2002/7/13 1:00 このエンピツというサイトで日記を書くとき、 題名部分を二度クリックすると、それまで書いた題名が オートコンプリート機能で表示される。 もしそれが見てみたいのに見えない人は、インターネットオプションから インライン・オートコンプリートを使用する、という設定をONにしておこう。 違うかも知れないが、たぶんこれでいいだろう。
今日思ったのは、 人に恋するのと、何かものが欲しくなるのと、いったいどれだけ違うのかということ。 どちらも、結局自分の欲望を満たしたくなるだけではないだろうか。 ずっと彼女のことを見ているつもりでいたが、 結局、彼女の言葉をろくに覚えていないと気づいて、ふと、そう思った。
世の中の人みんながそうだとは思わない。 でも、少なくとも僕はそうなんじゃないかと疑問に思ってしまった。 まあ、考えてもなるようにしかならないが。 この分野の話はメディアを通して非常に多くの情報が流れている割に、 定量的な分析などの手法を用いた研究の話はほとんど聞かない。 これだけ人々の興味を集めている分野であれば、 それだけで研究する価値があると思うのだが。
あくまでも仮説だが、 人間の恋愛行動は、他の動物とは相違があるのではないだろうか。 種の保存が目的であれば、もっと節操なく片っ端から結婚しても良さそうなものだ。 それとも、本来人間はそういう性質を持つのに、 現代の人間はそのような考え方を否定されたために 結果として、現状に落ち着いているのだろうか。
…ああ、空気が悪い。 ずっと駆動していなかったクーラーを動かしたら、 とたんにのどが痛くなってきた。 ただでさえ嗄声が治癒していないのだ。 あまり長い時間使い続けるとろくなことにならなさそうだ。
今日彼女は、高専の教科書を持ってきて見せてくれた。 講義の手法は大学に酷似しているものの、 その教科書の内容は確かに高校レベルだった。 高専入学直後に扱う内容のようだが…。 しかし、中学レベルの学生に配布する教科書としては、 少々難しすぎるように感じた。 一般の公立高校の生徒の場合、 一般の文部科学省検定数学教科書でも、気楽に読める、というレベルではないだろう。 ちなみに、一応名誉のために書いておくと、 その高専の教科書、今の僕が見たら極めてよく理解できた。 必要最低限の内容しかないが、 知っている人間から見たら、極めてよくできている教科書だ。 ただ、なにも知らない人間が見る本、という配慮に欠けている。
前にも書いた気がするが、 まわりの人間は、僕の嗄声を驚くほど気にしない。 いったい、どういうことなのだろうか。 僕の声など、他の人にとって見ればどうでもいいのだろうか。 まあ、そう考えれば確かにそうだとしか言いようがないが。 人の声がちょっとくらいおかしいからっていちいち反応しないものなのかも知れない。 大学生ともなると、やはり高校生あたりと比べればだいぶ大人に近いのだろう。 …ちょっとつまらないのだが。
一応、彼女には心配してもらった。 ちょっと…、いや、かなり嬉しかった。 しかし、彼女のアドバイスは実践していないが。 のど飴でもなめてみればいい、と言っていたが、 その程度のことでそれほど効果があるとは思えないし、 のど飴というのは案外高価なものだ。 …とは言え、仮にも彼女の意見なのだ。 それだけでも少々の金を払う価値はあるかも知れない。 …主観的な判断を客観的な判断より優先させてどうするのか、と思うが。 薬局にでも行って、少しでも効果のありそうなのど飴を探すとするか。 おそらく、それほどデメリットはないだろう。 声を失ったらそのときはそのときだ。
友人が、恋人に弁当を作ってもらっていた。 ピンク色の弁当箱に、ピンク色の小さなスプーンとフォークがついていた。 その恋人がなにを考えていたのか知らないが、 男が使うということをまったく考慮していないデザインだ。 その友人は、さすがにスプーンとフォークは恥ずかしかったようだが、 弁当は嬉しそうに食べていた。 面白がってジッと見ていたら、少し怒っていたが。 しかし、おもしろいというのも確かにあるのだが、 それ以上に、うらやましいと思ってしまった。 少なくとも彼には、自分のことを第一に想ってくれる相手が存在するのだ。 僕に、そんな人間がいるのだろうか? そして、僕は彼女に対してそう思っているのだろうか。 自分より彼女が大事だと、どんな状況でも思えるのだろうか?
彼女のためなら命だって惜しくない。 別に誇張でもなんでもない。 それで彼女に会えなくなるのは少し残念だが、 別に、だからと言って後悔することはないだろう。 …と言っても、これは彼女のことがそれだけ大事だと言うよりも、 僕に命に対する執着がない、ということが原因なのではないかと思うのだが。 ただ、万が一、僕が死ぬことで彼女が悲しむようなことがあるなら、 僕は死ぬべきじゃないと想う。 …そんなこと、あるのかいな?
最近、高校生の頃や大学に入学した頃よりも、ずっと感情的になってきた。 これがいいことなのかは、まったく分からない。 感情的な判断が冷静な判断に劣るのは事実だと想うし、 高ぶった状態で行動をしても、良い結果が得られることは少ないとも想う。 しかし、それはそれとして、 なんだか感情的な自分も悪くない、などと思ってしまうのだ。 根拠はない。ただの主観だ。
ブルーバックスは、「詐欺の心理学」と「統計で人を騙す法」を返し、 「精神科医は何をしてくれるか」と「催眠の科学」、 それに統計学の本を一冊借りた。 ちょうど実験で扱った分散分析をメインにしている本だ。 発表用資料を作る際、参考になるだろう。
借りている本から想像がつくかも知れないが、 最近、人間の心というのにかなり興味がある。 いや、昔からずっと興味を持っていた、と言うべきかも知れない。
前にも書いたが、詐欺の手法を知ることは本当に心の理解に役立つ。 常識の陰に隠れた盲点を極めてはっきりと知ることができるからだ。 当たり前のことだが、詐欺師は被害者の盲点をつく。 結婚詐欺などという信じられない手法が成立するのも、このことが最大の要因と考えられる。 盲点をつく手法をたくさん知れば、 それだけ、人間が常識として処理している陰に隠された気づかない判断基準や知識を得ることができる。 直感的、常識的に判断していることが、 実は根拠の薄弱な経験則によっていることを知れば、 それだけ、複眼的思考ができるようになるし、ブレイクスルーにも期待できる。 画期的な手法で人を騙すのは、ある意味、ブレイクスルーと言っても過言ではないと思うのだが。
僕は、物欲とは違う想いを、彼女に対して抱いているのだろうか。 様々な判断を彼女のために、彼女に拠ってできるのだろうか。 いくら彼女のためだとか言っても、僕の自分勝手な判断では意味がない。 人の心が読めないのは分かっているが、 それでも、その無理を通さなければならない。 「理に拠って無理に進む」とは誰の言葉だったか…。漫画か…?
2002/7/13 2:15
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