今日は、稽古に行く前に、プロジェクト・ナビ公演「想稿 銀河鉄道の夜」(北村想 作・演出)を観て来た。 私が高校生だった頃(野田秀樹、鴻上尚史が登場する少し前)というのは、北村想の黄金時代でもあった。「寿歌」「シェルター」「碧い彗星の一夜」といった北村作品を我々のライバル校(H高)が毎回のように演じていた。H高の連中の演技は決してよくはなかったのだが、山梨県内の演劇コンクールでは毎回のように最優秀に選ばれていた(N高に敗れたのなら納得できたが、H高に負けたなんて絶対に納得できなかった)。今思うに、彼らにせよ、私らにせよ、下手な演技という点では一緒だったとも思える。実のところ、H高に敗れたのではなく、北村のホンの前に敗れ去ったのではないかと、私は思うようになった。 あれから約20年の歳月が流れちまったんだな。で、今回のナビの芝居は、言わずと知れた宮沢賢治の名作「銀河鉄道の夜」をモチーフとしている。まあ、それなりには面白かろうと思って前売券を購入しておいた。今回は、神戸浩が出演するというのも楽しみであった。 順番に感想を述べていこう。まず、神戸は、演技の上手い・下手を超えた存在とでも言うべきか、そこにいるだけで十分に醸し出す雰囲気があった。看板女優・佳梯かこの演技も決して悪くはなかった。でも、私には芝居全体に関して不満が残ったね。宮沢賢治の世界に拮抗するような何物かが感じられなかった。それは、一つには脚本の問題であり、それと同時に役者の演技にも大いに問題があったと思うし、それらをうまく調整しきれなかった演出の責任も当然ある。上演時間1時間40分のうち20分ほどは無駄な時間のように感じられた。思わず、醒めた目で観てしまっている私自身に気づいてしまった。私の隣に座った女性は居眠りしてたぞ。 とまあ、他人様の芝居の批評はいくらでもできる。でも、「じゃあ、そう言うお前はどうなんだ」と問われた瞬間に、どう答えるのか。そこでは、ある種の覚悟が必要だ。舞台の上でどのように存在するのか、観客の前に自らの存在をいかに投げ出すのか、まさに真剣勝負の行われる瞬間である。
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