| 2002年06月22日(土) |
「島唄」、「ナショナル7」・・・ |
まずは、昨日放映のテレビ番組「たけしの誰でもピカソ」(録画ビデオを今朝見た)からの話題。「電子楽器オンド・マルトノ」「奄美の歌姫・元ちとせ」といった話題も興味深かったが、「アルゼンチンでも大ヒットの、ザ・ブームの『島唄』」をここで取り上げたい。 昨年12月にアルゼンチンでリリースされた「島唄」は、日本語の歌として異例のヒットとなり、ワールドカップにおいてもアルゼンチン応援ソングとしてサポーターの間でも採用されたという。以前「島唄」の中国語バージョンを聴いて楽曲としての素晴らしさを再認識したものだが、「沖縄戦の悲劇」をモチーフにしながら美しいメロディーを持つこの曲は世界に通用するものなのだろう。 ザ・ブームのリーダー・宮沢和史は沖縄やブラジルの音楽に影響を受けながら、世界を舞台に活躍。いまや世界に向けて発信するまでになった。すばらしい音楽は国境を越えて人々を感動させる力を持つんだよね。
次なる話題は、「身体障害者のSEX」をテーマに描いたフランス映画「ナショナル7」について。これは、フランスの障害者施設で実際にあった話を元にしている。 チェアウォーカー(車椅子生活者)のルネは他人の介護を必要とし施設に暮らすが、介護人たちに悪態をつき、施設では一番のトラブルメーカーだ。しかし、彼がトラブルを起こすのにも彼なりの理由があった。性欲があってもそれを満たす術はない。人生に絶望していた。女性介護人・ジュリは、彼の意向を受け、国道沿いに立つ娼婦フロレルの元を訪ねるのだが・・・。 「障害者にだって性欲はある」という至極当然なこともこれまでタブーとされてきた。「健常者」ならセックスするのだって他人の介助はいらないだろう。でも、要介助の「障害者」はそういうわけにはいかない。何をするにも他人の手を借りなければならない。プライバシーにかかわる領域までも人目にさらしながら生きていかなくてはならない。そのストレスは半端ではない。 あらゆる意味において、「障害者」が人として生きていくことに様々な困難がつきまとう。「ナショナル7」は、ユーモアをを交えつつも、私たちに様々な問題を突きつけている。
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