Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2002年11月15日(金) 拘束し、すべてを貫くような槍

2002/11/16 5:31 Access: 4094 (+34)
今日は、朝起きられなくて、
3限から行くことになってしまった。
もう、何度書いたか知れないが、
寝る前にRagnarokをやるのはやめよう…。

流通政策論は、経済計画と国土計画の話。
国家の計画がどのような発想で策定されたのかという話だった。
高度経済成長の話を、初めて整理して聞かされた気がする。
知らなかったわけではないが、
改めて整理して示されると、それがどうしてこうなったのかと
不思議に思ってしまう。

その次には、人間工学の話。
人間の動作範囲はどの程度かという話だ。
この講義は、教官がかなり執拗に質問をする。
毎回何か発言するようにしていたが、
この日はRagnarokをやっていて
なんの準備もしていなかったので、なにも言えなかった。

そのあとは、本来流通情報工学ゼミナールがあるはずの時間だ。
しかし、ここで担当教官が娘を迎えに行かなければならないとかで、
実は水曜の4限にずらされてしまっている。

そのため、僕はアルバイトの仕事をやることにした。
それで、そのアルバイトの発注元の教官のところに行ったのだが、
その教官は、ゼミナールの真っ最中だった。
どうやら、思い切り邪魔をしてしまったようだ。
…そんなことならやめれば良かったのだが。
まあ、不純な動機があったのだ。
ちなみに、これで他のゼミナールがどのような雰囲気か知ることができて、
非常に参考にはなった。
まあ、自分は自分の作業をしていたので、
話なんてほとんど聞いてはいなかったが。
あくまでも雰囲気だ。

そのあと、その仕事を一緒にやっていた友人と一緒に
就職のガイダンスを受けに行った。
別に受ける必要性はなかったのだが、
これにも、不純な動機があったわけだ。

ガイダンスそのものに、特筆すべき点はなかった。
まあ、それなりに興味深い話だったと言えるだろう。
先輩たちの話が特に興味深かった。
結構適当にやっていても、内定を取っている人はいるようだ。

そのあと、友人の車の修理をした。
と言っても、僕にはなにもできないので、見ていただけだ。
なんなのかよく知らないが、とにかく巻き込まれたのだ。

ああ、眠い。
さすがにこんな時間まで起きていると眠くてたまらない。
もともとは、6時からバイトだと言う人に、
5時50分頃にメールを送ろうと思って起きていたのだが、
ボーっとしているうちに6時になってしまった。

車の修理をしたのだが、
その工具が見あたらなかった。
実は、スペアタイヤのふたの裏側についていたのだが、
暗い場所で作業していたためか、
そんなことには気づかなかったのだ。

それで、友人がその工具を買いに行った。
それを待つ間、僕を合わせた3人で、
大学の校舎の屋上に上った。
窓から這い出たのだが、どうやら普通に階段から上がれたようだ。
なかなかいい景色で、いい雰囲気でもあったのだが、
結局僕は、なにもできなかった。

やっぱり、書かないとなにがなんだかサッパリ分からないな…。
まあ、いいとしよう。自分だけ分かれば。
他のすべての人が分からなくても、僕は一向に構わないのだ。

結局、大学の寮からさらに友人が現れ、
その人が車を修理して去っていった。
工具を買いに行った友人は無駄足になってしまったようだ。
それで、そのあともんじゃ焼きを食べにいった。

前から何度か書いているように、
僕はアルコール類が大嫌いだ。
その主な原因は、飲むと性格が変わることにある。
それで嫌いになったことが原因で、
アルコールの味自体が嫌いになってしまった。

ただ、そもそも飲むと性格が変わるということを
極端に恐れるようになったのは、母の影響だ。
母は、酒を飲むと人格が変わる。
今日は12時過ぎに帰ったのだが、
「もう帰ってこないかと思った」とか言って泣いていた。
そんなバカなことがあるか。
だいたい、弟は週の半分も帰ってこない。
どうして僕のときだけそんなに情緒不安定になるのだろう。
それもこれも、どう考えてもすべては酒が原因としか考えられない。
はっきり言って、酒を飲んだときの母はかなり異常だ。
普段からその調子だったら、僕は間違いなく
精神病院に入院させているだろう。
そのくらい、ひどい。
はっきり言って、現状でもすでに、
アルコール依存症の治療が必要な状態だ。
まあ、この程度だったら、本人が絶対嫌だと言い張るので、
僕もそれ以上は言っていないが。

母の医療不信はかなり根強いものがある。
まあ、だからこそ健康食品にはまったりするわけだが。
言いきってもいい。健康食品を摂るよりも、
酒とタバコをやめた方が健康になれる。
たぶん、健康食品を勧めるセールスマンでもそう言うのではないだろうか。

