六本木ミニだより
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2003年07月24日(木) |
『歌追い人』/『パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち』 |
『歌追い人』
「カントリー・ミュージック」といえばディズニーランドと『ブルース・ブラザース』しか知らなかった自分にとって、この映画は衝撃的でした。カントリー・ミュージックの原点。ちゃんとスピリットがある。黒人霊歌ならぬ「白人霊歌」だなあと強く思いました。 100年前のアメリカのお話。音楽学博士なのに大学の象牙の巨塔の女性差別のおかげでなかなか教授職につけない主人公・リリーが、妹を頼っておとずれたアパラチアの山の中で、スコットランドやアイルランドから持ち込まれた民謡(バラッドという)がそのまま残っているのを見つける。歌とのめぐり合いは人とのめぐり合いでもあり、その中で彼女は世界観を変革させていく。「山の民」の中の生活に息づいている音楽がすばらしい。 突然ですが、わたしはこの映画の中でうたわれているバラッドを聞いて、盆踊りで使われる「炭鉱節」を思い出しました。あの悲しい音楽。「月が出た出た、月が出た、あんなに煙突が高いので、さぞやお月さん、煙たかろ」とノーテンキに歌いながら、あれは、過酷な炭鉱労働者の一種の突き抜けた感情吐露なんですよね。自分が炭と熱にまみれているのに、月を思いやるそのやさしさが悲しい。カントリー・ミュージックもそれと同じで、あのノーテンキさは背景を無視してそこだけ切り取ってしまったらわからないものなんですね。「詞書(ことばがき)」が必要、というか。AFNで、日曜日の昼間のカントリー電リクが不滅なわけがわかりました。
『パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち』
わたしは、J・ブラッカイマー製作の映画で、久々に面白いと思いました。説教ゼロ。メッセージ性ゼロ。ひたすらに娯楽。『カントリー・ベア―ズ』のときも書いたけど、ディズニーは純粋な娯楽を作らせたら面白いの。説教入れるから臭くなるの。つまり、家族連れの観客に対して子どもの方を向いて作るか大人の方を向いて作るか、っていうことだと思うんです。 呪いをかけられたために死んでも死にきれないゾンビな海賊がたくさん出てくる。殺しても殺しても立ち上がってくるハエみたいな敵、というのは、いつも、J・ブラッカイマーの頭にあるんだろうけど、それを日本軍にしたり、ソマリア・ゲリラにするからおかしくなるんですよ。18世紀のカリブの海賊にすれば、誰もイヤな思いしなくてすんで、みんなで楽しめてハッピーじゃありませんか。彼はこういうところに彼の「うちなる子ども」としての才能を発揮すればいいのでは? イギリス人同士の対立だしさ。呪いの元凶を作ったのは欲深いコルテスだった、ってはっきりいってるしさ。 あのジョニー・デップが「子どものために出た」なんていっちゃって、あーあ、と思っていたけれど、ジョニーは子どものためになんかこの役をやっていない。自分のためにやっている。彼は完全に子どもに返っちゃってます。ジェフリー・ラッシュもかなり返ってるね。ヒーローとヒロインの若いふたりの方が、まだそこまで突き抜けていないだけに力入ってよっぽど大人。作るほうがこれだけ恥ずかしげもなく子ども返りしているのですから、見るほうも、子どもに戻って楽しみましょ。
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