Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2002年07月22日(月) コミュニケーションの基本

2002/7/22 23:13
その日に日記を書いているなんて、久しぶりだ。
ここ数日、ずっと遅れていたから…。
まあ、まだ昨日の日記を書いていないから
これを書いてからそっちも書くつもりなのだが。
ちなみに、レポートの話を書いているが、
あれは日記ではないつもりだ。
昨日も書いているが、他人に見られることを意識すると、
少しまとまりやすくなるのだ。
…アクセス数を見れば、それほど多くの人が来てないことは分かるんだけどね。

今日は、書きたいことがいろいろ思い浮かんで、
そのたびに自分のメールアドレスにメールを送った。
送らなくてもPHSに記録だけしておけば同じなんだけど、
せっかく500円も出して送信無料サービスに登録したんだから、使わないとね。
ちなみに、僕が使っているのはDDIポケットのKX-HV200だ。
ワンタッチで開く筐体が印象的だが、実は後発のP504iの方ができがいい。
同じPanasonic製品で、PHSの問題点をうまく解決して作られたんじゃないかと思う。
PHSは実験台か?…まあ、いいけど。値段も全然違うし。
ちなみに、P504iは筐体にもう一つ大きな特徴がある。
それは、他の504iシリーズと比較して、圧倒的に薄いことだ。
一時期携帯電話は小ささを競う時代があった。
しかし、その時代は去ったと考え、どこの会社も大きな筐体に
多くの機能を詰め込むようになった。
でも、少なくとも昔は小さな筐体の携帯電話が売れたのだから、
ある程度この部分に対する需要はあると考えるべきだ。
その点、P504iだけ特殊なのだ。
きっと売れると思うのだが、どうだろう?
2chでも見に行けば分かるかも知れない。
あれは時代の陰を映す鏡だ。
すべてとは言わないが、少なくとも一部を映している。

今日は東京駅の構内で、殺人事件のあったコンビニを見た。
テレビ局の取材が来ていたが、そうでなければ普段と何が違うのか
分からないくらいにいつも通りだった。
さすが東京駅、恐ろしい復元力だ。
刺された人の血痕だって残っていただろうに、いつの間にかきれいに掃除してしまったようだ。

今日、わざわざPHSから送ってきたテーマは以下の通り。
1.コミュニケーションの基本。
相手の望むものを与えよ。
多くの場合、それは聞くことだ。
2.類型
3.孤独
4.信じること
5.外は変化を拒絶する

なんだこれは?と思うだろう。
僕だって、きっと書かずに寝てしまったら、明日には忘れている。

例のごとく、詐欺の心理学を読んだ感想だ。
詐欺を知ることは、人間を知ることにつながると僕は思った。
この本に記されている詐欺の手段は、
目次によると大きくわけて四つある。
欲望につけ込むこと、不安をあおること、権威を騙ること、社会システムを逆手に取ることだ。

なぜこれが人間を知ることにつながるのか?
それは、欲望につけ込むためには、相手の欲望を知らなければならない。
不安をあおるためには、相手の不安を知らなければならない。
権威を騙るには、相手がどのような権威をおそれるか知らなければならない。
社会システムを逆手に取るには、社会システムを知らなければならない。
3つ目と4つ目は直接人間につながってくるわけではないが、
それでも、結局人間に深く関わってくることは事実だ。

そして思った。
僕は、どうせ人間の心なんて読めやしない。他の人のことが理解できるなんて幻想だ、と思っていた。
しかし、そうではない。
部分的にしろ、他の人間を理解することはできるのだ。
そのための手段も存在する。

手段とは、結局のところ、突き詰めれば科学だ。
しかし、科学書である必要はない。
古来、人間は人間の心について多く記してきた。
心理学に限ったことではない。
自然科学以外の科学、つまり社会科学と人文科学は
何らかの形で人間の心を記してきたと言っても過言ではないと言える。
哲学などは特にそうだ。
しかし、他の人間を知る手段が哲学、というわけではない。
哲学はきっと、自分を知るための手段だろう。
そして今僕は、自分になど興味はない。

