2002/9/20 12:39 今日は、大学の人間関係の話を。 最近は大学生活の話を書けているな…。 ジャンルを移されることがあるというのを読んだから、 少しは気をつけないと。 …別に、ジャンルを移されても困りはしないのだが。
普段、あまり話さない人と、長話をした。 今が12時半で、話し始めたのは11時くらいだから1時間半くらいだろうか。 いろいろな話を聞けて、面白かった。
意外な話も多かったのだが、 普段話さない人と話すとき、気になるのは自分のイメージだ。 別に、それしか気にならないわけではないが、やはり気になる。 ついでに言えば、その人は女性だったのでなおさら気になる。
と言っても、本人を目の前にして悪口を言うとは思えないから ほどほどに聞き流しておかなければならないが、 どうも聞いた感じだと、僕にマイナスイメージはなかったらしい。 結構意外だ。 理系の大学にくる女性は、どこか感覚がズレているのかもしれないが。
あとは、意外な人に対するマイナスイメージ。 最初のころは、結構些細なことでマイナスイメージを抱くようだ。 積極的に人間関係を築こうとすると 失敗するという典型的な事例のような気がした。 入学直後の時期に、名前と顔と学籍番号がすべて一致していて 気味が悪かったとか、そんなような話だった。 一緒に大学生活を送る仲間だからと言って、 むやみに意識すると逆効果ということのようだ。
この日記、自分の備忘録と言う目的以外に、 大学生活を知らない人に、意外な大学生活を示そう、 という意図がある。 しかし、そんな人、読みにくるのだろうか。 せいぜい、僕が塾で教えている生徒くらいではなかろうか…。 まあ、一人でも二人でも、対象の人が読みにくるのであれば、それで十分だが。
僕は、自分の風貌をよくしようとする努力をほとんどしていない。 しかし、恋愛関係などの話ならともかく、 日常のことであれば、そのようなことはあまり問題にならないようだ。 これは、大学に入る前のイメージと違ってかなり意外だった。 大学生ともなると、見た目だけで人を判断しないようにするものなのかもしれない。 ちなみに、モテない僕が言うのもなんだが、 女の子と楽しく遊びたいと思うのなら、 格好には十分に気を使ったほうがいい。
弟と僕は、兄弟だ。…同語反復のような表現だが。 しかし、弟と僕はかなり違う。 僕は、どちらかというと、大学生活の力点を勉強においている。 …どれも重視していない、と言ってもいいかもしれないが。 それに対して、弟は、大学生活は遊ぶことがほぼすべてだ。 最近、まじめに勉強しよう、と言っているが、 それはひるがえせば、今までまじめに勉強していなかったと言うことになる。 まあ、環境も悪いが。 偏見かもしれないが、まじめに勉強するなら国立大のほうがいいと思う。 教官の質も多少は違うようだが、 それよりも何よりも、周囲の人間の質が決定的に違う。 国立大は勉強しにくる人間が多いのに対して、 私立大は遊びにくる人間が大多数を占める。
基本的に、偏差値が上がるほうがそのような人間は減るだろう。 しかし、東京理科大ほどのレベルであっても、やはり遊びにくる人間は多いらしい。 早慶は説明の必要もないだろう。 それと比べれば、僕の大学はまじめな人間が多い。
何がいいたいのかと言うと、 私立大は遊びに向き、国立大は勉強に向くということだ。 私立大でまじめに勉強しようと思っても、 周囲に遊び人しかいないのでなかなか難しい。 逆に、国立大で遊びまくろうと思っても、 合コンを企画できるような気合いの入った遊び人なんていないので、それはそれで難しいのだ。
ということで、弟と僕は兄弟で、顔もあまり違わないのだが、 そのモテ具合には天地の差がある。 弟はほかに好きな人ができたからと、今の彼女をふってしまうようなことをあっさりしてのけるが、 僕の場合は、そもそも出会い自体が少ない。 友人にも、彼女がいるやつは少ない。 ただ、勉学に対する姿勢は、弟と比べて僕のほうが、だいぶ積極的だと思う。 だったら日記なんて書いてないで勉強しろよ、という意見があるかもしれないが、流す。
それで一応今日のメインテーマのつもりの、 大学生活における人間関係の話に戻そうと思うのだが、 これは、高校までの人間関係とはかなり違ってくる。 なんと言っても、18歳以上の人間が集まるのだ。 精神的にどうなのかはともかく、建て前を言えばもう大人だ。 僕は自分のことを大人だなんて思わないが、 少なくとも塾の生徒は僕のことを大人だと言う。 …精神的な意味ではなく、単に歳と風貌を指していることは間違いないが。 もし精神的に大人だと思っているのなら、「ちゃん」付けで呼びはしないだろう。
