Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2002年10月08日(火) それぞれの正義

2002/10/09 22:50 5904字
やはり、何がなんでも毎日日記を書いていくというのは
無理があるのだろうか。
生活の調子は極めて良くて、
思い切り幸せを享受しているのだが、
今日はなんだか体調が悪い。

…それもそのはず、
この日記の日付、8日は、4時間しか寝ていないのだ。
それはすべて、Ragnarokが原因だ。
詳細を書いてもしょうがないのでザッと書くが、
すべては回復役の女性をナンパできてしまったことに始まる…。

僕は先輩と待ち合わせをして、廃鉱に向かった。
非常に経験値の多い敵がいるらしいのだ。
しかし、僕1人では心許ない。
相手が少し強すぎるのだ。
だから先輩と待ち合わせをしていたのだが、
そのとき、レベル上げをしているアコライトを見つけた。
アコライトというのは、どういう由来か知らないが、
とにかく、回復のスキルを持つ、僧侶や白魔道士に当たるやつだ。

僕は剣士なので、攻撃力と防御力に優れるが、
HPが減ったらどうしようもない。
アコライトは回復の能力があるが、
1人で戦うには攻撃力も防御力も心許ない。
だから、一緒に戦いませんかと誘ってみたのだ。
で、それが成功してしまった。
その先を細かく書いても仕方がないので省くが、
それがきっかけで、一晩中その人と一緒に遊ぶことになってしまったのだ。

昨日も書いたが、やっていることはただのレベル上げで、
ひたすら敵を倒し続けるだけだから、
やっていておもしろいことではない。
しかし、そこにコミュニケーションの要素が加わると、
かつてないエンタテインメントとして、MMORPGはその可能性を示すのだ。
あくまでも、コミュニケーションがメインでないことが重要だ。
そうでなければ、他のインターネットを利用したサービスとの差を出すことができない。
ゲームでコミュニケーションも取れることが重要なのだ。

ゲームの話はこれくらいにして、
この日は午後からの授業だった。
この日だけではない。今月中は、半分くらい午後からの講義になる。
僕たちと一緒に講義を受けている人たちが、
乗船実習でいなくなっているためだ。
僕のいる大学は船乗り養成大学で、
3年というのは、その集大成をする時期だ。
よく知られているように、大学4年生はそんなことをしている場合ではないからだ。
ちなみに、室蘭に行っている。
室蘭の人がこの日記を読んでいたら、
ぜひ室蘭に訪れている作業着姿の学生たちに
親切にしてやってほしい。
流通の学生がそう言っていたと…。

どこかで書いたかも知れないが、
大学院で、学部の教職を履修できるという話がある。
通常、大学院に入ると、学部の講義は受講できない。
例え同じ大学であっても、大学と大学院は違う組織だからだ。
私立大学ではどうだか知らないが、
国立大学では、それは二重学籍と見なされ、
できないことになっている。

ところが、ここでとある事情によって、
大学院生も学部の教職課程を履修できるという話が出てきたのだ。
それは、僕のように、
必修科目とぶつかってしまったので、教職の科目を取れませんでした、
という学生を救済するための措置ではない。

非常にややこしい理屈なのだが、それは、飛び級と関連している。
飛び級というものの実態をご存じだろうか?
高校2年生から大学に入学する場合もそうだと思うのだが、
大学3年生から大学院に入学する場合も、
どちらにしろ、卒業資格が得られない。
大学に入れれば高卒なんてどうでもいいと思うが、
学士という称号は、また違った意味を持つのだ。

それが、教職の条件だ。
教師は、文部科学省が定めた教職課程の単位を、
必要なだけ取得していなければならない。
それだけではない。それ以外に、
大学を卒業し、学士資格を得ていなくてはならないのだ。
学士でなくては学校の教師にはなれないのだ。
詳細は覚えていないが、小学校の教師からはそうなっていたと思う。
幼稚園や保育園は、専門学校でもいいらしい。
実際、間接的ではあるが、そういう知人がいる。

ところが、今の制度では、
飛び級をした優秀な人材は教師になれない。
なぜなら、飛び級をして修士資格を取ったとしても、
学士の資格は持っていないからだ。
修士は学士より格上なのだから、細かいことは気にしなければいいじゃないかと思うが、
細かいことを気にしなければ動かないのが日本の役所というものだ。
確か、学校教育法か教育基本法に定められたことだったから、
これはそう簡単に変えられることではないのだ。
こんなことで法律を改正するほど、政治家は暇ではないはずだ。
北朝鮮の拉致疑惑でこんな大騒ぎをしている場合ではないと思うのだが。

だから、法律の枠内で何とかする必要が出てくる。
つまり、飛び級しても、教師になれるようにしたいのだ。
そのために満たすべき条件は2つ。
学士資格の取得と、教職課程の単位の取得だ。

