カタルシス
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2002年03月28日(木) |
Roundabout |
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母の希望でコッツウェルズ地方へドライブ観光。 朝も早よから郊外のレンタカー屋を目指して地下鉄に乗る。40分くらいかけて店の最寄り駅まで行き、そこからは15分ほど徒歩。途中向こう側の歩道に倒れた人を発見。既に警察官が来ていて、近所の人から何やら話を聞いている風だった。思わず「よくある風景なの?」と妹に尋ねると「まさか(苦笑)」との答え。少しホッとする。しかし、朝から縁起悪いのぅ…
気を取り直してレンタカー屋に到着。店員はみんな日本人で、車も日本車が多く揃っている。と、いうか英国で日本車は割とポピュラーだそうだ。ベンツもBMWもこっちでは対して高級車ではないという。確かにいっぱい走ってたなぁ…。んで、我らは小型のトヨタ車・ビッツを借り いざ出発!
こっちはイースター休暇で郊外へ遊びに行く地元のファミリーや他国からの観光客で往路も復路もなかなかの混雑。 明日はイースターの為のBankholiday(国民の休日)に当たるので更なる混雑が予想され、不慣れな外国で運転することを考えてこの遠出のプランを今日に設定した訳だ。
紙運転手の私は端から問題外で、妹と母のどちらが運転するかで少々思案してたものの、標識やルートが解らないと困るので、妹がナビを 母が運転を する事になった。 私は一人後部座席で周囲に警戒… まぁ、平たく言えば「役立たず」。
英国は日本と同じ 右ハンドルの左側通行なので、視覚的な感覚に然程の違和感はない。借りたのも日本車だし順応するのは難しくないように思われた。 ただ、大問題が1つ。ヨーロッパ特有のアレがある…
ヤツの名は『Roundabout(ラウンドアバウト)』。 交差点の一種なのだが 交差しないで回る、周回点。ロータリーと言えば良いのか? 常に時計回りのサークルに入って方向転換をする独特のシステムであり、譲り合いの精神がないと多分成り立たない。おそらく日本で同じことをしたら事故がたえない場所になるだろう。
左折したいときはまぁ良い。問題は直進、更には右折だ。 直進するためには輪の中に入って半周してから外に出なければならない。 右折の場合は3/4周して外へ。 それでも、小さいものや 単なる十字路であれば何とか落ち着いて抜けられるのだが、 大規模で更に何本もの道が放射状に延びているラウンドアバウトは実に厄介なもので、 つい自分の行きたい方向を見失う。
また、道もアルファベットと数字からなる シンプルな表示の仕方をしているので 数字を1つ見間違うだけで とんでもはっぷんな方向へ進んでしまう。 そうなったら軌道修正に大わらわとなる。
初めて外国の道を運転する母は 乗った途端からテンパっていたようで、 レンタカー屋の駐車場から出る際に乗車せず誘導していた私を 乗せずに置いたまま 車道へ出ようとした強者である。(いつまでたっても止まらないからビックリしたさ!) 「右から来る車が優先」と教わった事も 輪を前にすると吹っ飛ばしてしまうらしく、毎回立ち往生。 ウインカーとワイパーが普段と逆になっているので、方向転換をしようとしてワイパーをガーッ!と作動させる。 それに狼狽えて 更にテンパる。 ああ、きっとすごいストレスだろうなぁ… 運転できなくて良かった。と内心思っていた。
それでも、慣れてくると何とかなるもので 運転する母の隣で妹が「今だよ!」とウインカーをひねる。 出されたウインカーの方向へハンドルを切る母に合わせ 「後ろOK、今なら入れます!」と後方確認をする私。 まさに三位一体のコンビネーションで 1台の車をやっとこ動かしながら ハイウェイを北西へと進み コッツウェルズを目指すのであった。
