この夏、ロシアを旅することになっている。ここ数年は国内旅行ばかりだったから、久しぶりの海外だ。海外旅行にせよ、国内旅行にせよ、旅というものは楽しいものだ。 で、今日のテーマは「東北」。何故って、好きだから。それだけ。先頃、岡本敏子・飯沢耕太郎の監修による、岡本太郎の写真・文集『岡本太郎の東北』(毎日新聞社)が出されたので、早速購入した。まだ読んでないけどね。岡本太郎は優れた芸術家であるが、作家あるいは社会学者としても非常に優れている。彼の著書『沖縄文化論〜忘れられた日本〜』(中公文庫)でそれは十分に実証されている(おすすめの本だ)。『岡本太郎の東北』も早いとこ読んでおこう。
私が初めて東北を旅したのは、小学校3年生の時。母方の叔父Sに連れられて、青森県の金木町に行った。金木町は吉幾三の故郷でもあるのだが(芦野公園内に数々ある文学碑に混じって吉の記念碑もあった)、津軽が生んだ大作家・太宰治の故郷として知られている。町の中心部に位置する「斜陽館」(太宰の生家、現在は「記念館」として一般公開されている)は当時旅館であったが、そこに私たちも泊まった。Sは、現在甲府市立図書館に司書として勤めているが、当時アマチュアの太宰治研究家として長篠康一郎氏に師事していた。「無頼派」的な生き方とは無縁な、堅実な生活を送る叔父が、何故太宰に惹かれたのかはよくわからない。でも、それをきっかけに私は小説家に憧れるようになり、太宰文学にも触れるようになった(太宰文学については、いずれまた触れたい)。
1999年夏、ついに「大王」は現れなかった(「ノストラダムスの大予言」の呪縛から解放された)けど、あの夏、私は青森を再訪した。「ねぶた祭」を見て回る旅だった。その時は、「斜陽館」にも「寺山修司記念館」にも立ち寄ったけど、恐山(いつか必ず行くつもり)は日程的に無理があって断念した。 で、「ねぶた祭」について。規模としては青森市の「ねぶた祭」が最も大きいが、洗練されているという意味合いで弘前の「ねぶた祭」が私は好きだ。それから、五所川原の「ねぶた祭」が面白いよ。5階建てのビルの高さに相当する、「立ねぷた」が登場して、祭を大いに盛り上げるんだ。 津軽三味線のライブも楽しめたし、いい旅だったな。
2001年正月、岩手県・平泉を訪れる。芭蕉が詠んだ「夏草や兵どもが夢のあと」の句で知られた平泉。奥州藤原氏によって栄えた北の都であったが、源頼朝が差し向けた義経討伐軍によって義経は非業の最期を遂げ、藤原氏も滅亡した場所。藤原三代のミイラが安置された中尊寺・金色堂、「浄土庭園」で知られる毛越寺などの旧跡がある。また、「達谷窟」は隠れた名所である(「毘沙門堂左方の大岩壁に刻まれた大磨崖佛は岩面大佛といわれ、源義家が前九年・後三年の役で亡くなった者を弔うために彫りつけたものとして伝えられている」のだそうな)。 私が平泉を訪れた正月3日は、雪が降りしきり、視界も遮られていたが、なんとも風情があってよかった。その晩は、「ホテル武蔵坊」に泊まり、「レストラン弁慶」にて夕食をとった。 明くる4日は、柳田国男の「遠野物語」で知られた遠野を訪れる。雪に覆われた「民話のふるさと」を歩いて回った。その日、遠野駅の駅舎内にある宿泊施設に素泊まり。ところが、町中の飲食店は軒並み閉まっており(正月休み)、スーパーで弁当を買って一人さみしく部屋でその日の夕食を済ませたっけ。 翌5日は、花巻の「宮沢賢治記念館」に立ち寄り、花巻空港から名古屋に戻った。
2001年7月、出羽三山神社(羽黒山山頂)の花祭りの日に披露された「黒川能」(500年来、民衆の間で伝承されてきた能)を見るために、山形へ向かった。「黒川能」については、まあ、一度見れば十分かな、という感想。森敦の小説「月山」で知られた注連寺(即神仏が安置されている)にも立ち寄った。
まだまだ東北でも行ってみたいところは沢山ある。芭蕉みたいに「奧の細道」行脚してみたい気もする。 もちろん東北の他にも行きたい場所は数知れない。されど、世界中を旅するには、人生はあまりに短いではないか。だから、そこに行けるのも運命、行けぬも運命。縁あれば、今まだ会っていない<あなた>に出会えるかも知れない。そしてまた、まだ会っていない自分に出会えるかも知れない。人生は旅のように。足の向くまま、気のむくまま。すべてはなすがまま、さ。
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