2002年11月11日(月) |
Javaとオブジェクト |
2002/11/11 10:48 Access: 4007 (+24) Words: 5492 Times: 57min 今日は、久しぶりに大学から。 大学のネットワーク、どういう理由なのかは知らないが、 プロクシサーバを通さなければInternetに接続できなくなった。 まあ、その程度のことは仕方がないだろう。
通信速度が遅くなったという もっぱらの評判なのだが、 使ってみると、どうも遅いのは最初だけのようだ。 サーバ接続までは確かに遅いが、 ダウンロードの速度はすさまじい。 …まあ、600kbpsの自宅と比べれば、だが。 HTTPはおよそ2.5Mbpsで、 FTPは3.2Mbps程度だ。 まあ、正確に測定したわけではないので、 実際はどちらも同じようなものかもしれないが。 ついでに言えば、これ以外のプロトコルについては サポートしていないらしい。 これで遅いとは、最近の学生は贅沢になったものだ。
いろいろ試してみたのだが、 この表示速度は相手のサーバに依存するようだ。 大企業ほど速い。トヨタなどは一瞬だ。 あと、一度つないだことのあるサーバなら、 別のページでも速くなるようだ。 Proxyというものはよく知らないが、 どうもそういう仕様のようだ。
ところで、Javaの本を読んでいるのだが、 テキストが分かりやすいこともあって、 はっきり言って楽勝だ。 多分、2400円で買ったテキストの内容のうち、 8割は理解した。 当然、金曜日と日曜日と月曜日、 それも、電車の中でしか読んでいないのだから 内容を暗記しているわけではないが、 概要は理解できたはずだ。 面倒な問題は解いていないが、 ○×問題ではそれほど引っかからなくなった。
オブジェクト指向についても、 概要は理解できたと思う。 さすがに、具体例を延々一冊ほとんど使って並べられてから 説明されれば、いくら頭の悪い僕でも分かる。 Javaはインスタンスによって オブジェクトを作ることができる言語らしい。
オブジェクトというのは、 情報とその情報に対する処理をまとめたものだ。 例えばJavaには、 String[] argsという文字列を定義したとき、 args.lengthとすることで、argsの長さが求められる。 まあ、ほかにもいろいろあるが、 ほかは知らないのでまた今度書こうと思う。
それでは、少しアルバイトをやるので、 とりあえずこの辺で…。
2002年11月11日 11:06
2002/11/12 21:06 また、例のごとくRagnarokをやっていて 日記を書けなかった。 やれやれ…。 ちなみに、大学から自宅に ファイルをメールで送信して、自宅で続きを書いている。
結局、アルバイトは30分ほどしかやらなかったが、 それでプリント1枚を終わらせることができた。 そのアルバイトをやっている他の人は1時間ほどかかったと言っていたので、 たぶん、結構速かったと言えるだろう。 僕は、オペレータの仕事をやったことがあるので、 データ入力だけは速いのだ。 キー入力そのものも、これだけ毎日日記を書いているのだから 決して嫌いではない。 まあ、いつも書いていることだが。
そのとき、友人から電話がかかってきた。 僕は、4階にある教育用計算機室の前の廊下に出て、 そこにある窓から下を見下ろした。 案の定、友人はそこを歩いていた。 もう1人、女子学生もそこにいた。
僕は、とりあえずそのデータ入力をキリのいいところまで終わらせてから その友人のところに行った。 僕にとってすべてに優先すべきことは他にあったはずなのだが、 なぜか、そのときはデータ入力の方を優先してしまった。
そのあと、その友人と昼食を摂った。 なにを食べたのかよく覚えていないが、 確かカレーうどんだったと思う。
このとき、ちょっとしたことを知らされた。 講義に出るわけでもないのに朝早く出かけたのには理由があったのだが、 結局、僕は目的を達することはできなかった。 彼は、その僕の目的が、完全に的はずれであることを指摘したのだ。
知った瞬間、激しい後悔に襲われた。 ほんのわずかな労力の消費を嫌がったために、 僕は、この日一日を棒に振る程度のミスを犯したのだ。 まったく。僕は、大学生になってから、 ずっと後悔などしないようにしてきたのに。
3限の講義は、複素解析だった。 難しいのか簡単なのか、よく分からない講義だった。 どうも僕は、基礎数学はおもしろい考え方だとは思うが、 学ぶ気にはなれない。 そういうおもしろいものが世の中にはあるのだ、という感じだ。 僕には合わない。
