今朝のどしゃ降りはもの凄く、外出する気を失わせるに十分すぎるほどだった。 今日こそは部屋を片付けようとして古新聞を紐で括ってみたりしたものの、とにかく部屋の散らかりようは凄まじく、どこから手をつけたものかと大いに悩む。気合いを入れてかからないと片付いていかないのはわかっていても、いまひとつ力が入らないのはいつものことだ。とにかく要らないものをゴミ袋に入れていくが、捨てられないものも多い。そんな捨てられないものの数々が未整理のまま積み重なって、今日の状態があることも十分すぎるほどにわかってはいるのだ。 でも、要らないものの処分すら捗らない。「こんなところから、こんなものが出てきた」と驚くこと、頻りにあり、その度に思い出なぞに浸っているからキリがない。忘れかけていたことの断片が出てくる度に手が止まるのだから、捗ることも捗らぬのは道理である。 他人様から見れば、きっと「がらくたが多すぎる」のだと思う。その最たるものが楽器類であり、書籍・雑誌の類、ということになろうか。楽器はとにかく場所をとるし、本にしても棚には収まりきらないのに次々に「読みきれない」(購入時は読むつもりだったし、今日まで興味を失ったわけではないのだが、現実には読めないでいる)本を買い足しているのだから、無理もないのだ。 こんな俺も、高校時代までは見事なまでに「きれい好き」だった。それが今日のように変化したのは、大学入学とともに上京し、一人暮らしを始めたのがきっかけであった。もともと俺は「きれい好き」などでは決してなかったのだろう。それまで「いい子」を演じ続けていたのが、親元を離れ、最早「いい子」を演じ続けるだけの理由もなくなって、ついに本性が現れちまったってことだろう。 自分一人なら片付かない部屋に暮らそうが他に影響もないとも言えるのだが、時に困ることもある。例えば、探し物が見つからない。探し物を見つけだすために掃除がいきなり始まる、という展開も少なくないのだが・・・。 これだけモノがあふれている一方で、時として必要なモノがなかったりもする。 気が付いたら、次の日に着ていくべき服が見当たらなかったりね(俺って、着るモノには無頓着だったりする)。 だけど家に一本も傘がなかった、ということはなかったな。その点に関しては、井上陽水に感謝しなければならない。陽水の初期の名曲「傘がない」は、俺も大好きな曲だ。俺は今でこそ、好きな音楽の幅が広いけど、高校時代から一貫して好きなアーティストはきわめて少ない。洋楽ではビートルズ、サイモン&ガーファンクル。邦楽では(その頃は、民謡などの「純邦楽」には無関心だった)、オフコース、中島みゆきに、井上陽水というあたりだ。とにかく陽水の声にかかれば、どんな曲だって名曲に聞こえてしまう気がする。 片付けの途中で横になってそのまま寝てしまい、夕方近くなって目が覚めた。でも、なんとなく体が重い。今夜は新アトリエの片付けもあったが、その前に行きつけの「クイック整体」に立ち寄る。そこの傘立てには、以前俺が置き忘れたとおぼしき傘がそのままあった。傘2本持って歩くのは邪魔くさかったので、一回自宅に戻って1本は置いて、新アトリエに向かう。 新アトリエも少しずつ片付き始めている。明日こそは、我が家の片付けをしようと思うのだが・・・。
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