Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2002年11月19日(火) もはや人ではない存在

2002/11/20 0:23 Access: 4233 (+32)
Words: 5765 Lines: 329
さっき、友人から電話がかかってきた。
恋人と、カラオケをしていたらしい。
彼自身はそうでもなかったが、
その恋人の方はかなり酔っていたようだ。
その人には悪いが、聞いててとても楽しかった。

なんだか、にぎやかな音が聞こえた。
おそらくは、町中だったのだろう。
彼が住んでいたところ、2年ほど前は住宅地だったはずだ。
彼によると、最近急激に発展しているらしい。
その様子は、電話からも少し伝わってきた。

彼の恋人は、本当に楽しそうだった。
さんざん楽しそうに騒いで、飼っているネコの話をして、
僕に聞こえるようにキスをして、そのまま切ってしまった。
まるで、嵐のような電話だった…。
今日は、あまりいいことはなかったが、
最後に楽しいことがあって良かった。

今日は、2限から講義があった。
早めに行けば彼女に会えることは分かっているから、
少し早めに教室に行くつもりだったが、
上に書いた友人に会ったので、
講義開始時間を少し過ぎるくらいまで、教室の外にいた。
教室に行ったら、
基礎教養科目に関するアンケートをしていた。
いろいろ言ってやりたいことがあったのに、
遅れて行ったおかげであまり書けなかった。
やはり、講義にはちゃんと頭から出席しなければと心に誓った。
それに、遅刻をすると、
何となく彼女の目が冷たいような気がするのだ。

なんでそんなことで、と思う人もいるかも知れない。
しかし、僕だって遅刻をしてきた人に対してはそう思う。
小学校からずっとまじめに生活していた人間は、
そう思うような脳味噌の構造になっているのだ。

今日の計算物理学は、
1階の常微分方程式の数値解法の続きだ。
2次と4次のRunge-Kutta法のアルゴリズムを扱った。
そのあと、高階の常微分方程式も扱った。
これで、ある程度の常微分方程式を数値解法で
解けるようになったわけだ。
明日のJavaの課題、Euler法のプログラムでも書いて出してみるか。
時間がないが、書けるのだろうか?

昼休みは、彼女とその友人と、学食で食事をした。
彼女は相変わらず、家から持ってきたおにぎりだけだったが。
友人は「それしか食べないのか」などと言っていたが、
少食という点では、その友人も彼女と似たようなものだ。
それにしても、冗談を言えるキャラクターというのは、
少しうらやましく思う。
自分がなりたいわけではないが、自分の言うことを
いちいち吟味して、話さなくても構わないわけだし。
…僕だって、そんなに考えてるわけではないが。
それでも、他の人に対してはともかく、
彼女に対しては、なにを言うのかいろいろ考えているつもりだ。
相変わらず頭に血が上っているので、
冷静さなんて期待することすらできないが。

3限は国際交通経済学。
道路と空港の民営化を扱うと思っていたのだが、
空港問題を調査するというテーマに変わっていた。
まあ、どちらでも構わないが、
具体的に空港問題のなにを担当するのか、
早く分担を決めなければ話が始まらない…。

講義自体は、アメリカの航空規制緩和を扱った。
講義自体でなにを話したのかは、よく覚えていない。

4限は、国際マーケティング論。
カナダとメキシコについて述べた後、
多国間連合についていろいろ言っていた。
少々睡眠時間が少なかったので眠くなってしまった。
頼みのコーヒーなのだが、
今日はカフェインの量が少なそうなものを飲んでしまったのだ。
効かないわけではないが、やはり多少、効果は薄い…。

しかし、3限もそうなのだが、
この講義も、通路を挟んですぐ隣に彼女が座っていた。
そちらにチラッと目をやれば、眠気なんてあっさりと消し飛んだ。
何度も見ているとあまりに怪しいので、
逆を見てみたりもしていたが、
後ろから見ていたら相当怪しかっただろう。
出席表が、彼女とは逆の方から回ってきていた。
だから、彼女に出席表を渡すことができた。
こんなことでも、講義内容よりずっと印象に残っているのだ。

どんなつまらない話でも、
講義なんかよりは印象に残るだろうと思われるかも知れない。
しかし、僕には僕の、特殊な事情があるのだ。

僕は、昔からずっと、
思い出を極端に軽視してきた。
だから、エピソード記憶と呼ばれる記憶を覚えるのは
今でも極端に苦手なのだ。
その代わり、人よりもずっと、意味記憶を覚えるのが得意だ。

エピソード記憶とは、時間に沿って、
あのときなにがあって、その次になにがあって…、と、
そのときの状況を頭に浮かべるような記憶だ。
大抵の人は、1つか2つ、
すぐに思い浮かべられるような情景があるだろう。

