夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2002年01月14日(月) 十余年目の新成人

 私が新成人だった頃、この国は「繁栄」の真っ只中にあった。今日の経済状況など想像できなかったし、今日の私自身のことについても同様であった。福祉関係の仕事に就いているというのはそんなに不思議な感じはないのだが、芝居をやっている自分自身については予想外だった。
 高校の3年間、いつつぶれても不思議のない演劇部に所属していた。今から思えば「学芸会に毛が生えた程度」だったと思うが、当時としては一所懸命だった。顧問の先生は国語教師で「夕鶴」とか好きそうなタイプの方だった。彼も演劇に関しては門外漢であったが、でも熱かった。当時の私はアングラなどには目もくれず、「文学座」とか「民藝」みたいな芝居に取り組もうとしていた(野田秀樹や鴻上尚史が登場する直前で、当時は北村想がもてはやされていたっけなあ)。同期の女の子の一人はその演劇部のなかでは抜群にうまかったけど(卒業後彼女はさる劇団の養成所に入ったが、今どうしているのか私は知らない)、私はそれほどでもなく、大学に入ってからも演劇を続けようなどとは思わなかった。
 ある時期まで、演劇と言えば新劇以外にはあまり関心がなかった。大学時代に寺山修司とか土方巽といった人たちの表現を知り、はじめて前衛芸術に興味を抱いた。そのことがその後の私の人生に直接的にも間接的にも影響を及ぼすこととなった。とにかく20才くらいまでの私は「優等生」的色彩が強く、「変なヤツ」としての部分はさほど目立っていなかったはずだ。大人達が敷いたレールの上を真っ直ぐ歩いていきそうな雰囲気を持ち合わせていたと思う。その証拠と言えるかどうかわからないが、十余年前の成人式において、私は新成人代表でスピーチをしたのだった。
 20才をすぎてからの私は要所要所で自己主張しながら(普段は大変控えめな僕ちゃんなのさ)、なんだかんだ言いながら気ままな人生を送ってきた。波乱の日々もあったけど、何とかここまで生き延びてきた。
 (福祉関係の)仕事一筋だった20代の頃、演劇をしようなど思いも及ばなかった。30才をすぎ7年間勤めた先を辞めて「スーパー一座」に入団、舞台を2本経験するが、再就職とともに退団。3年ほどのブランクをはさみ、「pH-7」に入団し、今日に至っている。20代の団員に混じって日々稽古に励んでいる。
 決して悔いることのない人生を送っていきたいと思っている、そんな私は十余年目の新成人だぜぃ。


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夏撃波 [MAIL]