で、建て前を言えばもう大人なのだから、 たとえば、お互いを君付けで呼んだりする。 ニックネームを使っているのはあまり聞かない。 女性の場合は名前を呼び捨てにしているようだ。 僕の場合、冗談を言うとき以外は、すべて苗字に君付け、さん付けだ。 ただし、これは人にもよる。 名前に君付けと言う人もいれば、苗字の呼び捨てと言う人もいる。
それから、大学生活では親睦を図る機会が少ない。 みんなでいっしょに何かをする、ということがまずない。 だから、高校以上に、極端なグループ分けがなされる。 どのくらい極端なのかといえば、 僕の場合、2年半以上同じ教室で講義を受けている人たちのうち、 8割くらいの人とは、普段話す機会はない。 3割くらいの人とは口も聞いたことがないし、 1割くらいの人は、顔も名前も分からない。 だから、用もないのに彼女に話し掛けたりするような例を除けば、 普段、話をするのはほんの4,5人だ。
さらに、個性が顕在化することも、大学の人間関係の特徴だ。 高校までは、制服で厳しい校則に縛られているので、 みんな同じに見える場合が多い。 少なくとも、高校の頃そう思わなくたって、大学に入ればそう思う。 大学に入ったばかりの頃は、自分のことを棚に上げて、 どうしてこんなに変人ばかりなのだろうと不思議に思ったものだ。 僕の得意な類型論で割り切れない人が多すぎた。 ただまあ、これは単に、国立大に変人が集まる、ということかもしれない。 さらにいえば、僕の周囲にたまたま変な人が多いということなのかもしれない。
それから、これは僕が行っている大学など、ごく一部のことだと思うが、 目的意識がない人が多い。 ほかの大学の場合、大学に入ることが目標で、 その後のことは何も考えてなかった、というタイプなのだが、 この大学の場合は、そもそもこの大学に来るつもりなんてなかった、という人がかなり多い。
で、半分大人の人間関係、極端なグループ分け、個性の顕在化、目的意識のなさから、 何が言えるのかと考える。 人によっていろいろ考えられるだろうが、 まず言えることは、距離感を保つのが非常に難しいということ。 普段からいっしょにいる人はいいが、話さない人とは本当に話さない。 もちろん、グループ分けのためだ。 しかし、同じ大学の同じ課程に所属する仲間だ。 だが、相手がどんな人間なのかまったくわからない。 今までの自分の経験には当てはまらない個性が多いからだ。 見た目と性格が違うかもしれないし、だいたい歳だって違う可能性がある。
これだけだったら、適当になあなあで付き合っていればいい気がするが、 ここに、大人という意識が入る。 そうすると、大人としてきっちりと距離感を持とうという意識が生まれる。 だが、目的意識がないということは、 少なくとも大学の専攻の話で同意できるとは限らないわけだ。 僕の専門は流通情報工学なのだが、 大学で数学をやりたかったという人までいるのだ。 数学をやりたいなら、工学ではなく理学でなければならない。 流通だとか情報だとかという以前の問題だ。
ということで、特に最初の頃は、 人間関係を築くのが極めて難しい。 だが、あせってはいけないと、僕は思う。 試験前になれば自然と情報交換を始めるから、 少なくともまじめに勉強さえしていれば、そのときには話す機会もある。 普通はそんなことがなくたって話す機会くらいあるものだ。 気の合う人が一人か二人いれば、とりあえずは十分だ。 そこから、人間関係なんて適当に広がるものだ。 まあ、僕の場合、そこから女性にまで到達するのに二年かかったわけだが。 それがいやなら、格好を工夫するとか、何か考えたほうがいいだろう。
で、あせるとどうなるかということだが、 急いで仲良くなろうとすると、距離感を誤る。 僕も彼女に対して、相当このミスを犯してきたが、 君付け、さん付けで呼んでいるようなときに急いで接近すると、 かなりのマイナスイメージを与えかねない。 …もちろん、相手の性格にもよるが。 理系の人間には少ないが、非常に積極的な人間関係を好む人もいる。 そういう人と下手に距離を置こうとしても、 かえって印象を悪くするだけ、という可能性がある。