ここで、先程述べた話が出てくる。
大学院に入っても教職課程の単位を取得できるようにしてしまえば、
めでたく、条件の1つはクリアできる。

ところが、学士資格の取得でつまずいているのだ。
飛び級というのは大学3年までしかいないのだから、
通常、学士資格は与えられない。
学士というのは、卒業論文を書いて、
それが認められたものに与えられる称号なのだ。
大学3年生は、そんなものは書かない。
また、飛び級をするような学生であれば、間違いなくそんな暇はない。

そんなことは気にせずに、
大学3年で飛び級した学生に、学士資格を与えるとする。
卒論も書かずに学士を与えるという時点で少々無理があるが、
法律的に、不可能なことではないようだ。
ところが、これでも問題が出てくる。

今の制度だと、
飛び級をした学生は、修士を取るしかない。
でなければ、最終学歴が高卒になってしまうからだ。
考えてもみるがいい。
飛び級して大学院に入るほどの学生が、
最終学歴が高卒、というのを良しとするだろうか。
いくら学歴による差別が減っているとは言え、
まだ十分に残っているだろう。高卒ともなれば、
ますます差別されることは間違いない。
ましてや、高卒の23〜25歳だ。
平穏な人生は送れないと言っても、おそらく過言ではないだろう。

そうなると、飛び級して大学院に入ったら、
とにかく卒業するしか道はない。
ところが、飛び級するときに学士資格を与えてしまうというのは、
要するに卒業を1年早くするということだ。
大学院の1年生で中退してしまったとすると、
みんなと同じスタートで就職することが可能になる。
しかも、その学生は大学4年生の時、何もしていないのだ。
他のすべての学生は卒論を書いて卒業しているのに、
その学生だけ卒論なしで卒業している、という結果になる。

飛び級するような学生がそんなことをするか、
と思うが、役所の思考法というのは、
そういう世間の常識にはとらわれない。
あらゆる可能性を考慮しなければならないのだ。
たぶんしないから大丈夫、では許されないのだ。
ことは、多額の税金だって関わるのだ。

そういうわけで、学士資格の方がとん挫している。
学士資格の方の条件が整わないので、
大学院で教職課程を履修する方だけ可能にするわけには行かない、
というのが実状らしいのだ。
極めてややこしい状況にあると言える。
いろいろなアイデアが考えられるが、法律が壁となって立ちはだかる。

ここで、大学にはもうひとつの問題がある。
内規だ。
教職課程の履修に当たっては、
各大学に様々な内規がある。
大学の専門科目を教職の科目として認定していたりする事情からだろう。

この内規、基本的には必要なものだ。
こいつがなかったおかげで、僕は教職課程をあきらめざるを得ない状況になった。
何も決まりがないのだから、適当にやっていればいいのかと思っていたのだが、
さすがに、指導法の単位がない状況では教育実習には行けないのだ。
教職の教官は、それでも教育実習の交渉を
相手先の学校としてみたらどうだと言っていたが、微妙なところだ…。
そんなムチャをしてまで行きたいとも言えない。
どういうことかと言うと、
本来行けないはずの教育実習なのだが、
話をどんどん進めて、なし崩し的にGoサインを出してしまえ、ということなのだ。
まるで、東京都の公共事業のようなやり口だ。

だが、内規がないことによる利点も存在する。
管理者にとっては困ったことになるのだが、
現在の教職課程は、極めて小規模だ。
小規模な教職課程と、内規のない組織体制。
ましてや、その担当者は1人で、
実質、教職課程はその教官が大学側に働きかける形で動いている。

ということは、だ。
内規を策定しなければ、学生の意志次第でなんでもできるということなのだ。
例えば、僕のようになし崩し的に話を進めることだって、
法律で規制されているわけではないので可能だ。
また、商業高校での教育実習だってできてしまう。
工学の教職だが、別に商業高校で教育実習をしてはいけない、
というルールはどこにもないからだ。
とにかく、法律で禁止されていないことは、なんでもできることになってしまう。
ちなみに、もし僕がこのまま教職を履修し続けた場合、
教職を締めくくる総合演習は、
なんと、ゼミナールを教えることになる。
考えてもみるがいい。
学士すら持っていない一学生が、たった1つ下の学生を教えるのだ。
これほど不自然なことがあるだろうか。

ゼミナールだって、必ず単位が認定される科目ではない。
もし、今の3年生がゼミナールを取り損ね、再履修した場合、
僕は、同級生に対して授業をすることになるのだ。
おそらく、これほどのムチャは、他のどんな大学でも通るまい。
実際、教職担当の教官は、
課程会議にかけるつもりはないらしい。
僕の指導教官と相談し、その指導教官がGoサインを出した時点で
総合演習が動き出すらしいのだ。
それも、履修候補者が僕1人しかいないからこそできる芸当だ。
少人数による機動性と、ルールの定まっていない教職課程を
フルに活用している。