4限は、線形代数。 ここでこんな講義を受けていなければ、 多少は僕の目的を達することができたのだが。 まあ、仕方のないことだ。 確か、線形写像と行列の関係を述べていたと思う。 それほど難しい話ではなかった。
5限は、流通統計管理論。 この講義、こんな時間にやっていることもあってか、 出席者がかなり少ない。 ちなみに、この時間には1年生の必修があって、 それと重複している友人もいる。
僕は、講義中はなるべく前に座るようにしている。 その方が講義に集中できるからだ。 ウソだと思うなら、一度試してみるといい。 後ろに座ることは、教育機会を損失すると言ってもいいほどの 大きなミスだということが、よく分かるだろう。
それなのに、この講義に限っては、 僕と友人の2人以外に、前の方に座っている学生はいなかった。 なぜなのか、よく分からないが…。 そのおかげで、教官もその後ろの方に向かって話すので、 この講義に限っては前の方が聞きにくいという、 少々変なことになってしまった。
それで、その講義の最後に、簡単な試験があった。 確か、販売士とかいうよく分からない資格の試験だ。 ちなみに、販売士の資格を得るのが目的ではない。 流通の基礎知識を試すのが目的だ。 僕の得意な選択式の試験だったので、 ササッと書いて、とっとと教官に渡した。
なんでそんなことをわざわざ書くのかと言えば、 その評価が割と良かったからだ。 「ふーん、この程度はできる学生もいるのか。」と言っていた。 普段は口の悪い教官だけに、誉められると嬉しかった。 我ながら、単純な精神構造だ。 最近は特に、異常に精神が単純化している気がする。 下手に物事を斜に構えて見るよりも、 まずはまっすぐ見るようになってきたのだ。
確かに、物事を斜に構えて見たり、 あるいは、裏側から見たりしようとする姿勢は重要だ。 しかし、それ以上に重要なのは、 物事をそのまま、先入観や偏見を持たずに見ることだ。 それがあって初めて、複眼的な見方が意味を持ってくる。 1つの物事に対して、複数の考察を示すことができるのだ。
複数の考察を示すことがどう重要なのかということだが、 これは、進路選択の問題を考えるといいかも知れない。 別に、問題ならなんでもいいのだが。
まっすぐ状況を見つめれば、 おそらく、大学は自分のやりたいこと、魅力的なカリキュラムで選択することになるだろう。 その上で様々な状況を加味して、判断することになる。 もちろん、偏差値もあるし、スキャンダルなどの情報もある。 場合によっては先輩からの情報が入手できる場合もあるだろう。 また、僕の日記だけでなく、 Internet上には、ひまな大学生が記した 大学生活の記録が無数に転がっている。 これも、活用の方法によっては重要な資料になるだろう。 周辺の就職活動が始まったら、 僕は、社会人の日記をいろいろさがしてみようと思う。 これで、表面的な就職活動では見えない部分を見ようと思うのだ。 もちろん、普通の就職活動は、それではダメだ。 あくまでも、物事をそのまま、なるべくまっすぐとらえることだ。 僕は、就職活動をする必然性がないから、 まともな就職活動なしで、こういう変な情報を仕入れるのも 選択肢として考えられることになるわけだ。
それで、このような様々なものを見たとき、 それを素直に見据えて、情報を的確に把握することは最も重要だ。 そうでなければ、大学に入ってから後悔することになりかねない。 僕は、それほど調査もせずに大学に入って、 それで後悔などしていないが、そういうのは運がいいだけなのであって、 実際はなかなかそういうわけにはいかないだろう。
それで、これを斜から見たり、裏から見たりするとどうなるか。 例えば、偏差値の一覧がある。 それ自体はただの数値と言われるが、 実はこれ、その大学の学生の特徴を如実に示すのだ。
偏差値とその人間の知的レベルは、 ある程度の相関を示す。 偏差値がやたらと高いくせに知的レベルの低い人間や、 偏差値はたいしたことがないのにやたらと仕事ができる人間もいるが、 個々を見ずに全体を見れば、偏差値はある程度の傾向を示していることが分かる。 ちなみに、IQもそうだが、偏差値は個々を見るものではない。 1つ1つの要素を見ていては、あまりに誤差が大きくて、 判断材料にするのは難しい。 そうではなく、誤差要因が相殺しあった 全体としての傾向を見るのだ。 そういう意味で、個人の偏差値にそれほどの意味はないが、 大学の偏差値には意味があると言える。 ただし、最近は個人の偏差値もかなりの精度で測定できるようになっているが。 受験技術の進歩は恐ろしいものだ。
