Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2002年06月12日(水) 汐路丸実習2日目

この日の分も、ちゃんと船内で日記を書いていた。
それだけでなく、この日の分の日記には
レポートも一緒になっていた。
しかし、手が滑ってすべて消してしまった。
悲しい…。

2002/06/19 1:31
とりあえず、日にちが経たないうちに
思い出せることだけ記しておこうと思う。
誰も読まないかも知れないが、将来の自分が読めればそれでいいのだ。

この日は、羽田沖を離れ、八景島沖に投錨した。
横浜と横須賀の間あたりである。
実際はどうなのか知らないが、少なくとも船の上でそういう話を聞いた。

朝起きたあとからの細かい情景はもうほとんど覚えていない。
消える前の日記には朝食から夕食まで克明に記していたはずだ。
そういう意味でも悲しい…。

ただ、この日の10時頃には11日の日記を書いていた記憶がある。
確認していないが、11日の日記にそのような記述があるはずだ。
…今、確認したのだが、確かにそのような記述がある。
11時42分に書き終わっているから、
それまでの1時間あまり、船室にこもっていたことになる。
よく酔わなかったものだ。
ちなみに、そんなことをしていたために、
横浜の港の目の前を通ったにもかかわらず、僕は見逃してしまった。
少なくとも、船の移動中に日記などを書いている場合ではなかったと後悔している。
僕は、極力物事に対して後悔しないようにしているが、
この実習では後悔することがいっぱいあった。

前日の日記を書いていたとき、
他の人たちがいったいなにをしているのか
かなり気になっていたことを覚えている。
自分をのぞいたみんなで、楽しく盛り上がっているのではないか、と。
我ながらなかなかくだらないことで悩んでいたものだ。
そんなことで悩んでも仕方がない、と日記を書き続けていたのだが、
せっかく船に乗っているのに日記を書いていては
いい経験が無駄になったかも知れない。
まあ、船の中で、感じたことをその瞬間に記せるのは悪いことではないのかも知れないが。

ここでストップエラーが起こった。
書き直すことにする。

朝からしばらくの経過については、
11日の日記に書いてあるはずだ。

僕には、日記以外に膨大な写真が資料としてある。
それを確認してみたところ、この日一日の僕の足跡がだいたいつかめた。
それだけ、写真を撮りまくっていたと言うことである。
デジカメは実に偉大だ。

最初が10時11分である。
海が写っているので、甲板にいたことが分かる。
すぐに13時頃に飛んでいるのを見ると、
その間に11日分の日記を書いて、昼食を取ったようだ。
14時頃に八景島に到着したことが伺える。
そのあと、16時頃まで写真がない。
おそらく、写真撮影が禁止されている船橋当直に立ったのだろう。
しかし、それにしては長い。
2日目ではまだ、船内で写真を撮っていないので
おそらく船内をうろうろしていたのだろう。

それから、1時間ほど船の外をうろうろして、
夕食を取ってからしばらく遊んだのだ。
ここには写真がないことから、外にいたのではないということが分かる。
あとは記憶をたどればOKだ。
まだ2日目だと思っていたが、ここからの時間は実に早く流れた。

21時頃、再び写真が現れる。
昼頃にはなにも入っていない水槽が写っていたが、
この時間には中にアナゴが入った水槽が写っている。
司厨長が釣ったようだ。さすがである。

この日は釣りはしていない。
このあとには、4時頃の停泊当直の写真があるのみである。

次の日は、朝から15時頃までほとんどあくことなく写真がある。
少しあいている部分があるが、それは、館山に上陸している間の写真である。
さすがに陸上で節操なく写真を撮りまくる気にはなれなかったのだ。

そのあと、13日の15時以降、なにをしていたのかよく覚えていない。
21時まであいているから、何か時間のかかることをしていたと思うのだが。
…たぶん、みんなで遊んでいたのだと思うが。
写真がない以上、文章で記すしかない。
できるだけ今のうちに思い出しておいた方がいいと思うのだが…。
でも、本当にトランプで遊んでいただけのような気がする。
そうだ。夕食前まで大富豪をやっていて、
夕食後にはウノに興じていたのだ。
それから風呂に行って、のんびりしたあとに甲板に上がったということか。
…こんなに撮りまくって何の役に立つのか、などと思っていたが、
写真もたくさんあると案外役に立つものである。
にしても、貴重な時間を無為に過ごしたものである。
まあ、コミュニケーションを取れた、ということは
かけがえのない貴重な体験になったのかも知れないが。

2日目も3日目も、夕方は甲板に出ていないようだ。
夕食後は、みんなで話をしていたのだと思う。
…違う!
そうじゃない。夕食後には講義があったのだ。
すっかり忘れていた。
しかし、2日目だけは昼間に講義があったため、夕方の講義はなかったはずだ。

これ以外にも、13日は実験も行ったはずだ。
12日は操舵実習も行ったはずだ。
この辺の細かい記憶がかなり曖昧である…。
まあ、概略は思い出せたし、後に記録として残すにはこれで十分だろうか。
だいたい、この記録を必要とすることがあるとは思えないし…。

他に重要なのは、いつどこで誰と話したか、ということだろうか。
これは、ほとんど写真に残っていない。
普段から見ている人の写真に価値などないと思ったのだ。
しかし、その人の顔にそのときの時間が加われば十分価値があるということを考えなかった。

そろそろ寝ることにしようか…。
どれほどの文章を積み上げようとも、
人間の脳に記録された情報を克明に記すことなどできはしない。
それだけの知識表現手段として日本語は不十分であるし、
なによりも、僕にそれだけの表現能力がない。
よって、「思い出」を保持したければ、
結局のところ、自分の記憶力に頼るしかないということになるのだろう。
本当に大切な記憶であれば、きっと失わずにいられるはずだ。

結局のところ、この乗船実習は期待以上の成果を得られた、と思っていいのかも知れない。
同級生の中には、特に前半の頃、
ずっと船室にこもって寝てばかり、という人がいたが、
多くの税金を使って海に出ているのに、実にもったいないことではないだろうか。
しかも、学費は払っているが、
感覚的にはタダのようなものなのである。
もっとみんな、気楽に楽しめば良かったのではなかろうか。
もっとも、みんながいなかったから、僕がより楽しめた、
という要素は間違いなくあるが。

// (了) 2002/06/19 2:24


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