わらずJavaの勉強だ。 とりあえず、サーバサイドは置いておいて、 今の課題に取り組むこととなった。 すなわち、C言語で書かれたシミュレーションプログラムを Javaに変換する作業だ。 一緒にやっている人たちは、 クラスやオブジェクトの概念を理解するのに手間取っているようだ。 慣れれば極めて便利なものだと気づくと思うが…。 たぶん、今後もずっと一緒にやっていくことになる。 早いところ、慣れてほしいものだ。 さすがにこの時期、ゼミの話題も就職活動が中心だ。 僕も、何か情報収集をした方がいいのだろうか。
そのまま、計算物理学の課題も ついでにそこでやっていて、5時半頃まで研究室にいた。
電車の中だったか新聞だったか忘れたが、 子供を産むのが大変だと載っていた。 新聞だったような気がする。 でも、子供を産まない人が増えているというのは 今が幸せな証拠ではないだろうか? 子どもを欲しがるのは、自分の夢を託すためではないだろうか。 自分にできなかったことを、子どもに成し遂げてほしいのだ。 あるいは、自分を癒してくれる存在にいてほしいのだ。
つまり、そのような子どもを必要としないということは、 自分にできなかったことを誰かになしてもらう必要がないということ。 つまり、自分のなしたいことが自分でできているということ。 そして、癒してくれる存在を必要としないということは、 癒しそのものを必要としていないか、子ども以外の何者かが そのような存在となっているのだ。
これが幸せでなくて何だろう? あえて子どもを使わずとも、 現代人は幸せを手にする術を持っているのだ。 だからこそ、あえて子どもを必要としないのだ。 僕は、そう思う。
子どもが少ないのは、 あえて未来に希望をゆだねなくても、 今が十分な環境にあるということ。 幸せになるのは、遠い未来ではない。 今なのだ。
現状に不満を述べて何になる? このくらい、楽観的に見ていないと、 できることすらできやしないだろう。 今の日本が、歴史を概観した結果、 相対的に恵まれた環境にあるのは間違いないのだ。 食うに困る人間なんてほとんどいない。 強い意志と、それに裏付けされた行動さえあれば かなり多くのことを成し遂げることができる。 生まれた瞬間、人生が決められているわけではない。
人は、少なくとも僕の周りの人は、 自分の周囲の環境から不満足な点を見いだし、 それを批判することを得意としている。 だが、批判をしたことで、いったいなんになると言うのだろう? 僕はキリスト教徒ではないが、 それでも、自分に与えられた環境に対して感謝すべきではないかと言いたい。 少なくとも、僕はそうしている。
その日にあったことと、 その日に考えたことのセットがパターンになってきた。 こんな感じでいいだろうか…。
2003.02.07 (Fri) 1:49
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