まあ、近づき過ぎないように気をつけていれば、そのうち話す機会くらいはあるだろう。 最初に述べた人とは、たまたまエレベータで一緒になったのだ。
ちなみに、そんな人はいないと思うが、 消極的な人間関係が嫌いなら、 僕が言うようなことにこだわる必要はまったくないと思う。 もしかしたら多少、敵を作るかもしれないが、 僕よりもはるかに強固な人間関係を築けることだろう。 ただまあ、積極性にはリスクを伴うということだ。 僕のように、外見のイメージがそれほど良くなくても、 変なことさえしなければ、ある程度の人間関係を築けるものなのだ。
それから、私立や文系だとまったく事情が異なると思う。 外見を気にされなかったのは、外見を気にしない人間が多い理系だったから、 という可能性もある。 私立や文系と言ったが、私立文系ともなると、僕の知らない別世界だ。 僕の書いていることなど、一から十までまるで参考にならないと思ったほうがいい。
あと、私立と国立では、来る人間の経済力も違うようだ。 それが格好の差になって現れているのかもしれない。 私立の大学生はバイクや車を普通に乗り回すが、 国立の学生で車を乗り回していたら変人と言っていい。 いないことはないが、非常に目立つ。 もちろん、経済力に関しては、高位の国立は別だ。 東大生の親なんて金持ちばかりに決まっているのだから。
だから、経済力という観点ではほぼ同等の僕と弟でも、 僕は貯金があるのに対して、弟には借金しかない。 もちろん、性格の違いもあるが、周囲の遊び方の違いも大きい。 僕の場合は、入場料がただの展示場や、 値段の安いカラオケなどに好んで遊びに行く。 それに対して、弟の場合は、 金なんてなくても、平気で旅行に行ったりする。 僕の場合は1000円程度しか使わない遊びかただが、 弟の場合は20000円、30000円とかかる遊び方を時々する。 金がなくなるのも当たり前なのだ。 国立の場合、僕より金を持っていないのが普通なので、 僕の貯金は減ったりしない。 しかし、私立の場合は、金を持っているのが当たり前なのだ。 大学生にして、すでに家計は火の車、なのだ。 そう言えば、弟の携帯電話が壊れていた。いったいどうするのだろう?
なんだか話が支離滅裂になってきた気がする。 まあ、いいか…。
ああ、そうそう。 僕が普段いっしょにいる人たち、周囲から見るとまじめそうに見えるらしい。 まあ、確かに、講義ではいつも前のほうに座っているし、成績もそれほど悪くない。 評定平均が1〜3の範囲で表されるのだが、だいたいそれで2.1程度だ。 ということで、試験前になると、友達がかなり増える。 試験という緊急事態を前にすると、 みんな人間関係も距離感も、何もかも考えなくなるようだ。 ただし、僕は授業態度ほど成績は良くないので、 聞かれて分からないことも多くて、ちょっと困る。 …ちゃんと分かってさえいれば何の問題もないのだが。
ちなみに、試験が近くなれば、 目的意識なんて関係なく、話題の中心は試験の話になる。 試験の話さえしていれば、誰とでも話ができる。 一応、人間関係拡幅のチャンスではある。 そんなことを意識したのは、今このときが初めてだが。
人間、不安なときほど他人の力添えがほしくなる。 そこらへんをうまく見極めて、人間関係を築くのが大事ではないだろうか。 だから、初めて話し掛けるなら、相手が一人のときのほうがいいと思う。 それから、入学式だとか、これから先にみんなが不安を持っているとき。 イベントのときも、相手によってはいいかもしれない。 そして何よりも、試験だ。 大学の試験は、受けてみないとどんな問題になっているのか分からないことが多い。 ここでたとえば、過去問を持っていたりすると、 一躍ヒーローになれる…かもしれない。 まあ、それは大げさだが、話のきっかけにはなると思う。 単位を取得した科目でも、過去問は捨てないことだ。
まあ、全体的に大げさに書いたが、 普通、大学生ともなれば、人間関係を築く上で、相当いろいろな経験をしていることだろう。 ちゃんと頭を使っていれば、悩むことはないと思う。 ただまあ、あまりに消極的だと、困るかもしれない。 僕の場合は、健康診断の待ち時間に話し掛けたりしていたが、 適当な頃合いを見計らって、きっかけを作るといいかもしれない。 初めは自分と似たタイプが無難だろう。 自分と違うタイプの場合、気が合うか合わないかの両極端の場合が多い気がするからだ。 自分と違うところが面白いと思うか、気に入らないと思うかだ。 ぜんぜん自分と違う考え方をしているけどそんなのはどうでもいい、 なんて、普通は思わないのではないだろうか。