コッツウェルズと言うのはロンドンからハイウェイに乗って2時間弱、 オックスフォードを通り過ぎてちょっとした辺りの地域のこと。 この一帯は英国でも特に古い街並みが残されているというので、母の興味を刺激したらしい。 首都のロンドンでさえ古い石造りの建物が ごく自然に立ち並んでいるこの英国。映像や本で知ってはいたが、実際に目の当たりにした時の感動はかなりのもので。そもそも、英国に限らずヨーロッパにはこういった街並みが多い。気候や地盤、建築材質の違いも然ることながら 保存しようという意識が日本人のそれとはかけ離れているようだ。自国の文化に自信を持っている証拠なんだろう。
戦後、敗戦の痛手と共に民族的なコンプレックスも追わされてしまった日本の選んだ道は 結果的に『文化の排斥』となった。正確には戦後からというより、戦前・戦中の軍人思考がそれまでの文化を「軟弱」と全否定してしまった為だが、その余韻が現在にも根強く残っていて 日本の文化を虫歯のように穴だらけにしてしまっている。 西洋諸国の真似をすることに夢中で、自国の文化を守ろうとしなかった。その真似だって外見ばかりで、根底にある精神までは吸収していない中途半端なもの。折衷ばかりで確固たる地盤を持たない国民性、今の日本はそんな感じ。
その昔、西欧諸国の民が想いを馳せた幻の国Japan。島国特有の個性的な文化やおおらかな国民性は西洋人の目には殊更新鮮に映ったことだろう。しかし、今やその姿はほとんど形を残しておらず、本当に幻になってしまった。 何とも残念なことである。(他人事じゃないだろ…)
と、日本の現状を嘆くのはおいておいてー コッツウェルズだよ。 都心部よりも更に古い街並み、時代は中世にまでさかのぼるらしい。 石の瓦や藁葺きの屋根。重機や建造機械などのない時代のものだから基本的には平屋。プチ。可愛い。 壁も屋根も自然のままの穏やかな色で、周囲に高い建物はなく牧草地が緑のじゅうたんのように延々と広がっている。ところどころに見える白い点は羊。この季節は小羊が多いようで、まだ短い真っ白な毛で忙しなく動きまわっている様子だ。雨の多い英国の空は、ありがたいことに今日も雫を落さずに陽の光を時折垣間見せてくれていた。
鮮やかな緑と花曇りの空が視界を横に二分割、境界線に点在する小さな家。まるで絵本のようなビジョンが当たり前のようにそこにある。 素晴らしきかなグレートブリテン島!ユナイテッド・キングダム!(>▽<)
主だった村を何ヶ所か巡り、目的もなく街中をねり歩いていると すれ違う子供やおばさんなんかが愛想よく笑いかけてくる。つられてこっちもニッコリv 日本人の目には18くらいに見えるような男の子が数人で、サッカーボールを蹴りながら細い道の向こうから歩いてきた。すれ違う時にボールがこちらへ転がってきたので軽く蹴り返したら「Thank you!」と明るく会釈して去って行く。 妹曰く「12・3歳ってトコじゃない?」だって。西洋人の年齢は読めぬ! 公園のブランコやシーソーで遊んでいた女の子たちも、顔つきや体形・服装を見ただけでは16くらいに見えていたが、行動がやたらと子供っぽいので「13歳くらい?」と聞いたら「まぁ11とか12とかじゃないかな。」だってー。ウソ〜んッ(^^;)
帰りの運転も残っているので陽が暮れる前に帰路につこうということになり、夕方4時頃に移動開始。 実は行きのハイウェイでちょっとしたトラブルがあったのだ。
あのね、英国は変なところで人が横断しようとしてても車はちゃんと道を譲るのね、基本的に。でも、その代わりというか その反動というか、何もなければめっちゃ飛ばす。そりゃもうスッ飛ばす。ハイウェイなんてその最たるもので、法定速度なんざあったもんじゃない。 借りたのが国産車だったので速度表示をkmに設定して見ていたら、我々も80〜110kmくらいは出していた。のに、ガンガン抜かされて行く訳よ。 ぶぁ!っと抜かされて、あっちゅう間に視界から消えてなくなる車の影。3車線の一番左にいても時々クラクションを鳴らされるので、母の緊張は極限に達していたに違いない…。右に車線あるんだから追い越して行きゃ良いじゃんね。これ以上左は走れないっつーの!!