ちなみに、ルールが定まっていないことには、他にも理由がある。
いくらなんでも、本来ならこんな無法地帯のような状況が許されるはずはないのだ。
その理由とは、統合の話だ。
僕の大学は、来年の10月には統合してしまう。
そうなると、教職課程も完全に装いを変えることになる。
担当教官も替わるし、事情も変わってくるだろう。
だいたい、単科大学ではなくなってしまうし。

ということは、あと1年だ。
規則を定めるのには、それなりに手続きなども必要で、
いろいろと大変だ。
しかし、定めたところで、来年には消えてしまう。
だったら別に定めなくてもいいじゃないかと、
このまま引っ張ってしまうつもりらしいのだ。
こんなチャンスは滅多にないから、活用したいところなのだが…。

実際は、それもなかなか難しいのだ。
なんと言っても、僕に教育実習を履修する意志がないのだから。

ところで、彼女が交通経済学の答案を返されていた。
93点だと言っていた。僕が95点だったので、
何とか勝つことができた。
しかし、その致命的なまでの差は、感想にある。
僕は、95点も取れたことは、ほとんど奇跡的なことだ。
勉強したとき彼女がいて、かつてないほどやる気に満ちていたから、
勉強したことがすべて頭に入っていたのだ。
一方、彼女の方はと言えば、
ずっとなんだかやる気がなかった。
この試験も、ずいぶん調子が悪かったそうだ。
全然ダメだった、らしい。
それでほとんど同じ点数なのだから泣けてしまう。
ちなみに、100点満点の試験だ。

あと、演習があったが、まあ、演習はそれなりに。
グループで活動しているのだが、
リーダーシップを取れる人がいて、
話し合いはなかなか順調に進んでいる。
はっきり言って成績はあまり良くない人なのだが、
こういうときに必要なのは、優秀な頭脳より、
周囲の人間を納得させることのできる説得力だ。
すべての人間が理性的に判断するなら
優秀な人間が最適なアイデアを示すのがいいだろうが、
世の中、なかなかそうは行かない。
各グループが不満を述べている中、
僕たちは特に不満もなく話を進められた。
…ただ、僕はかなり「調子に乗っている」状態なので、
不満を感じている人がいるかも知れないが。
そのような場合、順調に進んでいるうちはいいが、
話が進まなくなるとトラブルの種になりかねない。

その後、家庭教師の仕事をした。
相変わらず物騒な話をしている。
友人がボコられたから、6人で闇討ちをかけるそうだ。
その足はすべて盗んだ原付。
6人で行くわけだから、少なくとも6台盗まれるわけだ。
他にも、パチンコ屋で玉をカツアゲしたとか、
いろいろと話を聞かせてくれた。
世の中にはそういう高校生もいるのだ。注意した方がいいだろう。
パチンコ屋になんて、行かないのが一番だ。

ちなみにその行動原理だが、
実は、一般人にはなるべく関わらないようにしているらしい。
攻撃の対象になるのは、いわゆるヤンキーという連中だ。
他にもチーマーとかB-Boyとか裏原系とかスケーターとかギャル男とか
呼ばれ方は様々だが、要するにそういう人たちがターゲットになりやすいということだ。
僕のように、普段から襟付きの服しか着ないような人間は、
そう簡単に襲われたりはしない。
今になって考えてみると、
だから僕は、2回しかカツアゲされたことがないのだ。

その理由だが、極めて単純だ。
堅実に生活している人間は、金を持っていない。
これがすべてだ。
不良だってリスクを冒して脅迫をしているのだから、
ちゃんとお金が欲しい。
それが、僕のような人間をターゲットにして、
有り金全部巻き上げても3000円にしかならない、
というのではあまりに悲しい。
だから、見栄っ張りの金を持っていそうな人間を狙うのだ。

題名、なんでこういう題名にしたんだっけな…?
ああ、そうだ。人によって何が正しいか分からないという話を書きたかったのだ。
僕は、ある程度の友人に囲まれ、
成績も悪くない、という大学生活に満足している。
環境は、かつてはあり得なかったほどのものだろう。
大学生活以外も、現代はネットもある。
それ以外の人間関係もある。
家族だっている。
借金は多いが、弟だっていい弟だ。

それがつまらないと言う人がいるかも知れない。
きっと、上に書いたような生活をしている生徒は、
僕のことをつまらないと思っているだろう。
どちらも、自分が正しいと思っている。
第三者から見れば、きっとどちらも正しいに違いない。
生徒の行動は、法律的に見れば犯罪だが、
今を楽しむその考え方は、決して悪いものではない。
ただ、他人に迷惑をかけないようにすべきではあるが。

久しぶりにがんばってしまった。
弟がゲームをやりたいと言っているので、
今日の分の日記はLibrettoで書くことにする。

2002/10/10 0:03


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