それに対して、意味記憶とは概念だ。
Personal Computerとは、個人用の電子計算機で、
一般に、CPU、Memory、HDD、Moniterなどから構成される…
というような知識だ。
この場合、その概念に関する事柄は、
その概念を記憶した状況と、直接関係しない場合が多い。

もちろん、思い出とはエピソード記憶であり、
勉強をする、と言った場合、
普通はその知識は意味記憶となる。
エピソード記憶として、音、感覚と結びつけて覚えるような手法もあるが、
概念理解という観点から考えると、
その手法は本質的な理解に結びつくとは考えにくい。
もちろん、エピソード記憶を繰り返し呼び出すことで、
意味記憶へ転換されることは普通にあり得ることだろうが。

このうち、僕は意味記憶が得意なのだ。
だから、思い出なんてほとんど覚えていない。
だからこそ、このように克明に毎日のできごとを記しているのだ。
こうやって細かく細かく書いていかないと、
あふれる水を手のひらで受け止めるように、
記憶は次々と脳の底へと封印されてしまうのだ。
そこから再び呼び出すためには、きっかけとなる刺激がいる。
この日記は、その刺激とするために書いている、
というのもあるのだ。

それで、5限は流通情報工学演習だった。
前回から薄々感じていたが、今回、それが確信に変わった。
この演習を担当している研究室のスタッフは、能力が低い。
学生はまだマシなのだが、教官がひどい。
さすがに、見た感じで50になろうかという歳のくせして、
助教授にもなれないような人間では、
その能力はたかが知れているようだ。

そもそも、問題内容を理解していない。
それに加えて、説明する能力もない。
それでも、冷静に考えてみればある程度分かるものだが、
落ち着いて冷静に考える余裕もないらしい。
僕の些細なミスに対してくだらない嫌みを言っていたのだが、
見た感じ、どうも感情的になっていたようだ。
要するに、学生の些細なミスを許せる余裕もないほどに、
感情を抑制できないのだ。

僕は、自分を優れていると思うことはほとんどない。
コンピュータに関してはある程度自信を持つこともあるが、
この演習は、供給型Logistics Gameということで、
コンピュータとは特に関係がない。
だから、僕が優れていると言える要素は特にないのだが、
それでも、この教官と比べれば、
自分は明らかに優れていると思った。
どんなに成績の悪い学生と比較しても、
僕は、必ずしも自分の優位を確信できない。
ほとんどの人は、必ず何らかの特技を持っている。
優れた発想であったり、離れてものを見る視点であったり、いろいろだ。
ただ、それをまとめて表現する能力がないから、
成績に結びつかないだけなのだ。

が、この教官は、明らかに僕より劣る。
そもそも、大学の教官に共通する、知的な雰囲気がまったくない。
知的素養というものが感じられないのだ。
それに、大学の教官でなくても、
普通は何らかの形で理論武装している。
しかし、それすらない。
発言は常に矛盾だらけで、つじつまなどまったくない。
自分の言葉に対してすらそのような状況なのだから、
もちろん、こちらの言葉など聞いてはいない。
いい歳をして、人の話を聞くこともできないのだ。
理解しろとは言わない。せめて、聞くことくらいできてほしいものだ。

この大学で講義を受けてきて、
今まで1人だけ、嫌いな教官がいた。
好きになれない教官は他にもいるが。
まあ、それはそれとして、嫌いな教官がいたのだが、
その教官は、常に自分の功績を誇示し、
判断が極めて主観的で、
自分の言うことが必ず正しいという、まるでアメリカのような態度だった。
しかしそれでも、その教官の能力が優れていることは分かった。
性格的に問題があっても、
教官としては、必要な能力を備えていた。
しかし、上記の教官は、それすら備えていないのだ。

僕は、お腹が空いてくると、
感情の制御をしにくくなってしまうので、
少し感情的になってしまった。
要するにちょっとムカッと来たわけだが、
他の班員はずっと冷静で、ただ、唖然として見つめていた。
「なんだ、あれは?」という感じだ。

ちなみに、他の院生も、
優れているとは決して言えなかった。
態度が極端に横柄なのだ。
円滑なコミュニケーションを図ろうという意志を、
まったく感じることができなかった。
おそらく、上下関係のきつい研究室は、
下に対してああいう態度をとるような習慣が付くのだろう。
上にへつらい、下をこき使うのだ。
当然、僕はそのような態度は大嫌いだ。

だからこそ、極端であることは分かっていても、
中学生や高校生の生徒に対しても、
必ず大人と同等の遠慮をもって話をする。
駅構内などでぶつかった場合は、子どもであっても、
「すみません」と謝ることにしている。
とにかく、年齢という本人にはどうしようもない要素で
差別することは、徹底的に避けているのだ。
…だからこそ、子どもだからと言って
電車の中で騒いだりするのが許されるのは、
納得がいかないのだが。
しかし、これは僕の勝手な理屈であり、
一般にはなかなか通用しないだろう。
それでも、電車の中で泣きわめく子どもがいると、
首をへし折って、窓から放り捨ててしまいたくなる。