ああ、眠すぎる。
さすがに金曜日のあと、6時半まで起きていると…。
夢と現実が交錯し、
夢の中で話しかけてきた人に、返事をしそうになった。
そう言えば、帰りの電車の中で、
ずっと僕に寄りかかってきている人がいた。
上半身を完全に僕に預けた状態で、
顔だけ僕の顔の方に向けていた。
例えが悪いかも知れないが、キスしようとしている姿勢と言っていい。
もちろん、僕がそんなにモテるわけはないから、
その人は、それほどまでに眠かったのだろう。
それにしても、いくら12時頃の電車とは言え、
そんな意識朦朧となるほど眠たがっている人を見たのは初めてだった。

それで、そのもんじゃ焼きを食べるときに、
結構飲まされた。と言ってもたいしたことはなく、
ビールとカルピスサワーだけ…、カナ?
あ、結構飲んだつもりだったが、案外たいしたことなかったようだ。
まあ、それでも僕には十分すぎる量だ。
僕には、どうしても人格が変わってほしくない、わけがあったのだ。
それはそれとして、友人たちの少し変わった姿を見られて
おもしろかったことは確かだ。
だが、自分のそんな姿を見せるわけにはいかなかった。

…ダメだな。さすがに完全に話から外してしまうと、
なにがなにやら、たぶん自分でも分からない。

結論から言ってしまえば、彼女がそこにいたから、
僕は変わるわけにはいかなかった。
そして、彼女がいたから、アルバイトの仕事をしたり、
就職ガイダンスに出席したりしたのだ。
もし彼女がいなかったら、4限が終わった時点で
さっさと帰っていたことだろう。

はっきり言って、酔って口走る内容が、
この日記に書いてある程度のことであればまだいい。
しかし、母を見ていて、そしてその血が僕に受け継がれていた場合、
そんなことで済むとは考えにくい。
下手をすれば、本来持っていなかった欲望、
くだらない趣味や趣向、異常な発想、
その他、円滑な社会生活に不必要な
発言、行動をしてしまうのではないかとすら思ったのだ。
具体例はあえて出さない。
ここであえて僕の脳の異常さを露呈したところで、
たいした意味を持たない。

ちなみに、このように危惧するのには理由があって、
僕は、小学生の頃は、極端に協調性に欠け、
コミュニケーション能力も欠如し、異常なほど偏執的な性格だった。
今ではいい意味でも悪い意味でも失われたが、
特に集中力は意味もなくすさまじかった。

例えば、誰かに対する怒り。
今でもそうだが、当時も、こういう感情が一番強かった。
僕の場合、途中など一切なかった。
怒りを覚えたら、やることは1つ。
殴るか、刺すかだ。
幸い、僕の運動能力の低さからすべて未遂に終わったが、
その一つだけでも既遂に終わっていたら、
僕だけではなく、周囲の人間の人生まで大きく変わっていたはずだ。
覚えていることはそれほど多くないが、それでも、
小4のときに友人に殴りかかり、
小6のときにはさみで友人を突き刺そうとしたことを覚えている。
あと、時期は忘れたが、いすで殴り倒そうとしたこともあった。

今は、中学生の頃から腕立て伏せをしていたりして、
人並み程度の腕力はあるのだが、
当時は本当に虚弱体質と言っていい状態だった。
だから、まともにやり合っても勝負にならないことは、
どんなに頭に血が上っても分かっていた。
だから、手段など選ばなかった。
思ったら、最高の破壊力を行使するだけだ。

中学生あたりから、
いい意味でも悪い意味でも、僕は人並みになり始めた。
成績も、むやみに良いといいことがないということは、
すでに嫌と言うほど思い知っていた。
いじめられたわけではないが、それでも、
周囲に対する遠慮というのを感じるものだ。
このころ、ようやく僕は、周囲の人間を感じられるようになった。

…なんでこんなことを書いているのかと言えば、
僕の性格を述べるという意味もあるのだが、
それ以外に、就職に必要な自己分析の一部分として
自分というものを知るためのプロセスという意味でもある。
まあ、こんなに眠くては、とてもまともなものを書けるとは思えないが。

僕の成長のきっかけは、常に恋だったのかも知れない。
小学生の頃、非常に活動的な女の子がいた。
エビ固めというのだろうか、背中に乗られて、
後ろにそらされるようなプロレス技のようなことをされた記憶がある。
なんでそんな人を好きになったのかはよく分からない。
たぶん、向こうが好意を抱いてくれたから自分の好きになったのか、
あるいは、そこまで親密につきあった女の子が初めてだったからかも知れない。
ちなみに、今でもそういう人は嫌いではない。
同年代にはいないと思うが。
その人の家に行って、Final Fantasy Vのエンディングを見たことは
今でも忘れることはできない。
これがあるから、僕にとってこのゲームは、
少し違った意味を持つ、特殊なものとなったのだ。
ちなみにこの人は、中学生になってしばらくして、
学校が合わないとかで不登校になってしまった。
不登校はその人だけでなく、全部で10人以上いたと思う。
規則が好きな僕はそれほど不思議に思わなかったのだが、
今になって友人と話したりすると、
この中学校がいかに息苦しかったかが分かる。

