| 2002年08月22日(木) |
「感動のロシア6日間の旅」(サンクトペテルブルグ編) |
8月16日深夜、モスクワ発サンクトペテルブルグ行きの寝台列車(1等車)に乗り込んだ。1等車の場合2人で1室(2等車なら1室4人)の割り当てとなる。ツアー参加者の多くは家族同士のペアを組めるが、単独参加の私は見知らぬ他人と同室にならなければならないのか。以前読んだことのあるロシアのミステリー小説(現代もの)によれば、単独旅行者がロシアの寝台列車(1等車)を利用する場合、2人ずつを無作為に(性別・年齢等々を一切考慮されることなく)狭いコンパートメントに押し込めていくようだ。つまりは、相手がたとえロシアン・マフィアであったにしても、異議を申し立てることなどできないのだ。逆に、相手がうら若きロシアの女性だったりしたら、それはまたそれで心穏やかに眠ることなどできないではないか。様々な想像を巡らしている私に、JTBの添乗員はこう言った。「曽根さん、この部屋、おひとりで使っていただいて構いませんので」。 寝台列車に乗るのは、恐らく小学校の頃、叔父に連れられて青森に行ったとき以来ではないか(午前零時近くに出る「東京発大垣行」みたいな深夜便はよく使ったが、あれは「寝台」ではないので)。と思いきや、インド旅行(15年くらい前、ツアーではなく「個人旅行」だった)で「デリー発べナレス行」(約19時間の汽車の旅だ)に乗ったことがあった。ただ、あの列車の場合、昼1時に出発して翌日の午前8時くらいに到着するというものだから、昼の間は通常の座席だ。それに「寝台」としては硬くて決して寝心地のいいものではない。まあ、あの時は「2等車」だったけどね。 「寝台列車」と言うと何となく胸躍る感じがするけど、実際はそんなにいいものではない。時々大きな揺れで何度も起こされた。寝ぼけていた私は、地震かと思って思わず隠れる場所を探してしまったではないか。 それに午前7時には車内放送がけたたましく鳴り響いておちおち寝てもいられない。車内放送と言っても、日本でよくあるような、「次は○○駅」とか「○○駅には○時○分に到着の予定」などという類のものではなく、ロシアのポップスが流れたりする。その日流れた音楽で印象に残ったのは、「ダスヴィダーニャ(さようなら)」という曲だった。ただ単に、その曲のサビの部分が、私の知っているわずかなロシア語の単語(ダスヴィダーニャ)のリフレインだったというにすぎないのだが。 ロシア人の乗務員(私の乗った号車の担当は、ロシアのおばさまだった)は一見不愛想だが、結構親切だった。言葉の細かなニュアンスはわからないのだが、彼女の親切心は随所に感じられた。列車を降りる際には、これまた私の知っているわずかなロシア語の単語のひとつ「スパスィーバ(ありがとう)」を彼女に言って別れた。
サンクトペテルブルグは、バロック・クラシック建築が立ち並ぶ、格調ある古き都だ。私は、この街をすっかり気に入ってしまった。ロシア人ガイドによれば、来年が市制300年にあたるようで、あちこちの歴史ある建築物が修復作業に追われていた。 17日午後は、サンクトペテルブルグでの、いや今回のロシア旅行での最大の目玉である、エルミタージュ美術館を訪れた。ロシアが世界に誇るこの美術館は、そのスケールの大きさでルーブル美術館や大英博物館に匹敵すると言われている。収蔵されている絵画、彫像、発掘品などのコレクションは、300万点にも及ぶ。そのすべてを観るにはどれだけの時間が必要なのか、さっぱり見当がつかない。とにかく、あまりに広すぎて迷子になってしまいそうだった。駆け足で歩き回ったが、超一流の芸術品で埋め尽くされた館内を巡っていると、まるで次から次へと出されるフランス料理(ロシア料理でないところがミソ。黒パンやジャガイモを主体としたロシア料理は食べやすいが、高級感はない)のフルコースでも食べているかのようで、感激のあまり思わずため息がこぼれた。 コレクションの質・量ともに申し分ないのだが、それとともにこの巨大な美術館の建物自体が一級の芸術品と言ってよかった。ロマノフ王朝の権力の大きさと絢爛豪華な生活を感じさせる建築に、私は思わず目を瞠った。
その晩、「フォークロア・ショー」を楽しんだ。ショーは、犬山の「リトルワールド」などでも見られそうな感じの(どんな感じ?)ショーだった。もちろん、コサック・ダンスもやってたよ。 ホテルに帰り着いたのが、午後10時過ぎ。でも、さっき陽が暮れたばかりだ。私は、ホテルの周りを一人歩いてみた。「治安はよくないのでは」と思われるかも知れないが、人通りはまだ多かったし、表通りを歩いている分には問題ないように思われた。考えようによっては、東京や名古屋のほうが危ないのかもしれないとも思った。「ケンタッキー・フライドチキン」や「ピザハット」などを街なかに見かけたが、さすがに腹は減っていなかったので、中には入らなかった。 この街でも、CDショップを見つけたので、中に入ってみた。店の棚の多くのスペースがアメリカン・ポップスで占められていた。でも、ロシアに来てまでアメリカン・ロックのCDを買うつもりはなかったので、ロシアン・ポップスの棚の前に来た。そこで、ジャケットに「東大寺のお守り」が描かれたCDを見つけ、衝動的に購入した。今回の旅行で都合7枚のCDを買ってしまった。でも、それでいて1万円もかかっていないんだな。 次の晩は、機中泊となるので、この夜のうちにしっかり睡眠をとっておく必要があった。ホテルに戻って、できるだけ睡眠をとるよう心掛けた。
18日午前は、サンクトペテルブルグ郊外にある、ピョートル宮殿を見学。中心部にある大噴水は、そこを訪れる者の目を大いに楽しませてくれる。また、遊び心たっぷりの「いたずらの噴水」(ある石を踏んでしまうと、いきなり水が噴き出して、そこを通行する人をぬらす、という仕掛けがされている)も面白い。広大な敷地内に様々な庭園を見ることができ、園内を歩き回るのがとても楽しかった。それから、この宮殿はバルト海に面しており、遠くにサンクトペテルブルグ市街を望むことができる。この日サンクトペテルブルグの街は霞んで見え、まるで海底都市が突如海上に現れたかのようにも映った。 その日の午後は、エカテリーナ宮殿を訪れた。ロシアバロック様式を代表するこの宮殿は、エカテリーナ女帝の命により建てられた。荘厳な外観といい、きらびやかな内装といい、それを見る者の目を釘づけにする。
この日の見学は終わり、あとは空路名古屋に戻って行くばかりとなった。楽しいひとときはアッという間に過ぎ去った。サンクトペテルブルグーモスクワーソウルー名古屋と、徐々に「モスクワ時間」から「日本時間」に戻して行かなくてはならない。「非日常世界」へと「離陸」した私も、いずれは「日常世界」に「着陸」しなくてはならない。旅は、あまりにあっけなく終わりを告げる。 名古屋空港に着いて、私は時計を「日本時間」に合わせた。家に帰り着いたのは午後10時過ぎ。次の日から、また「日常」がスタートする。「日常世界」にうまく「着陸」することができるのか、この時点で私はまだ不安でしょうがなかった。
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