この世に自分ほどつまらないものはない。
自分ほど価値のないものもない。
僕自身にとって、僕に存在価値などないのだ。
苦痛さえなければ、別に死んだって構わない。
死んだら葬式はしないで欲しい。金がもったいない。
葬式をする金があるなら、僕を支えてくれた友人達で分けて欲しい。
葬式をする業者や宗教者に渡るよりずっといい。
遺体の処置はあらゆる方法を検討し、すべての中でもっとも安い方法にして欲しい。
もちろん、高くても面倒くさくない方法があるならそれでもいいけどね。
死んでまで苦労をかけたくはない。

で、相手を知る手段と言えば、それは結局は類型論だ。
これが上記の2につながる。
最近はテレビが普及しているから特にその傾向があるように感じるが、
人間の理想像なんて、結局のところ限られている。
優しくありたい、知的でありたい、優秀でありたい、
人から好かれたい、好奇心をずっと持っていたい…。
この類型に当てはまる姿は、誰だって経験的にある程度知っている。
あとはこれを、思索によって確実なパターンに分類するのだ。
そうすれば、多くの人間はいくつかの類型に分けられる。

ここから、1につながる。コミュニケーションの基本だ。
類型に分ければ、自ずとそれぞれの類型が望むものも見えてくるはず。
あとは、その望むものを与えてやるようにすれば、
コミュニケーションは容易に成立するはずだ。
ここでうまく騙せば詐欺だが、せっかくうまくいったコミュニケーションを
詐欺などでつぶしてしまうのはあまりに惜しい。
詐欺師も、それだけのコミュニケーション能力があるなら
何か他のことに使えばいいのだ。
まあ、金が欲しい気持ちも分からないではないが、
僕は今のところそれほど金に困ったことはないので
成立したコミュニケーションは、そのコミュニケーションそのものを楽しむのに使いたいと思う。
それだけで十分幸福な人生を送れるほど、
このコミュニケーションというのは重要だと思う。

人は、望むものを与えてくれる人間に極めて弱い。
…と記述があった。
頭から信じるわけではないが、少なくとも自分はそうだと思う。
平たく言えば、お世辞だ。
どのような人でも、自分が望むような賞賛の言葉はなかなか得られない。
逆に、すぐに得られるような言葉であれば望んだりはしない。
簡単な話、誰もが美人だと認めるようなすばらしい美人は
普通、「かわいい」とは言われないようなものだ。
誰もが美人と思い、多くに美人と言われるような人は
美人と言われてもそれほど嬉しくないだろう。
でも、「かわいい」だなんて誰も言わない。
その場合、その言葉は強い賞賛となる可能性がある。

…彼女は何を望んでいたのだろう?
そもそも恋をすることを望んでいないのだろうか。
そんなことはない。この世の中だ。
僕だってそんなことを望んじゃいなかったが、
ちょっとした弾みでこの通りだ。
意識しているかどうかは別として、心のどこかで望んでいるに違いない。
ならば彼女が望むことはなんだ?
彼女の言葉を額面通りに受け取れば、
彼女は恋を望んでいるかどうかは別として、
とにかく「余計なこと」をしている暇はないと思っている。
つまり、時間は使わずお手軽に、
無意識かも知れない感覚を呼び起こす、強いショックを望んでいるのではなかろうか?

あと彼女が望んでいることと言えば、
やはり自分の努力を認められることだろう。
彼女は尋常でない努力をしている。
効果的かどうかということよりも、努力をすることそのものに価値があると考えているようだ。
ものすごくノートをきれいにまとめていて、見る方は非常に嬉しいのだが、
それだけの時間をかける価値があるかどうかは少し疑問だ。
もちろん、僕のように何もしないよりずーーーーっといいことは間違いないが。
とにかく、それだけの努力をしていれば、きっと認められたいはずだ。