例えば、水筒は、生徒会で決定されるまで
学校に持ってくることができなかった。
あらゆるものが学校によって規制され、
学業に必要と判断できるもの以外に対しては、
極端に強く制約されたのだ。
当然、スカートの丈は膝下までだし、
髪は黒以外禁止だ。
僕は今、髪を切るのが面倒なので
非常に長く髪を伸ばしている状態だが、
そんなのもこの中学校では許さなかった。
色を変えるなんてとんでもない。
ピアスなど、話すら聞かないほどだった。
時計を持ってきていいかどうかさんざん議論になり、
結局却下されたこともある。
ちなみに、カチューシャの色も制限されていて、
今、僕はその邪魔な髪を留めるために
茶色のカチューシャを使っているが、
その程度でも微妙なラインだ。
ちなみに、それは女生徒にとってのラインだから、
おそらく、男子生徒がカチューシャを使うことは、
色に関わらず禁止だったはずだ。

ああ、また彼女に話しかけられた気がした。
夢と現実が、徐々に強く交錯する。
指先が、現実から離れ始める…。

それで、中学校には図書委員会があった。
まあ、珍しくもないだろう。
その委員長がいたのだが、僕はその人を好きになってしまったのだ。
詳しいことは覚えていないが、
名札が黄色だったこと、その人の名前、
その人の妹が弟と同級生だったこと、あとはその人の顔くらいだ。
メガネをかけていたのが非常に印象的で、
それ以来、メガネをかけている女性を見ると、
それだけで魅力を感じるようになってしまった。
こういう人間を、世間一般では変わり者と言うようだ。
2次元コンプレックスに近いものだろうか。

その人は、僕が1年生の歳に3年生だったので、
僕が2年生になるに伴って、そのまま卒業していってしまった。

僕の歴史はあとで書くことにする。

彼女を誘うとき、友人はいくつかの手法を用いた。
たぶん、その人にはそんな意志はなかったのだろう。
しかし実際は、お手本にしてもいいような、極めて巧妙な詐欺だ。
だからこそ僕は、知っていても彼女に対しては、
絶対にそのようなことをしなかった。

誘う際の基本的な詐欺の手法は、
断れないようにすることだ。
セールスマンなどが、扉を開けたら勝ちと言われる、あの世界だ。
この辺は前に事例を示したので事例は省く。

その友人は、就職ガイダンスが終わったあと、
彼女も車の修理につきあわないかと誘った。
実は、ここが一番難しいところだ。
あとのことはどうにでもなる。
なぜ彼女がそれでYesと言ったのかよく分からないが、
たぶん、1人で帰るのがつまらなかったとか、
その程度の理由だろう。

それで、そこからさらにもんじゃ焼きを食わせて、
ビールを飲ませるという方向に持ち込む。
そのために、彼は友人におごらせるという手段を用いた。
実際のところ、お金の部分はネックだ。
それを努力して取り除いてみせることで、
断りにくくすることができる。
ちなみに、これ以外にも様々な手段を複合的に用いていた。
例えば、話の流れ。
最初に断らなかったのだから、次も断らないだろう、
それが当然だという話の流れだ。
この話の流れがあるからこそ、最初以外は簡単なのだ。
多少抵抗の意志を示しても、
「まあ、いいじゃん。行こうよ」で通してしまう。
僕のような負け組には、決して言えないセリフだ。
常日頃から集団を制し、導いてきた自負が言わせるものだ。

今度は、不機嫌そうな顔をして座っている
彼女の姿が見えた。
幻視と言うほどはっきりはしていないが、いよいよまずいだろうか。

結果として彼女は、
次の日に朝の6時からバイトがあり、
かなり制限のきつい門限があるにもかかわらず、
僕たちにつきあうことになってしまった。
彼女は僕のように、
3時間しか寝ていなくても、コーヒーを飲んで彼女の顔を見れば
それだけで目が覚めるような身体の構造をしていないはずだ。
明日は、本当に苦労することだろう。

とりあえずこの辺で。
あとは、寝てから書くことにする。

2002/11/16 7:22

2002/11/17 3:06
この日記を途中でやめていることに気づいたのが遅くなり、
こんな時間になってしまった。
実は、もう次の日の日記を書いている。
これで、陰でこそこそ更新しておけば、
多少まずいことを書いていても、読まれることはないだろう。