何も話さないと、マイナスイメージを持たれるかもしれない。 だから、何でもいいから明るく話すように心がけるといいのではないだろうか。 あとはまあ、話を聞くことだ。 向こうから話をしてくるのは人間関係を築きたいと思っている印と思ってもいいのではないだろうか。 少なくとも、興味がなかったり嫌ったりしている相手に、 積極的に話し掛けることは考えにくい。 だから、話をされたらじっくりと聞くことだ。 …当たり前、って気がするが。 それに、えらそうに書いていても、自分ができていないような気もする。
まあ、あえて一つ言うなら、聞きっぱなしにならないことだ。 ちょっとくらい、「それはどうかな」くらいのことを言ったほうが、 話をちゃんと聞いている印象を強く与えると思う。 もちろん、相手の話がすべて納得できるのであれば、そんなことを言う必要はないが。 すべての話が完全に納得できるなんてそうはないだろうから、 そんなときは、大げさに反応するのもいいかもしれない。 まあ、ちゃんと話を聞いていれば、問題はないだろう。
話をしたくなっても、相手がしゃべっていたらちょっと待ってみることだ。 本当に割り込んでまで話すことなのかどうか…。 …自戒を込めて。
にしてもなあ、女性相手でも、 先ほど述べた人のときはそれほど意識しなかったのに、 なんで彼女だとあれほど意識してしまうのだろう…? 彼女の雰囲気とか話し方とか、僕の心の持ちよう以外にも理由がある気がする。
今日も、長い割に内容はたいしたことないな…。 最後に、さらにどうでもいい話を。
ゲームなどをしていて、「カイザー」という言葉が気になったことはないだろうか。 「カイザーナックル」なんてよく出てくるが、 これってどういう意味なのだろう、と。 ほかは大抵英語だったり北欧神話が由来だったりするから、調べれば分かることも多いのだが。 ラグナロックは北欧神話における神々の最終戦争で、 グングニルというのは主神オーディンの槍だとか、そんな感じだ。 さらにどうでもいいが、バハムートとベヒーモスってのはもともと同じ意味らしい。 それぞれが別々に出てくるFFは少しおかしいのだとか…。
で、これはドイツ、オーストリア、ローマ帝国の皇帝を指す、「カイゼル」がなまったものらしい。 「カイゼル」の由来は、かの有名な「カエサル」なのだそうだ。 それで分からなければ、ジュリアス・シーザーといえば分かるだろうか。 シーザーがカエサルになってしまうのだから、アルファベットの読み方というのは複雑だ。 Caesarでは、とてもシーザーとは読めない気がするが。 どう見てもカエサルだ。 しかし、英語の辞書には確かにシーザーと読むことを示す発音記号が載っている。 余談だが、virusは「ビールス」でも「ウイルス」でもなく、「ヴァイラス」だ。 ウイルスがドイツ語読みで、ビールスが英語読みと思っている人は多いのではないだろうか。 ドイツ語読みがウイルスってのは合っているようだが。
2002/9/20 15:40
2002/9/20 22:40 そういえば、昨日のこと…。 わざわざ書くほどのことでもないのだが、 昨日、彼女と一緒に電車に乗っていたとき、突然中央線が止まった。 それ自体は珍しいことではないので 動揺もパニックもなかったのだが、妙に嬉しかったことを覚えている。 …自分の気持ちがよく分からない。 別に、5分長く一緒にいたからって、どうなるわけでもないと思うのだが…。
スターオーシャンの次回作、 なんと、主題歌をMISHAが歌うらしい。 ああいう歌手がゲームの主題歌を歌うようになったのか…。 まあ、テイルズシリーズでは前からメジャーな歌手がやっていたから、 それと似たようなスターオーシャンでやってもおかしくはないが…。
明日は富士山まで遊びに行く予定だ。 それからしばらく、補講期間が続く。 補講は特に入っていないので、大学へ行くことはない。 今日、せっかく話す機会を持てた人や、彼女と会えなくなるのは少し寂しい。 …他の友人とは、いつでも普通に会えるのだが。
眠いし、こんなもんで。
2002/9/20 23:59
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