考えてもむなしい。今はもう、終わったことだ。
終わったあとどんな気分になるのかと思っていたが、
なんのことはない。別に誰だって知っている気分だ。
…そう、どうしようもない孤独感。
僕は多くの仲間に恵まれている。
いじめられたことなんてなかった。
意志は弱かったのに、誰もが僕を大切にしてくれたし、今もしてくれている。
だからこそ、その友人達と一緒にいたり、
連絡を取ったりしている間は何の苦痛も感じなかった。
だけど、そうやってずっと誰かと一緒にいるわけにはいかない。
普通の人なら必ず1人になる時間があるし、それは必要だ。
そんなときに、どうしようもないほどの孤独を感じる。
普通と違うのは、どんなに多くの友人がいても意味がないということ。
彼女がいなければ意味がないということ。
もちろん、人混みの中で多くの人に囲まれても何の意味もない。
残念ながら、僕の中で人混みは、ものと同じような意味しか持たないからだ。
意志を通じて、初めて人は人になる。
これが3の孤独ってこと。

誰でもそうなのだろうか?
失恋の感覚は、単なる孤独感。
新しくも何ともない。
自分は失恋したんだ…なんて自分に酔うかと思っていたが、
んなこともない。ただ、寂しいだけ。

ちなみに、1の最後の部分には説明の必要はないかも知れないけど、
どんな類型の人でも、大抵は自分のことを他人に印象づけたいものだ。
むだなおしゃべりが嫌いな人は、近頃はそれほど多くない。
よって、大抵の人は、自分の話を聞いてもらうことを望む。
だから結論として、非常によく言われることだが、
コミュニケーションの基本の中の大きなものとして、「聞くこと」が挙げられるのだ。
僕は、このことを人より強く意識している「つもり」でいる。
実際どの程度できているのかはよく分からない。
ただ、少なくとも僕の歳で、僕の知的レベルでは、
自分で考察するよりも他から情報を得る方がずっと重要で、
得られるものも大きいんじゃないかと思う。
だからって考えることに価値がないわけじゃないが。
どんなに情報を得ても、その情報について自分なりの考えを持たなければ
情報は十分な価値を持たないし。
だいたい、考えなければ記憶にも残らないだろう。

フリーズして吹き飛んだ。
どの程度消えたのか想像もできない。
いつものことだが、悲しい。

ああ、4からだ。
信じること。これはつまり、言い換えれば信じたいこと。
人は、信じたいことを信じてしまう傾向にある。
食費を節約したいと思っているときに、
大根が半額になったと言われれば信じてしまう。
もちろん、これは話の大小にもよるが。
それから、話す人間の属性にもよる。
そもそもの話す人間の信用度と話の内容によって、
相手がその話を信用するかどうかがある程度決まる。
例えば、上記の大根の話であれば、
絶対の信頼を誇る医学博士よりも近所のおばさんの方が信頼されるだろう。
しかし、ガンの診断となれば別だ。

話の大小によるというのは、
例えば僕は、魔法を使えたらいいな、といつも思っている。
極めて非現実的だが、願望はかなり強いと言っていい。
しかし、じゃあ魔法を使えるようにしてあげる、
といくら説得されても、信じたりはしないだろう。
いくら信じたくたって、冷静に考えてあり得ないことを信じたりはしない。
逆に言えば、あり得ることなら信じてしまうということだ。

このようなことは、ほとんどの場合、
それで間違いないという判断に基づいて決定される。
ごく一部の例外を除いてそれで処理できるからと、
自動的に慣れで処理しているのだ。
ここに考える余地がある。
信じたいことを言われたとき、それが現実的であればそれ以上考えずに信じてしまう。
思考のほとんどを慣れに任せているからだ。
この傾向は、特にそのことに集中していないときに顕著になる。
普通、人間は物事に集中して考えることはあまりない。
意識してそういうことを心がけている人もいるが、そんな人ばかりではない。
そのとき、心の片隅程度で考えていたことは、
極めて低次元の結論が出ていてもおかしくない。

…また、彼女のことが心をよぎる。
もしかして、彼女は僕とのことをあまり真剣に考えちゃいなかったのではないか?
単純な、面倒だからいいや、という結論になったんじゃないか?
…いや、信じると決めた以上は信じよう。
彼女の意志は、彼女の言葉に表れているのだと。

