夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2002年10月24日(木) ライク・ア・ローリング・ストーン

 高校生の時に私は演劇部に入って新劇風の芝居をやってたんだけど、卒業後は30才をすぎるまで専ら観劇する側であったし、まさか30代で再び芝居をするなんて思いもよらなかった。20代の頃は「障害者運動」にどっぷり浸かっていて、芝居に振り向けられるエネルギーはなかった。
 5年ほど前、私はそれまで関わっていた「運動」から少し距離をおくようになり、名古屋からも離れるつもりでいた。最後の見納めぐらいの気持ちで、スーパー一座の「ロック歌舞伎」を観に行ったところ、すっかりはまってしまい、すぐに座員となった。だが1年後、再就職(と言っても、契約職員だったが)とともに、一座を去り、これでもう舞台に立つこともあるまいと思っていた。
 それが1年ちょっと前のある日、pH-7の劇団員募集のビラ(今池「ウニタ書店」に置かれていた)を手にした時(このときは既に「正職員」としてある程度安定した社会的地位を獲得していた)、心の奥底から湧き起こってくる思いがあった。ほとんど衝動的に演劇の舞台に立つことを決めていた。確かに決めたのは私自身に違いないが、時の勢いみたいなものに後押しされたこともまた確かだった。
 一見すると人は自らの人生を主体的に選び取っているようにも感じられるが、その実、人間が選択できる幅なんてタカが知れているのかも。例えば、この時代に生まれてきたのも、日本国籍を有するのも、私があらかじめ望んだことではない。そして、人生でのあらゆる分岐点における「自己選択」にしたところで、実現可能な一定の範囲のなかから選んだものにすぎないのだ。
 人間が短い人生のなかで経験できることなど、本当に限られたものでしかない。しかし、だからこそ、そこで出会えたものは何らかの意味を持っているとも言えるのだ。今ここで私が芝居づくりにかかわれることも、私には貴重な経験なのだ。  先々のことは何も予想ができない。だが、今この瞬間を確実につかみとるために私は今日もまた稽古場へと足を運ぶのであった。


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夏撃波 [MAIL]