夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2002年03月23日(土) 「神の子たち」そして「折り梅」

 今日は稽古が夕方からあるが、仕事は一日お休み。身体は休むことを要求していたが、気持ちは遊びたかった。結局気持ちのほうが勝った。気になる映画が2つほどあったので、はしごした。今日はその話をしよう。
 1本目は、「神の子たち」(四ノ宮浩・監督)というドキュメンタリーだが、「忘れられた子供たち/スカベンジャー」の続編というべき作品であった。マニラのゴミ捨て場に暮らす人々の過酷な現実が丹念に映し出されていた。時に生々しく、時に淡々と。ゴミを拾い集めそれをお金に換えていくより他に生活する術を持たない人々。わが子を学校に通わせたいと思いながらも貧しさ故にそれができないと嘆く親がいる。一方で家族のためにと懸命に働く子供がいる。それでもお金がなくておかずが買えないときには、ごはんに塩をまぶして食べたり、1日1食ですませたりする。あらゆる生活の品々が慢性的に不足していたり、病気の治療もままならない。事故や病気で人も簡単に死んでしまう。そうした死と隣り合わせの生活のなかでも、人々は絶望することなく生き続けていく。たくましく生きる子供たちの笑顔がまぶしかった。
 「ロジウラのマタハリ」にて昼食。
 午後から2本目、「折り梅」(松井久子・監督)を観る。前作「ユキエ」でアルツハイマー病というテーマに取り組んだ監督が、再度アルツハイマー病をテーマに選び、実話をもとにドラマ化(ちょっと知ったかぶりでっせ)。嫁(原田美枝子)と姑(吉行和子)を軸にさまざまな人間模様が繰り広げられるのだが、ところどころで俺は涙腺が緩みがちだったよ。援助する側にまわる人間の苦労もあろうが、やはり病気の当人がいちばん辛いんだと思う。自分が自分でなくなっていく恐怖におののきながら生きていくことの辛さ。誰からも認められない存在になってますます生きづらくなってしまう、それはあまりに辛い経験ではないか。誰もがそれぞれに歩んできた歴史があり、固有名詞としての存在(「アルツハイマー」「障害者」などと一括りに出来ないもの)がある。「理解し合うこと」「共に生きること」って難しいよね。ところで、タイトルの「折り梅」だが、梅はたとえ枝が折れてもそこから再び芽を出して花を咲かせる力を持っている、人間とてそうではないか、というメッセージが含まれているらしい。
 いろいろと考えさせられた2作品であった。
 


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