小学生の頃、家族連れで甲府の街なかに出かける時、俺にはなんとも憂鬱な気分があった。おばあちゃんの家(母の実家)に行くのは全然大丈夫なんだけど、ね。 街なかに出ると、道行く人は必ず兄や俺たち家族を振り返って見た。落ち着きのない兄の行動は、人々の視線を集めさせた。俺は恥ずかしさのあまり、身がすくむ思いだった。 でも、母は決して兄の存在を隠そうとはしなかった。あの頃の俺にとっては苦痛を伴う時間だったけど、今となっては母に感謝しているよ。兄の存在は何ら恥ずかしいものではないんだと、今では自信を持って言える。そして、俺自身も、家族に障害を持つ者がいようと堂々と生きていけばいいんだ、と心から思えるようになったのだから。 障害があるということが生きづらさにつながってしまう現実があることは確かだ。でも、障害があることは恥ずかしいことではないはず。 兄を含めて障害を持って困難さに立ち向かってる人は、もしかすると、時代の先をゆくパイオニアなのかもしれない。そんなふうに考えるようになったよ。
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