人間は、ある程度の能力を要求されるべきだ。
社会で生活する以上、必須の能力というのがあるはずだ。
その能力に欠ける場合、そのような人間は排除されるべきだ。
例えば、基本的なマナーをほとんどなにも知らないような人間は、
街を歩くべきではない。
そんな、たいしたことを要求しているわけではない。
普通の小学生でもできることをできれば十分だ。

しかし、それすらできない人間が、世の中にはいるのだ。
そのような人間は、排除されても仕方ないのではなかろうか?
あまりに能力の低い人間は、
その他すべての人間に害を及ぼすのだ。

就職をする際、
障害者であるからと差別される話を聞く。
しかし、それは違うと思う。
障害者であることは今の時代、むしろプラス要因に働く。
障害者を雇っていれば、それだけで
良い企業であるようなイメージを与えることができる可能性があるからだ。
しかし、そのプラスをうち消してあまりあるほど、
彼らの能力は低いのだ。

それでも、障害者を雇うこと自体には文句を言わない。
しかし、納得がいかないのは、
その陰で、彼らよりもずっと仕事のできる、
能力的に優れた数多くの人間が、苦汁をなめているということだ。
障害者は、障害者であるというだけで優遇されるのに、
一般の人は、何らそのようなことはない。
能力が他よりも劣れば、あるいは劣ると判断されれば、
望みの企業に就職することなどできはしないのだ。

要するに、能力の低すぎる教官は、
このような類型に属するということだ。
教官として彼が話をするだけで、
学生は誤解をし、不快感を受ける。
それならば、いない方がマシだ。
いない方がマシということは、
社会に何らかの貢献ができる可能性の高い障害者よりも、
ずっと存在価値が低いということだ。

ちなみに、僕は障害者に対して
差別意識を持っているつもりはない。
これは単に、能力「だけ」を見て判断しているから
こうなっているのだ。
一般の社会においては能力だけが
すべての判断基準ではないから、
当然、実際はこんな単純な判断ではなくなる。
所詮はつたない文章だから
誤解は仕方のないことだと思うが、
この点だけは、一応強調しておきたい。

その教官だって、
能力以外の点を見れば、それはそれでいいのかも知れない。
しかし、教官という立場を考えると、
能力が低いということは、極めて大きな問題だ。
大学の教官は特に、
能力が高いからこそ、教壇に立っているのだ。
いくら演習とは言え、その大前提が崩れているのは許せない。
所詮、弱小単科大学、ということなのかも知れないが。

まあ、さらに言えば、
それでもなお、自省できるのなら救いはある。
改善の余地があるからだ。
自省でなくても、間違いや矛盾に対して
真摯でなくても、とにかく向き合う姿勢があれば、
最低限の水準は満たしていると言えるだろう。
まあ、それだと、教官という水準ではなく、
学生という水準を満たしているに過ぎないとは思うが。
が、この教官は、僕の指摘に対して皮肉を返してきた。
なにを考えているのか知らないが、
普通、まともに考える気があるのなら、皮肉など言わないだろう。
そもそも、学生の質問や意見を抑圧するような姿勢は、
教官として許される性質のものではない。

ところで、その帰りの電車内、
芸術を学んでいると思われる学生が、
なかなかおもしろいことを言っていた。
優れた芸術家であるなんとか先生は、
人の話をまったく聞かない上に、
他人の絵を、ひどい偏見を持って見るらしい。
なんでも、「この子は小さな頃、
家庭内暴力を受けていたに違いない」などと、
まるで心理学者のような恣意的な意見を述べていたようだ。
ちなみに、同じ意見でも、
心理学者が述べるのなら恣意的とは言えない。
科学的根拠があるはずだからだ。
もし科学的な根拠がないならば、
心理学者の発言であっても、恣意的だと言えるだろう。

で、芸術家というのは、
物事を自分の都合のいいように見るものなのかも知れない。
そうすれば、物事は最高に見える。
あり得ないほど理想化されて、美しく見える。
すると、最高の芸術になるのではないか。
そんな気がする。

今日は、Ragnarokβ版サービスの打ち切りの日。
もうすぐ終わる時間だが、混み合っててまるで入れない。
まあ、それもいいだろう。

重要なのは、そんなことをやっていたせいで、
睡眠時間が大幅に減ってしまったということだ。
このままでは、4時間未満しか寝ることができない。
明日は、1限からだからやはり睡眠時間を期待することができない。
これでは、先週のように、
金曜日にダウンすることになりかねないが…。
金曜日、2限から彼女に会えるのだから、
2限には行きたいものだが…。
1限は…、まあ、どうでもいい。

2002/11/20 3:06


 < 過去  目次  未来 >


Seak [MAIL]

My追加