5の外は変化を拒絶するということは、
他人は変化を拒絶すると言い換えた方がいいかも知れない。
僕自身のことで言えば、僕は他人の変化を拒絶するということだ。
僕を含め、多くの人は他の人の変化を嫌がる。
友人として生活していれば、普通はその人のことをある程度信頼している。
信頼のない友人関係は想像しにくいが、存在するのだろうか。
で、その人が変化してしまうと、
友人として信頼していいのか、分からなくなってしまう。
つまり、友人を失う可能性があるわけだ。
だから、変化を拒絶する。
もっと言ってしまえば、自分のイメージと違う姿を拒絶する。
良くなるのならともかく、悪くなるときにこの傾向は顕著だ。
誠実だと思っていたのに、実はうそつきだった、なんて信じたくないだろう。
そういう事例があるから、
とにかく変化することそのものを嫌うのだ。
それで良くなるかどうかは分からないのだが、悪くなる可能性が捨てきれないからだ。

しかし、人は変わらなければならない。
だからこそ、他の拒絶をおそれてはならないだろう。

あと思ったことは、
他人に理解されることがどれだけ重要かということ。
他人を理解することは重要だが、他人に理解されることは
それほど重要でないかも知れない。
かえって、正しく理解されない方がいいこともあるし、
そんなことは現実に多い。
普通の人は、自分のいい面しか他の人に見せようとしないからだ。
まあ、露悪的なことが好きな人も少なくないが。
僕にもそういう面があると自分では思っているが、
なぜそういうことをしたがるのだろう?
…今度、ゆっくり考えてみよう。

ああ、フリーズして倍疲れた。
このPCもいい加減、嫌になるな…。

今日は、昼頃に起きて、大学に向かった。
昨日の日記に書いてあるが、レポートの提出日だったのだ。
レポートの内容についても昨日の日記に書いてある。

彼女に会えるかと思っていたが、
残念ながら会えなかった。
会いたければ、もう少し早い時間に図書館に行かなければならなかったのだろう。
もしかしたら、今日も図書館に行けばいたのかも知れない。
しかし、僕は教育用計算機室にしか行かなかった。
理由はよく覚えていない。
とにかく、彼女がいるかもしれない図書館に行こうという気にはあまりならなかった。
会っても何を話していいのか分からなかったというのもあるし、
何か突発的な行動に出てしまうのではないかと不安に思ったというのもあるかも知れない。
でも、会いたかったな…。

昨日の日記にレポートについてまとめたあと、計算機室の場所を変えた。
あまりにクーラーが強すぎて嫌になってしまったのだ。
そうしたら、他課程の友人がいた。
そいつといろいろ話しながらレポートをやっていたらすっかり遅くなってしまった。
そのあと東京駅で、例の殺人事件があったコンビニと同じ名前のカレー屋で食事をした。
こんな気分の時だと、思いもよらない新しい友人の存在が一際嬉しいものだ。
別に前まで知らなかったわけではないのだが、これほど親しくしたことはなかった。
少々こっちの話を聞いていないように見える部分もあったが、
彼はこれから留学すると言っていたから、それどころではないのだろう。
こっちも十分話を聞けていないところがあった。注意しなければ…。

とりあえず、教職以外の問題はすべて片づいた。
…教職は、どうしようか。
元々工学の教師になるつもりなどこれっぽっちもないが、
上記の友人には教職しか共通点がない。
失うのは少々惜しい。
もう少し、がんばってみるか。
レポートの提出期限は大きく遅れているが、
出せば単位くらいは出るだろう。
大学院の推薦に関係あるのかどうかは知らないが、
まあ、そうなったら仕方がない。

大学院は上位10名程度が推薦の対象になるそうだ。
評定平均がたった2.1の僕ではかなり厳しい。
専門科目は基礎科目より優を取りやすいから、
このあたりでがんばらないと院試を受けることになってしまう。
どうせ入るなら、試験なんてない方がいいに決まってる。

ああ、長いなあ。
ここにアクセスした人のうちのどのくらいが、
ここまで読んでるんだろう?

2002/7/23 1:26


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