今週はいつにも増して急速に過ぎ去ったように感じられる。職場での仕事が何かと忙しかったからかな。少年王者館KUDAN project公演はついに観に行けなかったな(明日、明後日も観に行けやしない)。 明日は、職場の行事(夏祭り)で休日出勤。夏祭り当日の俺の役割はアトラクション係(俺の他、4人の係)。賞品付きの勝ち抜きクイズや抽選会の進行、「ピンクレディー」の振付を踊ったり、「おさかな天国」の歌・踊りで場を盛り上げたり・・・、といった役割。別にそれほど楽しくはないけどね。 翌21日は、「犬島アーツフェスティバル」を観るために、瀬戸内海の小島・犬島(岡山県)に出掛ける。岩下徹ダンス公演、「維新派」野外公演を観に行く他、岡山観光を楽しんでこようと思っている。いずれその報告もできよう。 今月末は他にも、萱さんとマミオさんの主演映画「砂の記憶」を観に行ったり、「スーパー一座」の大須オペラ公演を観に行く予定。 7月も瞬く間に過ぎ去ってしまうのね。8月には、いよいよ待望のロシア旅行に出掛ける。その前に、新アトリエお披露目と、<一人芝居>がある。
俺、実のところ<一人芝居>って好きなんだな。オリジナリティーを追求するのが楽しいからね。 でも、何がオリジナルで、何がコピーかって難しい。「完璧なるオリジナル」ってものがそもそも存在するのかも疑わしいけど。例えば、俺は生まれついて(意思とは無関係に)日本文化の環境下に置かれ、日本語を母語(主に日本語でコミュニケートし、日本語で思考する)としている。生まれ育った時代、場所にも規定されながら、個人的にもさまざまな人、もの、事柄に影響を受け、今日に至っている。だから、他人からの受け売りを「自分の意見」として語ることだって少なくはないだろう。ならば、すべてがコピーかと言えば、それもたぶん違うだろう。少なくともそこで語る俺は俺自身に他ならないのだからね。 表現というものは、他者の存在を前提としながら成立しているようなところがあるけれど、他者にいかなるメッセージとして受け取られるのかが、キーポイントになってくるのではないか。表現とは、<存在のしかた>とも言い換えられそうだ。自らの存在をいかに他者の前に投げ出すのか、そこに果たしてオリジナリティーが感じられるのか。そして、表現はまた<関係>でもある。 俺の表現は、これからどこに向かっていくのだろうか・・・。
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