途中でものスゴイ渋滞になったので何事かと思いきや、どうやら事故車が1車線を塞いでいるようだった。前を過ぎるとキャンピングカーをけん引した乗用車が荷台ごと横倒れになっていた。イースター休暇でどこかへ行こうとしていたのだろうが、これではせっかくの休暇が台なしだ。 これを見た母、益々肩に力が入る。 渋滞の先が遥か彼方、蛇行した道の向こう側まで続いているのが見えた。何故かこちら向きの列に見えたが、気の所為だろうと一笑に伏す。
しばらくしてハイウェイにかかる橋の上にいる人が、道を見下ろしているのに気が付いた。よく見るとTVカメラのようなものとレポーターらしき人物がマイクを手に 何やら中継レポでもしている風だ。我々はのん気に 「ご覧下さい、イースターの渋滞です。とか言ってるのかね〜」と笑っていたのだが、落ち着いてみたら対向車線はガラガラ。渋滞しているのはこっち側ばかりだ。不思議に思い始めた頃、対向車線を反対方向に走り抜けたバイクがあった。蛍光色のジャケットが目の端に強烈で、あら?もしかして…
橋をくぐって少し行くと対向車線の車影が目に入る。 と、続けざまに沢山の車や人々がその場に詰まっているのが解った。通り抜けざまに様子をうかがうと、何台もの車があちこちの向きに停まっており、無傷の車もあったが あるものはガラスが割れ、既に車の形を成していないものまである。それが延々何百メートルも続き、その後ろに大渋滞が控えていた。車が動かせないので、乗っていた人は外に出て携帯電話をかけていたり、中央分離のガードレールに腰掛けて話し込んでいたり。
「え?」「何??」「…」目の前の情景に3人して一瞬、間。
「うっわーッ!何かこれスゴイ事故なんじゃん?!」 「ラジオ!ラジオ!!」 「しぃ!(ラジオニュースに耳をそばだてる)」 車内で騒ぐ我々の目の前が急に開けた。すかさず後ろから追い立てのパッシング。気づいた母が慌ててアクセルを踏み込む。ぎゅーん… …見物渋滞だったのかよ。(--:)
ラジオニュースによると前代未聞の大事故だったらしい。100台の車が廃車となり14人が重軽傷、死亡2名。橋の上のレポートはこの事故の中継だったのだ。そうと解った途端 「イースターの悲劇!とか言ってるのかな」 「復活祭を襲った惨劇!は?」などと盛り上がる不届きな姉妹の横で、まばたきの回数が減る母…。 ご、ごめん。
何て事を経て目的地に辿り着いたので、帰りまでにハイウェイが復活していなければ、来た時とはルートを変えて帰らなければならない。地図を広げてラウンドアバウトの少ないルートを模索する。 何とか決定&出発したのだが、やっちゃったんだよね〜…
迷子。
ああ、そうさ間違ったさ。どんどん暗くなるし道わかんないし、山奥に分け入って分け入って 人気ないしマジヤバ?!ってなところで運良く小さな店を見つけた。日本にもある『スパー』だ(苦笑) 妹が店員に道を聞いて、再度挑戦!途中で見覚えのある道に出た。 「ここ、さっき通ったよッ」「おっしゃ!」「どこをどっちに行くの〜?」 三位一体・再び。
ほうほうの体でレンタカー屋まで辿り着き、そこから徒歩&地下鉄でホテルのある街まで戻る。部屋に着いたのは11時くらいだったので、妹は自分の家へは帰らずホテルに泊まることにした。 無論 無銭宿泊。イェー☆
『劇的!刺激のドライブ紀行 〜コッツウェルズへの道〜』終幕。
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