はっきり言って、僕が彼女とつきあうなどということになった場合、
最大の問題は周囲の人間だ。
ただでさえ嫌がらせに近いことをいろいろ言われているのだ。
それがこの先、さらにエスカレートすればどうなることか。
僕はいつものことだから慣れているが、
彼女はとても耐えられないのではないだろうか。
彼女が彼らのくだらない妄想の生け贄にされていたときは、
本当に腹が立った。
人として、最低限の倫理すら持っていないのかと
疑ってしまったほどだ。
結局、生きてきた環境が違うということなのだと思ったが。
そうとでも思わなければやっていられない。
生きてきた環境など関係なく、
彼らがそういう人間なのだということになってしまったら、
救いがなくなってしまう。

それで、自分史だったか…。
中学2年の頃の話は、一度書いたような気がする。
もう2度とないような、奇跡的な話だ。
そのときは、100%いたずらだと、信じて疑わなかった。
それで相手を深く傷つけてしまったのだと気づいたのは、
とっくに会えなくなってからだった…。

僕は、ラブレターをもらったのだ。
返事がYesなら1階の特別教室、
Noなら2階の特別教室に来てくれということだった。
その2つの特別教室はそれぞれ、
階段を上り下りするだけで行き来できるようになっている。
そこを何度も往復して、どちらに来るか確認するつもりだったのだろう。

しかしその人は、致命的なミスを犯した。
下駄箱にラブレターを入れてくれたのだが、
僕の隣の下駄箱にそのラブレターを入れてしまったのだ。
その当時、僕の出席番号は18番だったのだが、
間違って17番に入れてしまったのだ。
自分の出席番号なんてほとんど覚えてはいないが、
この年の出席番号だけは、忘れることはない…。

結果、そのラブレターは教室で音読されることになってしまった。
なんて大人げないんだ、と思うが、
その当時、周囲の連中だってみんな中学2年生だ。
そして、まわりに「どうするんだ」とさんざん言われ、
まわりの視線に耐えかねた僕は、
「どうせそんなの、いたずらに決まってるよ。放っておけよ。」
と言ってしまった。
その手紙が今、僕の手元にないということは、
そのときに捨ててしまったのだろう。

結局、僕はYesともNoとも答えなかった。
冷静に考えてみたら、それがいたずらでないことはすぐに分かった。
だいたい、自分の名前を記していたずらをするなんてあり得ない。
そのあと、その人とどうなったのかは覚えていない。
その手紙をもらう前、生徒手帳を取られて、
それをその人は、自分の胸ポケットに入れた。
今だったらその胸ポケットに手を突っ込んで手帳を取ってしまうかも知れないが、
その当時の僕は、そんなことはとてもできなかった。
どうしても手帳が必要だったのだが、
結局、その人とずっと追いかけっこをする事になってしまった。
今になって思えば、あのときからその人は、
僕のことを好きでいてくれたのかも知れない。
なんでこんな嫌がらせをするのだろう、としか思わなかったのだが。
そう言えば、まったく違う方角にある僕の家まで
一緒に帰ったこともあった。
さんざんからかわれたので、それも嫌がらせだと思ってしまったのだ。
その当時の、自分の頭の悪さを呪いたくなる。

その人とは、高校生になってから一度、再会した。
そのとき見た限りでは、恋人もいて、
幸せに過ごしているようだった。
しかし、結局謝ることはできなかったはずだ。
でなければ、今でもこんなに強く、記憶に残っているはずはない…。
中学校の記憶なんて、上に記したこと以外はほとんどないのだ。
あとは、教師に呼び出されて殴られそうになったことくらいか。
確か、窓から唾を吐いたとか、そんなことだったと思う。
今だったら口で負かす自信はあるが、
当時は、とてもそんなことはできなかった…。

中学生の頃は、それだけ。
他に、憧れたりした人は何人もいたが、
いずれも、それ以上にはならなかった。
その当時、いや、今でも、
女性は僕にとって、遠く憧れる存在なのだ。

高校生の頃は、そのコンプレックスも手伝って、
まともに女性と会話も交わさないような生活を送った。
そのおかげで、勉強なんてまるでしないのに、
成績はそれほど大きくは下がらなかった。
それでも、なにも勉強していないのだから、
だいぶ悪くなったが。
入学当時はクラスで10番程度で、
卒業時は、理系の特化クラスで周囲が優秀だったこともあり、
だいたい20番くらいに落ち着いてしまった。
いや、もっと下か…。

友人には恵まれたが、
総じて言えば、この時期は暗黒時代だ。
まあ、人生全体が暗黒時代とも言えるが。
しかし、今よりずっと時間の流れを遅く感じたから、
きっと、今よりつまらないと感じている時間が長かったのだろう。


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