だから、こう考える。 この大学は偏差値が50程度だから、 ここの学生の知的レベルは、おおよそ世の中の平均程度だ、と。 僕の見る限り、だいたいこれが外れているとは思えない。 ただ、偏差値が50であろうが60であろうが、 印象はそれほど変わらないが。 70くらいになると、明らかに違うという印象を受ける。 ただ、繰り返すが、これはあくまでも全体的な傾向だ。 例えば、偏差値が非常に高い慶応大学の医学部に所属する男子学生が、 集団で女子学生を襲って強姦するという あまりに頭の悪すぎる事件を起こしたりもしている。 勉強ができても、頭ができているとは限らないのだ。 この例の学生など、明らかに人間として失敗作だろう。 歪みがきつすぎて、矯正は不可能と思われる。 廃棄処分した方が賢明だと、僕は思うが。
その他にも見方はある。 例えば僕は、国立大学は、だいたいどこに行っても それなりの講義をやっていて、おおむね満足できると書いている。 これをそのまま解釈しても構わないが、 あえて逆にとらえ、 「こんな文章を書く人間がこんな風に思う大学は、 きっと自分には合わないに違いない」と。 この例ではかなり安易だが、このような考え方もあると思う。
話は少し変わるが、 人の意見というものを、どうとらえるべきだろうか? これは、上に書いた情報とは、少々異なる捉え方をすべきだと思う。
人から直接入手できる情報は、 他の情報にはない特徴を持つ。 まず、感情的な要因が多く入ることだ。 例えば、話術、話者の人格、その人に対する自分のイメージなど、 情報の本質とは何ら関係のない部分で、大きな影響を受ける。
それから、人間の特性を考えると、 その情報は不安定なものとなりやすい。 人間の記憶というのはそもそも、移ろいやすく、儚いものだからだ。 それを補佐するために、人間は一般に、自分の記憶を補修する。 その補修が正しければいいのだが、 間違っていることもある。 そのため、特に記憶されてから時間が経った情報は、 極めて不安定なものとなる。
さらに、情報の受け手によって個人差は大きいが、 人が直接話す情報は、他と比較して圧倒的な説得力を持つ。 人間同士の会話の中で発せられる情報なので、 極めて主観的なものとなってしまうのだ。
よって、このような特殊な情報を扱う場合、 物事をまっすぐとらえるという視点では、 主観的な考え方に飲み込まれてしまう可能性が高い。 そのため、この場合に限っては、 まず、批判的に情報をとらえる必要がある。
相手の話に相づちを打つのはいいが、 実際、心まで納得してはいけない。 その人が本当のことを言っているかどうかも分からないし、 その人自身が気づかないうちに情報が歪んでいる可能性も大きいからだ。 ちなみに、僕自身、相当歪んだ情報を発している。 この日記は文章という形でまとまっているので まだそうでもないが、普段話している言葉となると、 その内容はおそらくひどいものだろう。 ちなみに、僕個人の特徴なのだが、 僕の言葉には極端に重複が多い。 前に言ったことを忘れてしまうのだ。 エピソード記憶を覚える能力は、おそらく相当低い…。 意味記憶の方は、他の人より覚える能力は高いと思うが。
ということで、情報に当たる場合には、 その情報の特性を考えた対処が必要だと思う。 ひらたく言えば、時と場合によってよく考えるべきだということだ。
ただ、どちらにしても、複眼的な思考は必要だ。 始めにどう捉えるかは結局その人次第かも知れないが、 最終的に広い視点で物事を捉えられなければ、 考えから落としてしまった部分で影響が出かねない。 自分のやりたいこと、偏差値、あらゆる点を考慮したつもりでも、 学費を考えなければ大学には行けないかも知れない。 夢を追うことがもっとも大切だが、現実も見なければならない。 ちなみに、今の世の中なら、よほど変な夢でない限り、夢は追える。 学費がないなら、奨学金がある。 アルバイトも、割と豊富だ。 現実に屈して夢を放棄しようとしている人は、よく考えてみることだ。 本当にすべての可能性を検討したのか? プライドが邪魔をして、選び取るべき道を放棄してはいないか? と。 自分が、夢を追うような生き方ができていないだけに、 もし、夢を追っている人がいるなら応援したい…。
きっと、社会人になれば、僕はこの余裕を失うだろう。 学生というモラトリアムの期間だからこそ思う、他人への許容だ。 自分に余裕があるから、他人に対しても余裕が持てるのだ。
今日はこの辺で。 次の日記もあるし。
2002/11/12 22:06
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